落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

森の中の花

2015年05月18日 | 散歩・山歩き
路傍の花を見て歩いているうちに、森の中へ。
松や苔も、クローズアップすると精緻で美しい。
今頃何を云ってるの?ひょっとしてボケたの・・と云われるかもしれませんが。




























近所の草花

2015年05月17日 | 散歩・山歩き
季節ははや初夏の雰囲気です。
見過ごしていた小さな花に気がついてレンズを向けてみました。
写真に撮ってみて、その精巧さに感心します。















花の名前はあるのでしょうが、わかりません。






米国の人種差別

2015年05月17日 | 政治・外交
2009年オバマ氏が米国初の黒人大統領として登場した。
人種差別が顕著な米では画期的なことと印象的であったが、実はその人種差別が相変わらずだという。
■「加瀬英明のコラム」メールマガジン 2015/05/13
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

戦後70年を経ても変わらない米国の人種差別

 戦後70年に、日米戦争の原因について考えたい。その1つが、人種差別にあった。
 昭和天皇が敗戦の翌年に、対米戦争の原因について、つぎのように述べられている。
 「この原因を尋ねれば、遠く(大正8年のパリ講和会議に)日本の主張した人種平等案は列国の容認する処(ところ)とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは、日本国民を憤慨させるに充分なものであった。
 かゝる国民的憤慨を背景として、軍が立ち上つた時に、之を抑へることは容易な業(もの)ではない。
(『昭和天皇独白録』)

 平成12(2000)年に、拓殖大学が創立100周年を祝った。
 今上天皇が記念式典に臨席された時のお言葉のなかで、「校歌には青年の海外雄飛の志とともに、『人種の色と地の境 我が立つ前に差別なし』と、うたわれています。
当時、多くの学生が、この思いを胸に未知の世界へと、大学を後にしたことと、思われます」と、述べられた。
 父・天皇の想いを、語られたにちがいない。

 太平洋戦線で、アメリカのほとんどの部隊が日本人を蔑視して、投降する兵や、負傷兵を見境なく虐殺した。
 そう聞かれると、驚く読者もおられようが、チャールズ・リンドバーグの『第二次大戦参戦記』(学研文庫)、マサチューセッツ工科大学(MIT)のジョン・ダワー教授の『容赦なき戦争(ウォア・ウィズアウト・マーシー)』(平凡社)をはじめとする、多くの著作に克明に描かれている。
 アメリカ兵が沖縄戦で住民を虐殺したことが、イギリスの歴史作家M・ヘイスティグスの『日本との戦い 1944―5年』(ハーパース、未訳)に、取りあげられている。

 ノース・カロライナ大学のG・ホーン教授の新著『人種戦争(レイス・ウオア)』(6月に祥伝社から刊行)によれば、トルーマン大統領がホワイトハウスで「神は白人を土から創り、黒人(ニガー)を屑から創った。その残りが、シナ人(チャイナマン)だ。神はシナ人(チャイナマン)とジャップが大嫌いだ。私もだ。人種差別だが、私は黒人(ニガー)はアフリカへ、黄色(イエローメン)のはアジアにいるべきだと強く主張する」と語った。

 アメリカは日本について、まったく無知だった。そのよい例が、戦争中にアメリカ政府の委託によって、人類文化学者のルース・ベネディクトが、日本の国民性について研究した『菊と刀』である。
 ベネディクトは日本語もできず、日本を訪れたこともないが、日系アメリカ人を拘禁した収容所をまわって調査し、西洋が内面の「罪の文化」であるのに対して、日本は外面だけを飾る「恥の文化」だと、結論づけた。
 私の母方の祖母は、会津若松の武家の血を享けていたが、少年時代に祖母から「心に心を恥じる」とか、「自分の心を証人として生きなさい」と、教えられた。
 日本でベネディクトの『菊と刀』を崇める向きが少なくない。自国について蒙昧なのだ。
 アメリカの日本知らずは、今日も変わらない。

 ベネディクトが似非(えせ)学者なら、日本にもその男版がいた。
 私は有斐閣の昭和47年初版の『六法全書』を、所蔵している。我妻栄東京大学教授が編集代表として、編纂したものだ。日本が独立を回復して20年後に刊行されたというのに、憲法篇の扉にアメリカ独立宣言文が、全文、英語と日本語で載っている。
 「われわれは、次の真理を自明なものと考える。すなわち、すべての人間は、平等に造られている。彼らは、その造物主によって一定のゆずり渡すことのできない権利を与えられている‥‥」から、始まる。

 アメリカ独立宣言は、アメリカ3代大統領となったトマス・ジェファーソンが起草したが、南部の荘園主で、奴隷主だった。「すべての人間」というのは、白人だけのことだ。 アメリカ独立宣言文は、鞭打たれる黒人たちの悲鳴を聞きながら、書かれたものだった。

Andyの国際ニュース解説 2015/05/16
http://melma.com/backnumber_53999/

No.541 アメリカは差別社会

長い旅行から戻ってきて五日目、まだひどい時差ボケが解消してい ない。一時間の時差を直すには一日かかると言われているが台湾と ロスには15時間の時差があるから時差ボケを直すには15日かかる わけだ。

アメリカに戻ってすぐに感じたことはアメリカが差別社会であるこ と、そしていろいろな差別はオバマが政治的に拡大したと思われる。 オバマは差別問題を政治と選挙に利用して本来からあったアメリカ 社会の二極化を更に大きくしたと思う。

ちょうど「頂門の一針」3660号に加瀬英明氏の「相変わらず米国の 人種差別」という記事が載っていたが、米国の差別問題は人種問題 だけでない。現在の差別問題は黒人主義者のオバマが大統領になっ てから差別を政治に利用するからである。

来年の選挙を控えてオバマと民主党は選挙対策として人種だけでな くいろいろな差別を政治的に利用する傾向がある。共和党の大統領 候補は差別問題よりも経済、国際問題、テロなどを討論しているが、 民主党側の唯一の候補者ヒラリー・クリントンは女性問題や黒人差 別、貧富の格差などを挙げている。

●差別問題の重要度
アメリカには差別問題がたくさんあるが、その最たるものが黒人問 題である。ある評論家は差別問題について、アメリカの差別問題は その社会における重要性で6つあると言う:(1)黒人問題、(2) 同性愛者、(3)ラティノつまり南米系移民と違法移民、(4)女性 差別、(5)貧富の格差、(6)最後にユダヤ人とアジア系人だが、 これは殆ど問題ではないという。なぜこれらが問題かというと、オ バマを始め、民主党がこれらを選挙に利用するからだ。

今のアメリカでは黒人とラティノを合わせた人口が白人人口を上回 り、これに同性愛者、女性差別などに迎合する言論を発表すれば選 挙に勝つと言う。白人の発言力が低下しているのだ。

アメリカの政治問題は沢山あるが、社会問題はその一部に過ぎない。
アメリカの大問題は世界的影響力が低下していることだが、民主党 は政権を取ることを優先する、社会問題を先にすれば国民の関心と 選票が得られるとみている。それには差別問題の発言で国民の関心 を買うことである。中間選挙で負けた民主党は差別問題を優先して 国際問題、経済問題は後回しにしている。これに反して共和党の候 補者は国際問題、経済問題などを優先している。

●差別問題の変遷
差別とは社会の違いを作ること、つまり社会を二極化することであ る。黒人問題はその一つ、差別のない社会なら黒人が大統領になっ ても問題は起こらない。オバマが当選したのはアメリカでは黒白の 差別が少なくなっていたからであった。だが大統領になったオバマ は黒人優先主義者だから問題になのだ。フロリダとミズーリで起き た警察が黒人を射殺した事件では明らかに犯人が悪かった。警察は 自己防衛で犯人を射殺したのだった。ところがオバマが黒人の肩を 持つ発言をしたため暴動が起きて長引いたのだ。

大統領の権威は非常に大きい。黒人オバマが大統領になってから黒 人が大いに威張りだして白人は抗議さえできなくなった。大統領が 後ろ盾になっているから黒人が暴動を起こしても我慢している。

アメリカは越境違法入国を取り締まることさえできず、違法入国し た未成年者を送還できず、オバマは違法入国者を特赦して居住権を 与えると言いだした。これは明らかに不公平だが、ラティノはオバ マの違法入国を優遇する処置を歓迎している。オバマの人気取りで ある。国境を守ることが出来なかったら違法入国は増える一方だが、 オバマは国境を守れないからテキサス、アリゾナ、ネバダなどの州 が悲鳴を上げている。

黒人問題と違法入国に次いで問題なのが同性愛者とマリファナの合 法化、その次が女性差別である。民主党は差別問題に迎合する発言 が多く、共和党は差別に無関心だと宣伝する。

●オバマとアメリカの衰退
昔から言われているように、共和党と民主党の違いは、共和党は小 さな政府と自由競争を目指し、民主党は大きな政府を目指す。大き な政府とはすべてが政府主導で、大きな予算と赤字の増大、社会福 祉、増税、金持ちから取って貧乏人に与えるなどである。

黒人には貧困者が多い。社会福祉で金をばら撒けば彼らの支持は集 まるが金を与えただけで貧困は解決できない。アメリカ社会は成功 する機会が多く、個人の努力次第で成功することが出来る。アジア 系の移民は努力して成功するものが多い。福祉に頼ってばかりでは 貧困から抜け出せない。雇用を増やす、教育を普及させるなど基本 的政策が大事である。

オバマは民主党員で社会主義者だが、黒人で成功したことで傲慢に なり独裁的傾向が強い。大統領の権限を拡大し、憲法無視、国会無 視、法制無視、大統領命令を最大限に使うなどと言われている。あ まりにも法を無視するので去年の中間選挙で共和党が上院下院で多 数となりオバマはレイムダックとなった。

オバマは一貫して中東問題をブッシュの責任として攻撃してきたが、 オバマの中東政策でテロがブッシュ時代よりさらに悪化し、ISIS、 タリバン、アルカイーダなどを制御できなくなった。アジア政策も リップサービスだけで中国の横暴な領土拡張を抑えきれず、アメリ カの勢力衰退が明らかである。更にオバマが強引に結んだイランと の非核協定はアメリカだけでなくアラブ諸国も反対している。オバ マは先週アラブ諸国の首長をキャンプ・デビッドに招待して会議を したが、わずか二人の首長が参加しただけで残りは代表を送っただ け、何の結果も得られなかった。

●アメリカは差別の国だが…
確かに加瀬先生の言う通り、アメリカは差別の国であり、人種問題 やほかの差別は今でもある。オバマが大統領になって黒人問題が悪 化し、白人が沈黙したままだから差別がひどくなったのである。

いまの人種差別は白人優先ではない。黒人が威張って白人は小さく なっているのだ。黒人が悪くても暴動が起きれば白人は沈黙してい る。オバマが大統領になったお蔭で黒人たちは大統領がかばってく れると威張りだした。中東外交が失敗してアラブテロの復讐が始ま り、アメリカの国威が衰頽し諸国はアメリカを軽視、ISISがアメリ カに復讐を公言するようになった。

過去30年のアメリカの政治を見れば、カーター、クリントン、オバ マの民主党政権の「大きな政府」は失敗だらけで、アメリカが国際 的にバカにされる時代であった。特にひどい最近の衰退はオバマの 責任であり、国内でいろいろな差別問題が政治的に利用され、オバ マは史上最低の大統領と言われるようになった。これが現代アメリ カの実像である。
差別を政治利用し、逆差別が起きる。
「ヘイトスピーチやめろ」「在日外国人生活保護受給」など、米ほどではないが、その傾向ありではないだろうか。


神戸市垂水区 舞子公園

2015年05月13日 | 散歩・山歩き
先日は大峰山系の奥深い大普賢岳に行った。
その反動か、穏やかな海辺を散策したくなり、明石海峡大橋アンカレイジにある「舞子海上プロムナード」に行ってみた。

大橋の車道の下、海上からの高さ47m、約150mの遊歩道が設けられている。
ウイークデーにもかかわらず、訪れる人が結構多い。


舞子公園 夢レンズと明石海峡大橋


巨大なアンカレイジ


海上プロムナード


海面を覗く


下を行く船

 ホームページ山歩記



【山】奈良県天川村 七曜岳(1584m)、国見岳(1655m)、大普賢岳(1780m)

2015年05月10日 | 散歩・山歩き
5月8日(金) 晴

大峰奥駆道の山々。
以前に、釈迦岳、笠捨山、八経ヶ岳など登ったが、それは大峰奥駆道のほんの一部。
今回登った大普賢岳~七曜岳はさすがに修験道の行場、梯や鎖場の多い厳しい登山道であることを思い知らされた。
それだけに、尾根道から展望する紀伊山地の山々の風景は素晴らしい。

当初の時間見積もりが大甘で、最後は夜道を歩く羽目になった。

大普賢岳


山上からの展望








大峰奥駆道らしい鎖場や梯




 地図や詳細、山歩記



西村眞悟氏『北海道博物館、奇妙奇天烈なり』

2015年05月06日 | 政治・外交
メルマガ「西村眞悟の時事通信」より
http://www.n-shingo.com/
5月3日憲法記念日、札幌に於ける講演会の模様。
北海道博物館の奇妙な展示。
札幌の憲法記念日と北海道博物館、奇妙奇天烈なり 平成27年5月5日(火)

 例年、五月三日の「憲法記念日」には札幌で、「自主憲法制定」が必要であるとの講演をすることになっている。
 それ故、本年も、三日と四日は札幌にいて、元航空幕僚長の田母神俊雄さんとともに、
 改憲を目指す「次世代に日本を繋ぐ会」主催の講演会に講師として出席した。

「憲法記念日」の翌日の五月四日の北海道新聞朝刊は、一面に「憲法記念日 各地で集会」と大書して、
「札幌でもデモや講演会」(見だし)のもとに護憲派、改憲派双方の団体が集会を開いたと、その様子を報道した。
 その内訳は、護憲派が詳しく報道されており、我々の講演会の様子は簡潔そのもの。
 しかし、要点!は、ズバリ、次の通り書いてあった。

「西村氏は『主権がないときに憲法は制定できない』と述べ、占領下で制定された憲法に正当性がないと主張した」

 これを見た主催者の一人は、「揚げ足取りをするのかな、と警戒していたが、左翼系の北海道新聞にしては、よく書いている」と言った。
 その通り、要点をよく書いている。優秀な記者である。
 それに反して、護憲派の集会のことは、分量が多くても全く書けていない。無能な記者である。
 ノーベル文学賞作家の何とか馬鹿三郎や札幌出身の精神科医や上智大のおかしい教授が、「戦争のための総ての法制に反対する」とか、「今の憲法さえ使いこなせていない政権に、改憲する資格はない」とか、「集団的自衛権行使は他国の戦争に入っていくことだ」とか述べたといくら報道しても、「なにを言うとるのか」訳が分からんではないか。

 ところで、我が日本で、「憲法」を考えるならば、まず第一に次のことを見つめるべきである。

 国家が存在すれば、そのあり方を決定づける根本規範も必ず存在する。
 従って、実質的な「憲法」、国家の姿・実態を決定する「憲法」とは、紙に書かれた文章のなかにだけ存在するのではない。
 「成文法主義」、即ち、「憲法」を紙に書こうとする動きは、つい最近の近代に欧米で起こった流行にすぎない。

 そこで確認しよう。
 我が国の根本規範は、我が国の肇(はじまり)から存在する。
 それは何か。
 天照大神の「天壌無窮の神勅」である。
 この神勅に従って、万世一系の天皇を戴く日本が現在に至っている。
 吉田松陰は、この神勅ある限り日本は永遠なり、日本の将来を悲観することは、神勅を疑うという罪を犯すものと述べた。
 三島由紀夫は、命より大切なものは、「天壌無窮の神勅」と「三種の神器」だと述べた。

 そうだ!
 バターン半島への日本軍の猛攻から部下を見捨てて敵前逃亡し、卑屈な復讐心を秘めてション便を漏らしながら日本に来て占領していたあのダグラス・マッカーサーが、日本を永遠に弱小国に留めおく為に部下に作文させた「日本国憲法」施行の日の五月三日こそ、日本の悠久の国の肇りから現在に連続している根本規範、天照大神の「天壌無窮の神勅」を、三島由紀夫の言うとおり、日本人の命より大切なものとして確認する日であらねばならない。

 さて、北海道を訪れれば、札幌よりも屯田兵の地であり、北鎮の最強師団となった帝国陸軍第七師団創設によってできた街である旭川と、比布や美瑛の上川地方を訪れるのを常としている。
 そして、ここに拡がる大地と山河を眺め、旭川神社の「兵村記念館」と陸上自衛隊の「北鎮記念館」を訪れれば、北海道とは何か、が実感でき、日本人の底力が伝わってくるのである。

 しかし、この度は北鎮師団の地には行けなかった。
 そこで、講演会主催者同志六名とともに、四月十八日に新しくオープンした「北海道博物館」を訪問した。
 驚いた、この博物館で、国民の北海道開拓の歴史を実感できると思いきや、ここは、旭川の「兵村記念館」とは全く正反対である。
 この「博物館」は、南方の「和人」が北方の「アイヌ民族」の地を侵略したことを刷り込む為の展示館であり、軍国主義日本の邪悪なアジア侵略が如何に北海道に及んだかを展示する「館(やかた)」であった。

 この反日館(やかた)には、開館以来数既に十万人以上の人々が訪れたようだが、展示物に関する説明文の中には、さりげなく反日の毒が盛り込まれている。
 これは左翼特有の手法である。
 その結果、ここを訪れた子供達は、入口で、マンモスやナウマン象の巨大な骨格を見上げて、 ワーと息を吞んでから中に誘導され、出てくる時には、自分達「和人」はなんとずるく強欲で、北海道を侵略して「アイヌ民族」に悪いことをしたと思い込んでいることになる。
 これ、南京の南京虐殺記念館を訪問した子供達が刷り込まれるであろう印象と同じだ。

 以下、その館の要所を説明しよう。
 まず、「アイヌ」の説明文と「アイヌの隣人たち」と書かれた大きな地図がある。
 その地図には、北海道全域が「アイヌ」の色に塗られ、その「隣人」は、樺太、沿海州、千島、カムチャッカ、シベリヤの一部に分布しているように塗られている。
 そして、「和人」と記載された地域は津軽海峡の南から日本列島全体となっている。
 色の違いによって「アイヌ」と「和人」は「隣人」ではなく別の地域であるように印象つけられる。
 そのうえで、今、北海道にいる「和人」は「アイヌ」の地を侵略した者と位置付けられる。
 アイヌの説明文は次の通り、
「アイヌは、日本の先住民族です。『アイヌ』とは、アイヌ語で人間という意味です。
アイヌ民族は、この北海道をはじめ、サハリン(樺太)、千島列島などを生活の舞台として、さまざまな文化をはぐくんできました。
 明治政府が北海道を日本の領土に入れ、開拓を進めるなかで、その生活や文化は大きな打撃を受けます。
しかし人びとの歩みはとだえることなく、いまにつながっています。」

また館の他の場所には次のような訳の分からない説明文がある。
「女性、アイヌ民族、在日韓国朝鮮人、障害者など、忘れられ後まわしにされてきた立場の人びとの権利の主張は、今どうなっているのでしょうか。」

 この二つの解説を総合すると、この館の主催者は、明治政府が「北海道を領土に入れ」るということが「女性、アイヌ民族、在日韓国朝鮮人、障害者」が打撃を受けたことの原因であると言いたいらしい。

 そして、奇妙なことに、この展示の近くに、村の子供やおじさんそして、かっぽう着姿の奥さんがた五十人ほどが、日の丸を持った二人の出征兵士を囲んだ写真が大きく展示されている。
 この写真の下にさりげなく書かれているこの写真の説明文は」次の通りだ。
 これで、この写真を掲げた意図を推測されたい。
「忘れちゃいけないのは、あの太平洋戦争。
これは十勝の幕別というところの写真なんだけど、私たちがいた村でも同じように兵隊さんを見送ったのよ。」

 そして、次のスペースの展示品は、発掘された縄文時代からの石器や土器そして土偶また刀剣となる。
 すると鮭の燻製や昆布の束や、熊の皮、鷲の剥製などが展示され「アイヌ民族から和人への交易品」と大きな説明文が書かれている。

 以後、うんざりするほど、「アイヌ民族」と「和人」という言葉が使われている。

 特有の文様の法被(はっぴ)の説明文は「アイヌ民族の木綿衣」とある。
 ほー、これも「民族」のものか、と思った。
 では、我が大阪の泉州では、秋祭りの法被ごとに「民族」がいるぞ。
 例えば「岸和田浜町民族の木綿衣」や「堺榎民族の木綿衣」だ。

 いよいよ明治以降のコーナーに来た。
 旭川の「兵村記念館」を上回る規模の開拓の努力が展示されていると思って近づいた。
 すると入口に次の説明文が掲げられていた。

  「20世紀はじめの日露戦争で、日本はロシアに勝利し、南満州に特権をえて、南樺太、朝鮮にも領土を拡大しました。『満州事変』につづく日中戦争のころには、北海道からも多くの人が『満州開拓』のために中国東北の農村にわたりました。また、北海道にも炭坑や土木事業のために朝鮮人が連れてこられました。
 戦争が長引きアジア太平洋に拡大したことが、アメリカによる原子爆弾の投下と日本の敗戦、連合国による占領につながりました。」

   これにはびっくりした。
 北海道は我が国の領土拡大基地で、その為に朝鮮人を連れてきたという設定だ。
 そして突如でてくる原爆投下は、この悪い日本の「和人」がもたらしたと思わせる。
   以後、予想通り「アジアの戦争と北海道」のコーナーである。
 小林多喜二の「蟹工船」、「不在地主」そして「党生活者」の三冊の原本が、ガラスケースのなかに展示されている。
 これで、この館の展示担当者が税金で生活する「党生活者」であることが分かる。

 さらに「小樽湖高等商業学校生徒雪中教練」の写真が掲げられ、次を見ると「取締の対象になった反戦言動」の一覧表が出てきて、「半島人逃亡関係綴・昭和十七年分」が展示され、戦時下のゲシュタポによる暗黒の強権支配時代を暗示させる。

 極めつけは、とうとう「9・7 自衛隊違憲判決を!」と赤字で書いた古い布の襷が古文書のように展示されている。
 その襷を中心に、「戦争反対 全面講和」の旗を掲げた写真、「日米安保と基地問題」の解説文と写真、「矢臼別演習場の2013年の誤射事件略図」さらに、「ナイキ基地計画・防衛庁のたくらみ」という見出しの共産党の機関誌「ほっかい新報」、とくれば、もう分かるやろ。
 この館、おかしい。
 おまえら、党生活者よ、税金で、公の場を利用するな、党費でやれ。

 展示の最後のところで、笑うしななかった説明文が二つあったのでご紹介する。
 ご自由に判断されたい。

「中川郡チロット原野計画図」の地図の下に次の解説の一文があった。
「まっすぐな道路が直角に交わる北海道の農村の景観は、『上から』強い力が働いたことを物語ります」

 次は、矢臼別地方の航空写真の説明文の最後に挿入してある一文。
「航空写真からは、第1、4飛行場の形がよく見えます。
戦争と現在がふしぎにつながっていると思いませんか?」
だとよ。

 この館を出てから、北海道の同志の一人が言った。
 「和人は悪い奴ですねえ」彼らはそれからしばらく、お互いに和人と言い合っていた。
 そういえば、道ですれ違う人は、皆、「和人」であった。

 このままいけば、もうじき、北海道庁や札幌市は公文書で、国民を「和人」と呼ぶことになるかもしれない。
 南の沖縄もけったいなら、北の北海道もけったいだ。

 明日は、旭川神社の「兵村記念館」で実感したことを書くことにする。


明治維新以来、日本人は真の開拓者であった 平成27年5月6日(水)

 昨日に続き、北海道を報告する。
 報告の起点は、北海道の帝国陸軍第七師団創設の地である旭川そして上川地方だ。
 この地が如何にして現在の地になったのかを目の当たりに見れば、「北海道」が分かる。「北海道」が分かると言うことは、「日本人」が分かるということだ。
 日本人こそ、真の開拓者だ。
 では、それを目の当たりに見る場所はどこか。
 旭川神社にある「兵村記念館」である。

 「兵村記念館」を訪れて、最も印象に残ったものは、一枚の写真だ。
 その写真には、背丈の二倍ほどもある巨大な切り株が無数に乱立する中に佇む人びとが写っていた。

 その切り株は、その大地が巨大な樹木の密集する大森林だったことを示している。
 佇む人びとは、その大森林の中に入植した人びとである。
 彼らは、雪が降り積もった真冬に、その大木を切り倒して雪の上を滑らせて運んだ。
 写真は、春が過ぎて雪が融けて大地が現れたときの光景だ。
 そして、佇む人びとは、太陽が届くようになった地面を耕し始めるとともに、残った切り株を掘り出すという重労働を延々と続けた。

 入植して地面に太陽が届くようになるまで、さらに耕して収穫できるまで、一体、この人達は、何を食って働いていたのだろうか。

 伊予からの人びと(伊予団)、讃岐からの人びと(讃岐団)そして近江さらに群馬からの人びとが、力を合わせて、人が耕し住める大地になった比布町鎮守、比布神社の鎌田告人宮司が「兵村記念館」に案内してくれたのだが、はじめに入植した人びとは、数年たって初めて周りに山があることを知ったのだと説明してくれた。
 このようにして、今の旭川、上川の大地が生まれていった。
 若い女性の観光客に愛される美瑛の町も景観も、このようにして生まれたのだ。

 昨日の時事通信で、公務員でありながら札幌の「北海道博物館」を私物化して、無垢な子供達に「和人」としての反日意識を刷り込もうとしている者達の書いた説明文を紹介した。
 矢臼別の航空写真の説明はこうだった。
   「航空写真からは、第1、4飛行場の形がよく見えます。
    戦争と現在がふしぎにつながっていると思いませんか。」

 馬鹿、アホかお前は、では、旭川の航空写真を説明せよ。
 そもそも旭川は、屯田兵と第七師団創設によってできた街なのだ。
 「ふしぎにつながっている」どころか、もともとここは軍と不可分一体だ。
 そして、ここに第七師団がなければ、日露戦争で旅順要塞の203高地は陥落せず、我が国は敗北だった。
 さらに大東亜戦争で、千島樺太どころか北海道全体が、スターリンの支配下に入っていたのだ。

 札幌の「北海道博物館」に巣をつくっている反日野郎、軍とつながりがあるのは、当たり前じゃ、文句あるか。

 大東亜戦争のペリリュー島での戦闘でも明らかなように、アメリカ軍は一師団の六割が死傷すれば「全滅」と判断して前線から後方に引き上げさせる。
 それ故、アメリカの第1海兵師団は、六割が死傷して「全滅」し、島から撤退した。
 しかし、日露戦争の旅順要塞攻撃では、第七師団は一万五千の兵が千名になっても、「師団」として、最後の奉天まで戦闘を継続した。
 旅順での満州軍参謀長児玉源太郎大将と、第七師団長大迫尚敏中将の会話は次の通り。
 「大迫さん、北海道の兵は強いようじゃのう」
 「強うございました。一万五千の兵が千名になりました」

 何故、北海道旭川の第七師団は戦い続けたのか。
 「この戦いに負ければ、日本は亡びる」
 と兵士一人一人が知っていたからである。まさに救国の為に戦い続けた。
 第七師団は第三軍の隷下にあり、彼らは、第三軍司令官乃木希典大将のもとで戦った。
 それ故、先年、乃木希典大将の浪曲をうなれば日本一の松浦四郎若さんに頼んで、比布神社、旭川神社、美瑛神社そして護国神社において、乃木希典を謳っていただいた。
 各神社の宮司のお力で、多くの氏子の皆様が集まっていただいた。
 涙を流す人も多かった(鎌田宮司や私も含む)。四郎若さんは、さすがに喉がかれていた。

 さて、冒頭に、報告の起点は旭川、と言った。従って、ここを起点にして次ぎに続ける。
 昨年の十月、そして本年の四月に行った、サイパン、テニアン、そして、パラオのことだ。
 サイパンとテニアンを訪れたとき、道の回りはみなジャングルだった。
 しかし、そのジャングルの中に、神社があり発電所や製糖工場跡があり、また学校跡があった。
 ある廃墟になった発電所は、今も一番頑丈な建物であり、大型台風が来れば、今も人びとの避難所として使われている。
 これは何を語っているのか。

 その時、遙か南のサイパンで、北海道旭川の「兵村記念館」の切り株の中に人びとが佇む光景を思い出したのだ。
 日本人は、北海道と同様に、熱帯のジャングルを切り開いて畑を造り、街を造り、現地の人びとが学ぶ学校を造り、現地の人びとが働ける産業を興した。
 サイパンでは、全島を一周する鉄道を敷いて機関車を走らせていた。
 そのレールがジャングルの中で、成長する木に一メートルほどの高さまで持ち上げられているのを見た。

 何故、この日本人が開拓した土地がジャングルに戻ってしまっているのか。
 それはアメリカ軍が、日本人が戻れないようにするために街や畑や工場をジャングルの中に沈めたからである。アメリカ軍は、わざと成長が早い「タガン・タガン」というシダ植物の種を空中散布してジャングルに戻してしまった。
 それで今は、現地の人びとの職場である地場産業がなくなり、アメリカの生活保護費に頼るただ観光だけの島になっている。

 パラオの開発も日本人がした。
 現在、パラオ共和国の人口(約二万人)の九割近くが住むコロールの昭和十年代の地図を見れば、整然たる市街地である。日本国内の田舎の城下町のようだ。日本人は、ここでも現地の子供が学べる学校をつくっている。
 この昔の地図で見る日本統治時代のコロールは、戦後アメリカが五十年以上も統治した後の姿である今よりも、よい市街地だ。

 このように、北海道の旭川と、日本時代のサイパンやパラオの符合に気付いたのであるが、さらに思えば、日本人は、朝鮮でも台湾でも満州でも、そこで学校を造り産業を興しそこを豊かにした。
 さらにブラジルのアマゾンでも、同じようにそこを住みよい働ける大地に開拓していったのだ。
 日本人の行くところは、そのように開拓される。

 アメリカ人は、アメリカ西部を開拓したと言われる。
 しかし、日本人の開拓とは違う。彼らの開拓とは、原住民のインディアンを駆逐してその土地を奪うことであり、ゴールドを求めて殺到することであった。
 イギリス人は、インドで、現地のインド人の学校をつくるという発想があったのか、オーストラリアで原住民のアボリジニの学校をつくろうとしたのか。
 オランダ人は、インドネシアで現地の農業を潰してオランダが欲するのもだけを作らせた。
 彼ら白人の開拓は植民であり、現地の富を奪うことが目的だった。

 以上、十九世紀から二十世紀を顧みるとき、日本人こそ、天地に恥じない真の意味の開拓者だった。
 このこと、北海道旭川の「兵村記念館」を起点として教えられた。
 諸兄姉、是非、比布神社と旭川神社、旭川護国神社そして美瑛神社を訪れられたし。



第五福竜丸事件

2015年05月03日 | 歴史
1954年にビキニ環礁で核実験による「死の灰」を浴びた静岡県の漁船「第五福竜丸」の久保山さんが亡くなった。その頃当方は小学生だったが、新聞の一面に写真とともに報道されていたのを覚えている。
だが、このほど久保山さんの直接の死因は「死の灰」ではなく、輸血によって感染した肝炎だった疑いがあることがわかった。清潔な輸血であれば死ぬことはなかったということだ。もっとも、急性の放射線障害のため余儀なく輸血をすることになったので遠因ではあるかも知れない。
長らく信じ込んでいた「死の灰」だったが・・・
第五福竜丸の死因は「死の灰」ではなかった
2015年05月01日(金)11時09分 ニューズウィーク 池田信夫
http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2015/05/post-925.php

 今年の日本記者クラブ賞の特別賞に、南海放送(愛媛県)の制作したテレビ番組「放射線を浴びたX年後」が選ばれた。受賞理由は「太平洋での米国の水爆実験による漁船被ばく問題を10 年以上も番組や映画を通じて追及した」となっている。

 地方民放がドキュメンタリーを制作することは困難であり、しかも60年前の事件を取材するのは大変だったと思う。私はその番組を見ていないが、1954年にビキニ環礁で核実験による「死の灰」を浴びた静岡県の漁船「第五福竜丸」の事件を追跡し、その他にも多くの漁船が核実験で被曝した事実を明らかにしたものだ。

 第五福竜丸は水爆実験の立入禁止海域で操業していたため、核爆発によって飛散した大量の放射性物質を浴びた。この結果、乗組員23人に放射線障害が起こり、そのうち無線長の久保山愛吉が半年後に死亡した。これを読売新聞が「死の灰の犠牲者」と報じ、放射能の危険性を示す出来事として、世界的なニュースになった。

 しかし病理解剖によって判明した久保山の死因は肝炎であり、放射線で起こる病気ではない。高田純『核爆発災害』によれば、久保山の肝臓に蓄積されていた放射能は130ベクレル/kgで通常の値(120ベクレル)とほとんど変わらなかった。

 他の22名の船員についても放射線医学総合研究所が長期にわたって追跡調査をしたが、2003年までに死亡した12名の内訳は、肝癌6名、肝硬変2名、肝線維症1名、大腸癌1名、心不全1名、交通事故1名で、ほぼ全員に肝機能障害がみられた。放医研は2005年の年報で、次のように報告している。

船員の被曝した推定線量は1.7~ 6.0Gyであった。最近では平成15年5月に1名が肝癌で死亡、これまでに死亡者12名となった(内訳は肝癌6名、肝硬変2名、肝線維症1名、大腸癌1名、心不全1名、交通事故1名)。肝機能異常が多くの例に認められ肝炎ウイルスの検査では、陽性率が非常に高い。しかし、腹部造影CT検査などでは肝細胞癌などの悪性腫瘍の所見は認めなかった。

 また2008年の年報では以下のように述べている。

私どものこれまでの研究調査の中では、おそらく免疫機能がかなり落ちていた為にウイルス感染に影響していた可能性があると考えていますが、具体的にどの程度影響があったのかという事は私どもの調査では分かっていません。ただ、おそらく可能性として、肝臓障害の比率から輸血による障害の可能性があったであろう、と考えています。

 このように彼らの症状は、輸血が原因だったと推定される。当時は売血された血液を輸血に使い、注射針も使い回していたので、肝炎に感染したものと考えられる。特に急性の放射線障害の出ていた久保山は、全血液を輸血で入れ替えたため、血液感染で肝炎になった疑いが強い。

 南海放送の番組では、核実験の当時マーシャル諸島の近海にいた日本の漁船の乗組員に取材し、操業していた992隻の漁船のうち、548隻が放射性物質を浴びたという。しかし立入禁止区域の中で操業していたのは第五福竜丸だけで、それでも爆心地から150kmも離れていたので、それ以外の漁船にそれほど多くの「死の灰」が降ったとは考えられない。

 しかも500隻以上の船が被災したとすれば、乗組員に多くの癌が発生するはずだが、南海放送の調査した241人の乗組員のうち、死者は77人で、そのうち癌による死者は26人だったという。日本人の3人に1人は癌で死ぬので、これはその平均値に近い。

 アメリカ政府も追跡調査を行なったが、ビキニ環礁の周辺にいた船の中で肝機能障害が大量に発生したのは第五福竜丸だけで、マーシャル諸島の住民にも核実験を行なった作業員にも、発癌率の上昇はみられない。

 しかし当時メディアが「第五福竜丸の悲劇」を派手に報道し、世界にもその名前が知られたため、核兵器=核実験=核物質というイメージができ、「死の灰」の神話が一人歩きしてしまったのだ。この事件をヒントにして、核実験による突然変異で生まれた怪獣として活躍したのがゴジラである。

 もちろん核兵器の破壊力はきわめて大きく、核軍縮は必要である。核実験も、最近は地上では禁止されている。しかし放射線のリスクは、当時考えられていたほど大きくないことがわかってきたのだ。原爆投下後に広島市や長崎市に入った人も大量の「死の灰」を浴びたが、彼らの平均寿命は全国平均より長い。

 数千ミリシーベルトの放射性物質を浴びた第五福竜丸の乗組員の健康被害がこの程度なのだから、1ミリシーベルト程度の除染に巨額の予算をかけるよりも、被災者を帰宅させて生活を正常化したほうがいい。被爆国として世界に影響力をもつ日本から、正しい情報を発信することが、歴史に対する日本人の使命だろう。