「当て事と越中褌は向こうからはずれる」。国家間の条約もまたしかりではなかろうか。
第二次大戦も末期、原爆を落とされ敗戦を国民に知らしめる段階となっていた1945年8月9日に、ソ連は日ソ中立条約を破って日本に侵攻した。以来北方領土を不法占拠している。
国も人間が創ったもの、物欲所有欲もそのまま時の政権によって反映し、ソ連は火事場泥棒を働いた。
ソ連は崩壊しロシアという入れ物に変わったが、先頃、その犯罪を正当化し「対日戦勝日」として自国民に知らしめた。2島返還とか交渉戦術が話題になったが、ハナから返す気はなかったということだ。
「世界は腹黒い」とよく云われる。竹島もしかり、尖閣も資源がありそうとなるとシナは己のものと云いだした。国際間にはそれを強力に取り締まる力はない。精々国際裁判、それも相手がイヤと云えばソレまでだ。 盗られたものを取り返すのは武力しかなさそうだが、それを持たない日本はどうするか。
第二次大戦も末期、原爆を落とされ敗戦を国民に知らしめる段階となっていた1945年8月9日に、ソ連は日ソ中立条約を破って日本に侵攻した。以来北方領土を不法占拠している。
国も人間が創ったもの、物欲所有欲もそのまま時の政権によって反映し、ソ連は火事場泥棒を働いた。
ソ連は崩壊しロシアという入れ物に変わったが、先頃、その犯罪を正当化し「対日戦勝日」として自国民に知らしめた。2島返還とか交渉戦術が話題になったが、ハナから返す気はなかったということだ。
「世界は腹黒い」とよく云われる。竹島もしかり、尖閣も資源がありそうとなるとシナは己のものと云いだした。国際間にはそれを強力に取り締まる力はない。精々国際裁判、それも相手がイヤと云えばソレまでだ。 盗られたものを取り返すのは武力しかなさそうだが、それを持たない日本はどうするか。
【主張】ソ連対日参戦65年 「侵略の日」を心に刻もう 2010.8.8 03:13 産経
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100808/erp1008080313001-n1.htm
9日は、ソ連軍が1945(昭和20)年8月のこの日に突如、日ソ中立条約を破って日本に侵攻して65年にあたる。この19日後に、ソ連による北方領土の不法占拠が始まった。
日本にとって、9日は「侵略の日」であることを心に刻み、教育の場でしっかりと子供たちにも教えるべきだ。
ソ連軍は、日本がポツダム宣言を受諾し、8月15日に終戦の詔書が発表された後も一方的な侵攻を続けた。ソ連は、かつて一度たりともロシア領となったことがない日本固有の領土である択捉、国後、色丹、歯舞群島の北方四島を占領し、併合した。
ソ連は、日ソ中立条約だけでなく、連合国が「戦争による領土不拡大の原則」をうたった大西洋憲章(41年)やカイロ宣言(43年)にも違反し、連合国で唯一、戦後に領土を拡大した国になった。
ソ連の独裁者スターリンは、45年9月2日の対日戦勝演説で「日本が粉砕され、汚点が一掃される日がくることを信じ待っていた」と述べ、勝利の配当として「南樺太と千島列島がソ連領に移る」と宣言した。
ソ連にとって対日参戦は、日露戦争の報復戦であり、日本領土の略奪を目的としていた。当初から領土不拡大の原則を守るつもりなどなかったといえる。
ソ連は、ポツダム宣言にも違反した。武装解除した日本将兵や居留民たち約60万人を「ダモイ(家へ帰るぞ)」とだましてシベリアに抑留し、飢餓と酷寒の劣悪な環境の中、強制労働に従事させた。
絶望の中、飢えや病気などで6万人以上もの日本人が帰らぬ人となった。
それらは「スターリン体制の犯罪」といっていい。
ところが、大国復活に奔走するロシアはその犯罪を正当化し、今年から、日本が降伏文書に調印した9月2日を事実上の「対日戦勝日」として祝う。
侵略を「正義の戦争」にねじ曲げた。阻止できなかった最大の原因は、日本外交の弱体化と不作為にある。
日本政府が手をこまねいていることに、ロシアは増長しているのである。このままでは歴史の捏造(ねつぞう)や歪曲(わいきょく)が繰り返されることになるだろう。そうなれば、日露平和条約の締結どころではない。
そのためにも日本は8月9日の意味について国民全体が認識を新たにするとともに、ロシアの「対日戦勝日」創設の欺瞞(ぎまん)性を毅然(きぜん)として世界に訴える必要がある。
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100808/erp1008080313001-n1.htm
9日は、ソ連軍が1945(昭和20)年8月のこの日に突如、日ソ中立条約を破って日本に侵攻して65年にあたる。この19日後に、ソ連による北方領土の不法占拠が始まった。
日本にとって、9日は「侵略の日」であることを心に刻み、教育の場でしっかりと子供たちにも教えるべきだ。
ソ連軍は、日本がポツダム宣言を受諾し、8月15日に終戦の詔書が発表された後も一方的な侵攻を続けた。ソ連は、かつて一度たりともロシア領となったことがない日本固有の領土である択捉、国後、色丹、歯舞群島の北方四島を占領し、併合した。
ソ連は、日ソ中立条約だけでなく、連合国が「戦争による領土不拡大の原則」をうたった大西洋憲章(41年)やカイロ宣言(43年)にも違反し、連合国で唯一、戦後に領土を拡大した国になった。
ソ連の独裁者スターリンは、45年9月2日の対日戦勝演説で「日本が粉砕され、汚点が一掃される日がくることを信じ待っていた」と述べ、勝利の配当として「南樺太と千島列島がソ連領に移る」と宣言した。
ソ連にとって対日参戦は、日露戦争の報復戦であり、日本領土の略奪を目的としていた。当初から領土不拡大の原則を守るつもりなどなかったといえる。
ソ連は、ポツダム宣言にも違反した。武装解除した日本将兵や居留民たち約60万人を「ダモイ(家へ帰るぞ)」とだましてシベリアに抑留し、飢餓と酷寒の劣悪な環境の中、強制労働に従事させた。
絶望の中、飢えや病気などで6万人以上もの日本人が帰らぬ人となった。
それらは「スターリン体制の犯罪」といっていい。
ところが、大国復活に奔走するロシアはその犯罪を正当化し、今年から、日本が降伏文書に調印した9月2日を事実上の「対日戦勝日」として祝う。
侵略を「正義の戦争」にねじ曲げた。阻止できなかった最大の原因は、日本外交の弱体化と不作為にある。
日本政府が手をこまねいていることに、ロシアは増長しているのである。このままでは歴史の捏造(ねつぞう)や歪曲(わいきょく)が繰り返されることになるだろう。そうなれば、日露平和条約の締結どころではない。
そのためにも日本は8月9日の意味について国民全体が認識を新たにするとともに、ロシアの「対日戦勝日」創設の欺瞞(ぎまん)性を毅然(きぜん)として世界に訴える必要がある。