落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

菊水山(459m)

2015年08月26日 | 散歩・山歩き
双子台風15,16は温帯低気圧になって去り、今日は爽やかな青空が広がった。
久しぶりに菊水山南側から登ってみた。(周回3時間半)
もう真夏の暑さではなく、汗が滴っても木陰に入ると風が涼しい。
頂上の気温は24度。展望は期待通りだった。


石井ダム堰堤


ダム堰堤から大阪湾を望む


菊水山から生駒山、大阪都心を望む


北側、笠形山~千ヶ峰(手前は鈴蘭台)


今日の大阪湾(クリックで拡大します)


加瀬英明氏「『戦争反対』のプラカードは中国大使館の前で掲げよ」

2015年08月26日 | 政治・外交
安保法案は参院審議中。結果如何にかかわらず60日ルールで9月14日成立となる。
厖大な歳費を使って繰り広げられる参院審議は、一体参院は何のためにあるのか、なくてもいいんじゃないかという意見も散見された。
当方は、参院はなくてもいいと思う半面、いやもっと厳しい国運にかかわるような法案が来たとき、いわばクーリングオフみたいなものがいるかも・・とも思う。

一方、国会の外では安保法制反対のデモがあった。
安保法案は、中共の軍拡を牽制する戦争抑止法案なのに、「戦争反対」「徴兵反対」「安倍政治を許さない」などとピントの外れたプラカードが多く見られた。
共産党、社民党、九条の会、SEALDs等、の団体だった。
彼等は、中共の工作員だろうか。
■「加瀬英明のコラム」メールマガジン
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

「戦争反対」のプラカードは中国大使館の前で掲げよ

 安保関連法案が衆議院を通過して、舞台が参議院に移った。
 7月23日の大暑の夜に、テレビのニュースに、村山富市元首相がでてきて、まわりの男女が「戦争を許さない」と書かれたプラカードを、振っていた。

 例年にない暑さで注意力が散漫になっていたために、一瞬、麻布の中国大使館の前に集まっているのかと思ったが、すぐに国会の前だと気づいた。
 私は安保法案が衆議院で審議されていたあいだ、国会の周辺を通ったが、反対グループが「日本は戦争をしないと誓った国」「戦争反対」という幟(のぼり)やプラカードを掲げていた。

 中国では習近平主席が登場してから、「5000年の偉大な中華文明の復興」を「中国(チュング)の夢(オモン)」として煽り立てるだけでなく、公的な場において「戦争の準備を進めよ」と、発言を繰り返してきた。
 中国側の発表によっても、毎年、国防支出が世界のどの国よりも大きく増している。いったい、日本と中国政府のどっちが、「戦争準備を進めよ」と揚言しているのだろうか。

 私は村山元首相や、「戦争を許さない」というプラカードを見た時に、中国大使館の前で抗議しているのかと、勘違いした。
 安保関連法案に反対する人々や、学者や、大新聞が「憲法に違反する」「戦争を招く」「徴兵制をもたらす」と騒ぎ立てているが、懐かしさがこみあげてくる。55年前の「安保ハンタイ」の昭和レトロ劇場を、再演しているのだ。
 野党が「徴兵制をもたらす」と主張しているが、軍事について何一つ勉強していない。

 今日では、ドローンをはじめとして、AI(人工知能)が戦場の主役となりつつあって、徴兵制は遠い過去のものになっている。
 アメリカは1990年のフセイン大統領のイラクに対する湾岸戦争以来、「バトルフィールド・オートメーション(戦場自動化)」を進めているが、従来の戦争の形態が一変するようになっている。
 オバマ政権がドローンをいっそう活用しているが、アメリカから安楽椅子に座って遠隔操縦するドローンが、中東のシリア、リビア、イエメンの目標を攻撃している。そのために、「エアウォア」が「チェアウォア」になったと、揶揄されている。

 野党は自衛隊が38歩兵銃を手にして、閧(とき)の声をあげて突撃する姿を、描いているにちがいない。
 それにしても、163年前にペリーが黒船を率いて江戸湾にやってきた時に、もし浦賀の海岸に「日本は戦争をしないと誓った国」という幟を立てて迎えたとしたら、日本はアメリカによってすぐさま支配されて、後にアメリカがフィリピンを奪った時のように、抵抗した数十万人か、数百万人の国民が虐殺されていたことだろう。
 120年前の日清戦争、110年前の日露戦争に当たって、「戦争をしない国」と寝言をいっていたとしたら、日本が中国のチベット、ウィグル、南モンゴルになったか、ロシアの支配を受けていたにちがいない。
 反対を叫ぶ男女は、日本の幕末からの古難の歴史を、まったく学んでいないのだ。

 憲法学者が集団的自衛権の行使が、憲法に違反するというが、自衛隊が合憲だと認めながら、安保関連法案が違憲だと主張するのは、矛盾していると思わないのだろうか。