かたてブログ

片手袋研究家、石井公二による研究活動報告。

私と、エルヴィス。私の、エルヴィス

2022-06-30 00:03:44 | 番外

私には人生を掛けて追いかけてるものが二つある。一つは片手袋。もう一つはエルヴィス・プレスリー。今日は片手袋ではなく、エルヴィスのお話。

「凄いものを見た」

青ざめた顔で帰ってきた母は、何度もそう繰り返した。2004年のことだ。私は母のただならぬ雰囲気に、新興宗教か何かにはまってしまったのだと思った。今から考えてみると、その直感はあながち間違いではなかった。魂の救いの話であったのだから。

小さい頃からクラシックしか聞いてこなかった母が、2004年のある日、銀座の東劇を通りかかった。そこにはエルヴィス・プレスリーの大きな顔写真と共に、「原点にして頂点」というコピーが書かれた広告が掲げられていたそうだ。

どういう訳か彼女は、そのコピーを見てふらりと劇場に入ってしまった。そこからの約2時間。彼女はそれまで知ることのなかった世界を体験し、すっかり人が変わって帰ってきたのだ。

私はと言えば、「エルヴィスなんて今頃知ったのかよ」と少し突き放したようにその話を聞いていた。事実その時点でベスト盤か何かを持っていたし、「ロックを始めた人」くらいの知識はあった。だが母親のあまりの剣幕に心の底では(これは何かありそうだな)と感じてもいた。そして次の日、こっそりと行ったのである、東劇に。

劇場に着いて分かったのだが、その時上映されていたのは『エルヴィス・オン・ステージ』というライブ映画だった。映画が始まるとまず字幕が流れる。この映画のオリジナルは71年に制作されたエルヴィスのヴェガス公演の記録であること。30周年記念として再編集とリマスターを施したのが本作であること(日本での公開は04年になった)。

突然、激しいドラムロールが大音量で流れ、エルヴィスが登場した。古き良き50’s、派手な衣装で朗々と歌い上げるバラード、そのどちらでもない虎のように獰猛な男がゴスペルコーラスを従え疾走を始めたのだ。

私の全身に鳥肌が立った。体中を熱い血が駆け巡り、酸素が足りなくなったように意識は朦朧とした。いつの間にか笑いが止まらなくなっていた。そして何故だか猛烈に涙が出てきた。そして、記憶がなくなった…。

50年代にエルヴィスが登場し、誰も見たことのなかった歌い方と踊り方で人々に与えた衝撃。そこから月日は流れ、極東の島国で一組の親子が、スクリーン越しにその姿を見ても、50年前のアメリカの人々とまったく同じ衝撃を受けてしまったのである。

「エルヴィス、凄かったわ…」

母親に告げると、彼女は無言で頷いた。そこから私と母親は競うように、『エルヴィス・オン・ステージ』を体験する為に東劇に通い詰めたのである。

そこから18年。現在の我が家はこんな感じだ。

ジョン・レノンは「エルヴィスは信じない」と歌ったが、私にとって唯一信じられるのはエルヴィスだと言っても過言ではないほどにまでなってしまった。

この間、エルヴィスに対してだけでなく、エルヴィスが置かれている状況にも無知であったことを思い知らされた。母親は知り合いにエルヴィスが好きになったことを話すと、必ず「年をとってもお盛んね」的な反応をされていた。男として、とか恋愛対象として、ではなくソウルを救ってくれる存在として好きになった母親は、そのたびに傷ついていた。飲み屋で隣り合ったロック好きの同年代男性には「ああ、エルヴィスね。あいつの曲、コード進行が全部一緒なんだよ」と知ったかぶりされたこともある。「そんなわけないでしょ!」。なんと母親は怒鳴りつけて帰ってきたそうだ。

私も驚かされることが何度もあった。上映会やイベントに出かけても、とにかく人がいないのだ。さらに若い人となると壊滅的。会場を見渡すと、大体いつも私が一番若いくらいだった。

「50’sは良いとしてその後は太ってくだらない歌ばかり歌ってた」「ミュージシャンなのに曲も作れないのかよ」「ビートルズ聞いちゃうとね」「ドーナツの食べ過ぎで死んだんでしょ?」「黒人の音楽を盗んだ奴」…

今まで聞かされてきたエルヴィスに対する偏見は幾つもある。しかし、それらはまだ良い方かもしれない。誤解どころか、現代の日本ではエルヴィスなんて忘れ去られてしまっているのだ。

だが、そんなことはもうどうでも良い。

エルヴィスを通じて繋がることが出来た人たちがいる。偶然にも近所にエルヴィスの師匠とも言える人が住んでいたのはラッキーだった。そして母親が知り合った関西の方達。元々原宿にあったエルヴィス像が神戸に移転されてからは、日本のエルヴィスシーンは関西の方達が支えてきたと言っても良いと思う。私が2013年、神戸ビエンナーレに片手袋作品を出品した時は、神戸のエルヴィスファンの方々がわざわざ見に来てくださった。“好き”が通じ合えば、年齢も住んでる場所も関係ないのだ。

エルヴィスに影響を受けたクリエイター達がいる。今でもあらゆるカルチャーにエルヴィスの影を確認できたことは、私の支えになってきた。「そうだ、エルヴィスは死んじゃいない」。東スポの見出しはある意味では正しかった。



※すべて何らかの形でエルヴィスが登場します

そして、エルヴィスに救われたソウルがここにある。2007年に亡くなった台湾の鬼才、エドワード・ヤン監督の代表作『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』。約4時間に及ぶ作品の最後、台湾の少年が歌う『Are You Lonesome Tonight?』の歌詞の一節『A Brighter Summer Day』が英題となっている。エルヴィスが「今夜はひとりかい?」とささやくその歌声は、行き場のない台湾の少年だけでなく、世界中の孤独な魂のそばにしっかりと寄り添い、「私の孤独なこの心を分かってくれるのはこの人だけなのかもしれない」という救いを与える。少なくともこの私の人生において、どんなに辛い瞬間もエルヴィスは優しく肩を抱きしめてくれていた。これは妄想なんかじゃない。

A Brighter Summer Day - Are You Lonesome Tonight?

『エルヴィス』という映画が日本では7/1に公開される。

その影響があまりに巨大すぎて空気のようになってしまい、逆に誰も意識する事がなくなってしまった現代において、遂に、遂に彼の人生を真正面から描き切ろうとする意欲作が登場した。私の心はこの映画の製作を知った二年ほど前から、期待と不安で引き裂かれそうになっていた。

「見たいのはエルヴィスじゃない。エルヴィスのソウルなんだ…」

公開が近付きいよいよ情緒不安定になってしまっていた6月のある日。応募していた先行試写会ペアチケット当選の通知が私の携帯に届いた。応募しておきながらすさまじく動揺してしまったが、それには他にも理由があった。この十数年間、エルヴィスの支えが必要だった要因の一つが、詳しくは書かないとしても母親との関係性の変化にあった。母は70歳、私も40歳を過ぎてしまった。距離を置くことが正解の時もある。だが、エルヴィスである。さすがに彼女を誘わないというのは、あまりに酷い仕打ちに思えた。最大の楽しみが一気に最大の重荷に姿を変えたが、私は思い切って彼女を誘った。

「エルヴィスの映画の試写会、当たったよ。一緒に行くかい?」

かくして我々は、実に数年振りに二人で出掛けることになったのである。

試写会当日。会場となった丸の内ピカデリーには若い世代を中心にたくさんのお客さん、マスコミ関係者、イベントに出演する芸能人が集まっていた。

「ああ、エルヴィスの為にこんなに人が集まる日が来るんだ!」

我々親子はそろって、上映前に泣いてしまったのである。

ここでは映画の内容は詳しく書かない。しかし、これまで味わってきた偏見や無関心を吹き飛ばし、もう一度エルヴィスをこの世界に蘇らせるような素晴らしい作品だった。我々マニアは当然、細かい部分についてあれこれと盛り上がりたいところだが、エルヴィスについてなんの予備知識がなくてもまったく問題ありません。とにかく少しでも興味がある人は、大きいスクリーン、大音量で見られるうちに劇場に足を運んで欲しいと思います。

三時間近くある映画を見終わった帰り。昔よく親子で行った銀座のラーメン店に母と入り、あれやこれやと映画の感想を語り合った。顔色を変え帰ってきてエルヴィスを語り始めたあの日とまったく同じ熱量で語る彼女を見て、

Well, that's all right, mama 
That's all right for you 
That's all right mama, just anyway you do…

エルヴィスの歌声が私のソウルに流れてきた。

私とエルヴィス。私のエルヴィス。


『最後の決闘裁判』における手袋について

2021-10-29 18:43:43 | 番外

10月29日は「手袋の日」だそうで、片手袋研究家としては何かしら発信しないとまずいだろう。ということで、最近見た映画に出てきた手袋について少し書いておきたいと思う。映画のタイトルは『最後の決闘裁判』という。以下、ネタバレ含むのでご注意ください。

舞台は1386年のフランス。タイトルの通りフランス史上最後に行われた決闘裁判の映画化で、監督はリドリー・スコット。公式ホームページに掲載されているあらすじは以下の通り。

歴史的なスキャンダルを映画化!衝撃の実話ミステリー。 リドリー・スコット監督がジョディ・カマー、マット・デイモン、アダム・ドライバー、ベン・アフレックという豪華キャストを迎え、実話を元に、歴史を変えた世紀のスキャンダル​を描くエピック・ミステリー。​《STORY》 中世フランス──騎士の妻マルグリットが、夫の旧友に乱暴されたと訴えるが、彼は無実を主張し、目撃者もいない。​真実の行方は、夫と被告による生死を賭けた“決闘裁判”に委ねられる。それは、神による絶対的な裁き── 勝者は正義と栄光を手に入れ、敗者はたとえ決闘で命拾いしても罪人として死罪になる。そして、もしも夫が負ければ、マルグリットまでもが偽証の罪で火あぶりの刑を受けるのだ。 果たして、裁かれるべきは誰なのか?あなたが、 この裁判の証人となる。

本作は三部構成なのだが、基本的に「旧友同士であったカルージュ(マット・デイモン)とル・グリ(アダム・ドライバー)が仲違いしていく過程→ル・グリがカルージュの妻であるマルグリット(ジョディ・カマー)に暴行→マルグリットの訴えは軽視され、遂にはカルージュとル・グリによる決闘裁判までもつれこむ」という過程が三回繰り返して描かれる。

しかし、第一部はカルージュ、第二部はル・グリ、第三部はマルグリットと視点を変えて描かれるため、同じ出来事でも微妙に言葉や行動のニュアンスが変化していくのである。このような形式を「羅生門形式」と呼ぶが、本作は第三部のマルグリットの視点こそ”真実”としてはっきり提示されるため、「真相は藪の中」にはならない。

第三部、被害者であり最大の当事者である筈のマルグリットの視点を通して浮かび上がってくるのは、徹底的に物、あるいは空気のような存在として扱われる当時の女性の立場であり、またそれが2021年の現在においても理解出来る恐ろしさこそ、本作が現代に作られなければならなかった理由だろう。

本作への優秀な論考や背景解説はネット上に沢山あるので、当ブログでは本作における「手袋」について触れておきたい。

ご存知の方もおられるかもしれないが、決闘といえば手袋である。以前調べてはみたのだけれど確実な由来にはたどり着けなかったのだが、ヨーロッパでは決闘が成立する合図として「手袋を片方脱ぐ→相手がそれを拾い上げる(あるいは片手袋で相手の頬を叩く)」という動作が用いられる。映画の中でも度々目にするが、例えば91年版の『美女と野獣』のラスト、いつも喧嘩ばかりしている従者二人がそれを行うのが確認できる。

1386年、フランス、決闘裁判…。これらのキーワードから、私が映画鑑賞前から「出るぞ出るぞ、片手袋出るぞ」と胸躍らせていたのは言うまでもない。果たしてそのシーンは当然のように描かれていた。第一章、国王を前にした裁判において片手袋を地面に置いて決闘を申し込むカルージュ。マントを翻しそれを颯爽と拾い上げ受け入れるル・グリ。

しかし、映画を見ていくと、実はカルージュより先に手袋を脱ぎ捨てる人物がいた事に気付く。それは決闘を申し込まれた側のル・グリである。

第二章。ル・グリがマルグリットに乱暴をはたらく問題のシーン(ちなみにかなり凄惨な描写がされるので、ある種のトリガーになり得る。鑑賞の際には気をつけて頂きたい)。屋敷に急に訪ねてきたル・グリに迫られ、二階に逃げるマルグリット。その際、ル・グリの視点では階段を前にしたマルグリットは、靴を脱いでから上っていく。しかし、マルグリットの視点から同じシーンが描かれる第三章では少々違う。階段を上って逃げるマルグリットは靴を自ら脱いだのではなく、逃げる拍子に脱げてしまうのだ。「靴を自ら脱いだ」と認識しているル・グリは、その行為をマルグリットも自分を誘っていると認識していたのだから本当に都合の良い話だ。

寝室に逃げ込むマルグリット。扉をこじ開け押し入るル・グリ。ここで部屋に入ったル・グリは手袋を脱ぎ捨ててから行為に及ぶのである(第三章、マルグリットの視点からはル・グリの手袋がどのように描かれていたか分からなかった。どなたか教えて下さい)。

この描写。私は明らかに監督が意図的に決闘を申し込む際のカルージュの手袋と重ねていると感じた。つまりル・グリは「聡明でハンサムだと持て囃され自惚れているが故に、マルグリットも他の多くの女性と同じく自分を愛していると思い込み、その思いと性欲の暴発によって暴行に及んだ」だけではないという事だ。恐らくル・グリはマルグリットが”カルージュの妻だから”行為に及んだのである。

領土も地位も名誉もカルージュが手にする可能性があったものはことごとく、ピエール伯の寵愛を受けるル・グリが手にする。映画内では表面上、ル・グリは友であるカルージュの事を思っているようにも描かれていたが、彼はそのことに快感も得ていたに違いない。

しかし、美しいマルグリットだけは自分のものではない。(何故カルージュが…)。その思いがル・グリをあのような行為に駆り立てた。マルグリットに乱暴をはたらくことは、カルージュに対するはっきりとした宣戦布告でもあった。ル・グリはマルグリットだけでなく、カルージュのプライドも同時に犯していたのだ。だからこそ、手袋は脱ぎ捨てられなければならなかった。決闘は既にこの時点でル・グリの側から申し込まれていたのである。

快楽と性欲におぼれた凶行のみならず、恐らくそこには”男同士のプライドのぶつかり合い”という心底どうでも良いファクターまで上乗せされ、マルグリットは傷つけられた。

私はここに「相手も自分を愛していると思った」という都合の良さ以上の醜悪さを感じ取るのである。

まだご覧になっていない方は、是非手袋にも注目してご覧になって下さい。

ちなみに『燃えよ剣』公開中の原田監督のブログに書かれた『最後の決闘裁判』評が悪い意味で話題になっている。『燃えよ剣』は秀作だったので見ていない人まで批判してるのは残念。ただ、私は偶然『最後の決闘裁判』の後、同じ日に見た影響からか「“幕末の志士達の信念”とか言うけど、暴れられた料亭の女将や花魁とか、妻達とか、女性の目からはどう見えてたんだろうな?」と考えてしまったのだった。


最近の読書から『団地の給水塔大図鑑』

2018-10-25 19:38:40 | 番外

僕は生まれてから20歳まで東京の江東区で暮らしていた。同級生には団地暮らしの子と新しく立ち始めていたマンション住まいの子が半々くらいいて、僕はマンションの九階に住んでいた。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

僕の住んでいたマンションの隣には同級生も沢山住んでいる団地があり、その境界線には給水塔が経っていた。梅雨時になると団地内に生えていた枇杷の木に大量の実がなるのだが、小学生の頃、僕たちはいつも給水塔の周りのフェンスによじ登って枇杷の木に飛び移りそれを食べていた。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

「あんた達、勝手に食べてんじゃないよ!」<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

枇杷の隣の部屋に住んでいる婆さんがガラッとドアを開け、怒鳴り散らす。それも毎年の決まり事だった。枇杷を食べながら見上げる給水塔は、地域のランドマークとして堂々とそびえ立っていた。

しかし、そんな思い出はすっかり忘れてしまっていた。UCさんの存在を知るまでは。何がきっかけだったかは忘れてしまったが、日本中の団地の給水塔を撮り続けているUCさんを知った途端、僕は自分が給水塔の真横で20年も暮らしていた事を思い出したのだ。公園で遊んでいる時は給水塔を見上げ、ベランダから外を眺める時はほぼ同じ高さの給水塔が視界に入る。あんなに毎日見ていたのに、すっかり記憶から抜け落ちてしまっていた。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

マニアや研究者を知るという事は、そのマニアや研究者の視界を疑似体験するという事である。

UCさんを知って以来、旅行中でも給水塔らしき建造物があると思わず写真を撮ってしまう自分がいた。

<o:p></o:p>

Dmvtltovsaa127t
※大洗にて

数年前、面識もないUCさんにTwitter上で質問を投げかけた事がある。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

先日文京区のお寺から見えたこれは給水塔でしょうか?

<o:p></o:p>

Dccitvwuaaaeovf

UCさんは見ず知らずの僕に「これは歌舞伎湯という銭湯の煙突です」と教えてくれて、現地のストリートビューも添えてくれた。丁寧な回答に僕はお礼を述べたが、暫くしてある事に気付いた。僕は「文京区の寺から見えた景色」という情報しか伝えていない。そんな僅かな情報から最終的に銭湯の煙突である事を突き止め、所在地まで特定してしまう。しかもUCさんは関西在住の筈。僕は驚異的なリサーチ能力、情報収集能力にすっかり驚いてしまった。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

「この人は本物だ!」<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

マニアの凄味を知り、給水塔そのものも益々気になるようになっていった。電車に乗っている時なども、なんだか自然に給水塔を探してしまっているのだ。

そんなUC(小山祐之)さんが本を出版なさった。その名もずばり『団地の給水塔大図鑑』。(これは絶対に読まなくてはいけない本だ!)。僕は発売前に予約を入れたが、届いた本を読んでみると果たしてその予感は正しかった。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

まず単純に写真が素晴らしい。

Img_8369

給水塔に「消えゆく昭和の遺産」という寂しい印象を与えたくない為に、UCさんは「晴天の順光で撮影する」というルールを自分に課しているのだ。さらっと書いているがこれがどれほど大変な事か。例えば仕事の合間を縫って遠征した先でも、曇天であればその日は撮影が出来ない、という事だ。実際、数年後に再度撮影しに行く事もあるのだという。しかしその苦労の甲斐あって本書に掲載されている給水塔はどれも、僕が子供の頃に見上げていた青空に向かって伸びていく凛とした姿のままだ(しかしものによっては可愛らしさや異形の怖さも感じさせるのがまた良い)。

そして全ての給水塔に添えられたキャプションも何気ないけどやはり凄い。団地の建設年からその団地の戸数まで調べられている。気が遠くなる作業量。こういう所が銭湯の煙突を突き止めてくれた時に感じたUCさんの凄味だ。<o:p></o:p>

最後の方に掲載されているコラムも素晴らしい。「何故写真を撮るのか?」「何故分類するのか?」「そもそも“団地の給水塔”を定義する事の難しさ」などなど。すべて片手袋研究において僕がぶつかっている問題と重なる。だからこそ、自分も片手袋と向き合う際にUCさんほど徹底出来ているだろうか?と気が引き締まる。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

本書の中で一番心動かされたのは、とある団地の給水塔が解体された跡地の話。給水塔はなくなってしまったけれど、そこにはかつて団地の住民を見守り続けてくれていた給水塔のモニュメントが建っていたのだ。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

本書には僕が住んでいたマンションのすぐそばにあった南砂や辰巳の給水塔も掲載されている。しかし、以前ストリートビューで調べてみたら、あの枇杷の木の横の給水塔は解体されていた。本書の帯に都市鑑賞者の内海慶一さんのこんなコメントが載っている。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

「全国各地の団地の給水塔を10年間も撮り歩くなんて、まったくどうかしている。どうかしている人がいてくれて、本当によかった」<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

いつの日か人類にとって本書が、まさに給水塔の跡地に建てられていたモニュメントのような役割を担う事になるだろう。<o:p></o:p>

『団地の給水塔大図鑑』小山祐之(日本給水塔党首UC)著<o:p></o:p>

シカク出版

51vnmlqv2xl__sx355_bo1204203200_

http://uguilab.com/publish/2018watertower/

それにしても、僕もいつの日かこんな風に素晴らしい片手袋本をだ出せる日が来るのだろうか…。


新たな片手袋絵本発見!『だれのおとしもの?』を読みました。

2018-03-22 23:59:08 | 番外

いつもお世話になっている谷中の素敵な本屋、「ひるねこBOOKS」さんから情報が入りました。

「片手袋の登場する新たな絵本が見つかった」

と。すぐに一冊確保をお願いし手に入れる事が出来ました。それが今回ご紹介する絵本です。

『だれのおとしもの?』種村有希子 作/絵(PHP研究所)

Img_7222

表紙の女の子が持っているのは両手袋。一瞬「あれ?」と不安を覚えましたが、

Img_7223

裏表紙を見て納得。緑色の片手袋が描き込まれています。

お話は、まほちゃんという女の子が道端で手袋の落とし物を見つけた所から始まります。全部を書いてしまう訳にはいかないので、片手袋目線でその先の物語を説明すると、

「放置型の片手袋が介入型になるけど、最終的には実用型片手袋になるお話」

です。はい!全然意味不明ですね!でも読んで頂ければ全く嘘は書いていない事がお分かり頂けると思います。

寒い寒い雪の日のお話なのに、読み終わった後は温かな気持ちになる素敵な絵本です。一枚の片手袋を落としたり拾ってあげたりする事で、いつの間にか知らない人同士が繋がってしまう面白さも感じられると思います。何しろ絵がとても可愛らしくて素敵ですしね。

皆様も是非、読んでみて下さい!

そして、片手袋が登場する創作物にまた新たに素敵な作品が仲間入りしました。早速、一覧表に加えておきました。

2018


『最近読んだ本から』

2018-02-22 23:42:08 | 番外

片手袋研究のヒントになるようなものって、思わぬところにあるものです。今日は最近読んだ本の中から、片手袋について考える上で非常に大きなヒントになった本を二冊ご紹介致します。

①『観察の練習』菅俊一

Img_7088

こちらは手のひらサイズの可愛い本ですが、かなり直接的に片手袋研究と通じる本でした。

まず著者の菅俊一さんが撮影した日常生活の何気ない一コマが掲載されています。写真をじっくり眺めてからページをめくると、今度は菅さんがその風景の中に見出した小さな違和感が綴られています。それが60回ほど繰り返される本当にシンプルな構成。

でも読み終わって思ったのは、「幾つ答えを知っているかより、幾つの疑問を抱けるかが重要なのではないか?」という事。

Photo

例えばこの片手袋がある風景に、幾つの疑問を感じることが出来るか?片手袋研究を十数年続けてきて、結局当初より分からない事は多くなってしまったのですが、疑問の多さはそのまま世界へアプローチする道筋の多さに繋がるのかもしれません。

「観察」という言葉は時に、観察者と観察の対象者との間に壁が出来るような冷たい響きを持ってしまいますが、菅さんの観察は疑問を持った自分自身にも目が向けられているような、そんな印象を抱く本でした。

②『対話する医療』孫大輔

Fullsizerender

こちらは地元でご縁のある、東京大学大学院医学系研究科講師の孫大輔先生によるご著書です。

先生は僕の地元で屋台でコーヒーを配ったり、映画会や落語会を開催したりしているのですが、それらすべてが医療的課題に取り組む為にやられている、とお伺いしておりました。しかしその真意をきちんと理解していなかったので、新しく発売されたこちらのご著書を手に取ってみたのです。

そしたらなんと、医療や社会に対する問題提起は勿論、片手袋研究にめちゃくちゃ通じる話が満載なので驚きました!

1__

例えば僕はこのような片手袋が発生するまでにどんな物語があったのか、論理的(片手袋分類図やこれまでに積み重ねた知見)・感覚的(物語を妄想・想像してみる)両面から追及してきた訳です。しかし片手袋が発生したその現場を目撃したわけではないので、どれだけ精度を高めていっても、最終的には不確かな部分が残されます。

こうした患者の抱える「不確かさ」をも考慮するような医療者のアプローチとして、いくつかのモデルが提唱されています。(中略)その基本をなすのは、患者の「物語(ナラティブ)」に耳を傾け、患者が病気に関してどのような「不確かさ」を抱えているのかを理解する事でしょう。(P.206)

たとえばこの部分の「患者」を「片手袋」に変えてみれば、殆ど僕が取り組んできた問題意識と一致してしまうのです。

なので本著が「不確実性」に耐える方法として取り上げる様々な「対話」の事例は、医療だけでなくそのまま片手袋研究にも(そして社会問題全般にも)大変参考になるものでした。

これから殆どの人が経験する問題について書かれていながら、映画や哲学を例に読みやすくまとめられておりますので、皆様にお勧めします。

当たり前の話なんですけど、片手袋を研究していく上で参考になる先行の片手袋研究などなかったので、映画や本やアートなど、様々な分野の考え方を取り入れながら研究を進めてきました。

それでも今回みたいに、医療問題からヒントを貰えるなんてやはり驚きでした。これからもジャンルを問わず、様々な表現、考え、に触れていこうと思います。