先月末に片手袋研究は12周年を迎え、13年目に突入いたしました。
傍から見れば相も変わらず同じことを続けているだけに思われるでしょうが(いや、そもそも何も思わないかもしれませんが…)、やはりその時その時で内面的にも外面的にも変化はあるもので。
同じことをずっと研究し続けていると、興味の対象は横にも縦にも広がっていくものです。「横の広がり」というのは例えば、数年前から気になっている世界中に存在する片手袋写真愛好家の事だったり、片手袋が登場する映画やアート作品を調べ上げる事だったり。「縦の広がり」というのは自分自身の内面への興味、とでも言いますか。
僕はあまり他のジャンルの方と交流を持ったりした事がなかったのですが、この一年でポッドキャスト「山車ラジオ」でソンシツ物件の殿下さんとお話しさせて頂いたり、別視点ナイトで様々なジャンルの方と交流させて頂いたおかげで、他の専門家の方と共通する点も異なる点も見えてきました。
その中で今、一番感じている疑問は、「なぜ俺はこんな事をやっているのだろう?というか、俺がやってる事って何なんだろう?」というもので。なんか、12年経って振出しに戻ってしまった感がありまクリマクリスティですね…。
僕がやっているような事って「路上観察」にジャンル分けされると思うんですけど、果たして僕は「路上」を「観察」しているのか?撮りたいと思っている対象も「片手袋」という物体なのか、「片手袋が生まれる背後にある人間の行動」なのか?
さらに気になるのが、「片手袋という物体に興味を抱く」という事と「片手袋を撮りネットにアップしたり作品を制作したりする」という行為は乖離しているんじゃないか?という問題です。
ソンシツ物件の殿下さんは「ソンシツという現象の裏にある人間にはそれほど興味がない」と仰ってました。
↑植木鉢の木村りべかさんはご自分の活動を「路上観察ではない」と感じているそうです。
僕は片手袋研究を自分の中でどう位置付けているのか?これを最近はずっと考えています。勿論答えは出ていないし、一生出ないかもしれませんが、僕はこういう根本的な問題をうじうじといつまでも考えているのが割と好きなタチでしてね。
ただ先日、別視点ナイトでご一緒した木村りべかさんや中島由佳 さんが参加されていた展覧会「庭先PTDX」を見てきて思ったのですが、「今自分に足りないのはアウトプットだな」という事で。
ここ数年、有難いことに色んなメディアにお声をかけて頂いて片手袋研究について喋らせて頂いたりしてますが、「作品として片手袋写真を発表する」というアウトプットの仕方も久しぶりに模索したくなりました。自分の内面を掘り下げていくのもよいですが、もうちょっとゴツゴツした塊を外に向かって投げかけても良いんじゃないか?と。
それと勿論、片手袋研究を書籍としてまとめてみたい、という思いは長年持ち続けていますが、こればかりは需要がなければね…。
・片手袋の撮影
・片手袋の考察&研究
・機会があれば片手袋研究の紹介&普及
は今まで通り続けていきますが、新たな展開も考えていきたいと思います。
まあ、何がどうなるか?なんて事をきっちり決めてやってきた訳ではないので、面白そうな流れがきたら身を任せつつ、13年目も頑張っていきます!
※最新の片手袋写真
片手袋研究家
石井公二