落葉松亭日記

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二階氏三千人訪中団

2015年05月28日 | 政治・外交
小沢訪中団もすごかったが、二階訪中団もその規模が大きかった。
北海道、埼玉、福井、奈良の県知事、財界、観光旅行業者、議員など三千名、メンバーも多彩。
北京では講演会、商談会など賑やかに行われたという。

南シナ海などで軍事拡張著しく、米中冷戦時代に入ったと云われる。
中共は孤立気味と思われたが、二階訪中団で救われたのではないか。
しかし習近平は、歴史問題で釘を刺すのを忘れなかった。
習氏「歴史の歪曲は許されない」 首相の70年談話を牽制 二階氏は習氏に安倍首相の親書渡す 2015.5.23 22:43更新
http://www.sankei.com/world/news/150523/wor1505230054-n1.html

 【北京=沢田大典】中国の習近平国家主席は23日、中国訪問中の二階俊博自民党総務会長と約3千人の訪中団が北京の人民大会堂で開いた中国政財界人との交流式典に出席し、「今年は対日戦勝70年だ。当時、日本の軍国主義が犯した罪を隠すことは許されない。歴史の真相を歪曲(わいきょく)することは許されない」と述べ、安倍晋三首相が今夏に発表する戦後70年談話を牽制(けんせい)した。

 一方、習氏は式典後の面会で二階氏に対し、「このまま戦略的互恵関係を進めていけば、日中はいい結果になると期待している。安倍首相にもよろしく伝えてほしい」と述べて、関係改善に向けて努力する姿勢も示したという。

 交流式典では、二階氏が習氏に首相からの親書を手渡した。習氏は交流式典に先立ち、二階氏と笑顔で握手を交わし、国会議員約20人らとの記念撮影にも応じたという。

「態度軟化」の中国が腹の底で考えていること
まるでデジャブ、15年前の二階訪中団との共通点とは

 2015.5.27(水) 古森 義久
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43880

中国の習主席、日本に友好姿勢示す 歴史認識はけん制
 中国の習近平国家主席が、日本の観光業界関係者約3000人を前にして対日和解の呼びかけとも思える演説をした。
 だが、その言葉の行間には、日本国内で安倍政権への批判をあおるという計算が露骨ににじんでいた。さらに背後には、最近の米国の対中硬化に対応する戦略的な意図も見て取れた。

なにがなんでも「友好」を唱える二階氏
 5月23日、北京の人民大会堂で習主席が行った演説は、中国の対日政策の軟化を思わせる内容だった。だがこの種の演説は多角的な解釈が欠かせない。同主席の言葉をよく吟味すると、日本への従来の批判や圧力はまったく緩めておらず、むしろ日本国内の分断を目論んでいることが分かる。
 人民大会堂に異様なほど多数の日本人が座って、中国の国家主席の壇上からの言葉に耳を傾ける。それは私にとってデジャブ(既視感)のある光景だった。

 産経新聞中国総局長として北京に駐在していた2000年5月、観光交流使節団という日本からの訪中グループ約5000人が、まったく同様に人民大会堂に集まり、江沢民国家主席(当時)の言葉に耳を傾けていたのだ。私もその場にいて一部始終を目撃していた。その15年前の光景と今回の展開とは、気味の悪いほど酷似点が多いのである。

 当時も現在も、日本側の主役は二階俊博(にかい・としひろ)衆議院議員である。二階氏の肩書きは当時は現職の運輸大臣、現在は自民党総務会長と肩書は異なるが、自分の管轄あるいは影響下にある日本側の業界に指示を出し、訪中者を大量に動員するという手法は変わらない。

 二階氏は日本の政界を代表する親中派と言ってよい。中国側の理不尽な言動も一切批判しないという点で「媚中」と評されたこともある。日本と中国との関係を、とにかく中国側が求めるような形で良好に保とうとする姿勢は長年一貫している。
 今回も人民大会堂の会場で習主席と会った際、習氏が単に片手で握手を求めたのに対し、二階氏は両手を添えて相手の手を握り、しかもそのまま相手の手を高く持ち上げようとした。いかにも友好を強調するような、悪く言えば媚びても見える動作だった。

 二階氏は会合での声明や習氏との挨拶でも、日中友好や民間レベルの交流の重要性をもっぱら説いていた。両国間の緊張を高めている中国側による尖閣諸島領海への頻繁な侵入、そして核拡散防止条約(NPT)再検討会議での日本の「各国首脳の広島、長崎訪問」提案を中国側が削除要請したことなど、目前の日中間の課題には少しも触れなかった。なにがなんでもとにかく「友好」を唱えるという姿勢なのだ。

 一方、習主席の言葉は対照的だった。「中日関係発展の重視」を語りながらも、「いまの日本で軍国主義を美化し、歪曲する言動は許されない」「日本国民も戦争の被害者であり、歴史の歪曲には(中国と日本国民が)ともに戦おう」などと述べたのだ。明らかに安倍晋三首相とその政権を日本国民から切り離して、安倍政権だけを非難するという「分断」の狙いがあることは明白だった。
 また、習主席は日本の遣唐使についても述べ、日本が中国への朝貢外交を続けていた歴史を現代の友好というオブラートに包むような形で語るのだった。

江沢民も習近平もサプライズで登場
 さて前述のように、今回の二階訪中団の動きと中国側の対応は、2000年5月に5000人規模の二階訪中団が北京を訪れた時とあまりに似た点が多い。

 まず、日中関係が基本的に冷えこんでいるという状況が重なる。しかも、日本の訪中団の前に国家主席が登場するのは、当時も今回もサプライズだった。2000年も江主席が出てくることは事前に知らされていなかった。おまけに江主席だけでなく、胡錦濤国家副主席(当時)まで登場したので、日本側は大いに驚いた。もちろんその登場は二階訪中団を大いに喜ばせた。

 今回も習主席の出席はほとんどの訪中メンバーに知らされていなかった。やはり訪中団は大いに驚き、そして喜んだのである。
 中国の国家主席が、日本との関係を良好に保つことの重要性を強調する一方、日本側の歴史認識などを非難し叱責するという部分も前回とまったく同じである。訪中団の動きと国家主席の歓迎の挨拶の内容を中国側の官営メディアが大々的に報道したことも同じだった。

2000年と重なる現在の米中関係、日中関係
 類似点は、中国を取り巻く状況についても指摘できる。
 私は2000年5月に、日本からの訪中団の動向と中国側の対応について記事を執筆した。そのなかで、中国側がその時点でなぜ軟化とも呼べる態度の変化を見せたのかについて分析した。記事は、日中関係に詳しい北京の専門家たちへの取材が基になっている。以下がその骨子である。

・中国は日本国内での最近の対中観の悪化を懸念するようになった。
・米中関係が行き詰まった。
・日米関係が強化された。

 当時の江沢民国家主席は1998年の訪日でも、日本側に対して、歴史認識を「正しく持つ」ことを要求し続け、日本国民一般の対中観をかつてなく悪化させていた。
 また米国では当時のクリントン政権が、中国の台湾への軍事恫喝などを理由に中国への姿勢を硬化させていた。同時に日米関係は一段と強固になっていた。
 こんな要因が、中国に日本への融和とも見える姿勢を取らせたという分析だった。

 では、現状はどうか。現在、日本側の反中、嫌中の傾向は激しくなるばかりだと言えよう。中国側としては、ここらでなんらかの予防策を講じておかないと、日本側の反中意識が日中両国間の経済交流にまで悪影響を及ぼしかねないと判断してもおかしくない。
 私自身のうがった見方だが、最近、日本で激増している中国人観光客たちの傍若無人の振る舞いも、日本側の対中認識においてかなりの負の要因になっているようだ。

 一方、米国のオバマ政権は中国に対してソフトな姿勢を保持するよう努めてきた。だが、中国側はそれに応じず、逆に強硬な手段をとった。南シナ海の紛争海域での一方的な埋め立て作業、さらにはフィリピンやベトナムへの軍事威嚇の数々、東シナ海での一方的な防空識別圏(ADIZ)の宣言などが相次ぎ、オバマ政権は対中姿勢を改めざるを得なくなった。そして、現在の米中両国間の摩擦の最大要因として挙げられるのが、南シナ海での中国の無法な埋め立て作業である。オバマ政権はついに軍事艦艇をその至近海域にまで送りこむ構えを見せ始めたのだ。

 中国は米国との関係が悪くなると、日本への非難や叱責を緩めるのが年来のパターンである。アメリカと日本の両方を同時に敵に回すのは得策ではないという判断からだろう。今回の状況は、まさにそんなパターンが当てはまるということができる。

最近の日米同盟の強化で「調整」に?
 中国は基本的に日米同盟を突き崩したいと考えている。日米同盟の絆にくさびを入れることは中国の国家戦略上の長期目標とさえ言えよう。だから中国は、日米共同のミサイル防衛や防衛ガイドライン改定など日米同盟の強化策にはすべて反対する。逆に日米両国が同盟を薄めることには賛成し、日米離反につながる諸策を可能な限り推進しようとする。

 最近の日米関係が、安倍首相の訪米などにより、また一段と強化されたことは明白である。特に安全保障面で日米同盟が顕著に強化されている。安倍首相の訪米で拍車がかかったと言うこともできる。

 中国からすれば、これ以上の日米連携強化は防がなければならない。日本を攻撃して、さらに米国との同盟を強化させることは、当面、自制したほうがよい。いまの中国指導部はそんな対外戦略を考えているとみられる。

 いずれにしても、中国首脳部の日本に対する態度が軟化したように見えても、決して対日政策が根本的に変化したわけではない。あくまでも外交的な戦略、戦術としての一時的な強弱、緩急の調整である。その調整のメロディーに二階氏が伴奏をつけている。そんな構図として捉えるのが適切だろう。