雑に脱がれたウェットスーツかのような、ディスポーザル類の片手袋。
いやあ、いくらGWが始まったからって、初っ端から良い写真出し過ぎちゃったかな!でも、皆さんの喜ぶ顔を見る為なら出し惜しみしませんよ!
…このブログ、イマジナリーフレンドに向けて書いてます。
「あれ?片手袋研究家じゃないの?」
ええ、確かに「本来二つ揃いでないと役割を果たせないものが、一つだけになってしまった悲しみ」とか言ってきましたよ。でもそりゃあ撮りますよね、両手袋でも。日本の野球が好きな人だったら、大リーグだって気にはなるでしょう?それと同じですよ(例え話で話が余計混乱してしまう悪い例)。
ただ真面目な話、これらの両手袋は片手袋を考える上でとても重要なのです。何故なら、こうやって両方揃った状態で落ちてたり、外に干してあったりする時に強風が吹いて離れ離れになったりしたら、それはもう「二つの片手袋」なんですよ。
この辺、片手袋研究で一番最初に書いた話とリンクしてきますけど。
つまり片手袋が発生する条件は、“誰かが片方落としてしまう”だけではないんですね。風に吹かれたり、通行人が蹴ったり、車に魅かれているうちに遠くに行ってしまったり…。様々な条件が考えられる訳です。
例えばこの両手袋。先週築地で撮りました。それが今日同じ所を通ったら…
こういう状態になっていました。片手袋寸前、いや、人によっては既に片手袋二つだ、と言われてもおかしくない状態です。
両手袋が時間を掛けて片手袋になっていく。そんな過程を記録出来るからこそ、やはり両手袋も記録せざるを得ない訳であります。
…まあ、人から見れば揃いでも片方だけでもどうでも良い話だとは思いますが。
※今日の結論=両手袋も片手袋である。いやさ、世の中の大抵の物は片手袋である。
定点観測という手法があります。一般的には同じ場所(時には同じ時刻に)を定期的に記録し続ける事だと思います。僅かな差異が積み重なって、やがては全く違うものになっている。或いは全く変わらない。それが分かる面白味がありますよね。
片手袋は毎回撮る場所が違うので定点観測とは言えないかもしれません。
しかし、「人間が手袋を落とす、人間が落ちている手袋を拾ってあげる」という行動を点で記録し続けている、という意味において、やはり定点観測の一種ではあると思うのです。
だって片手袋なんて地味な存在にすら、スマホの普及とか、温暖化とか、そういう時代の流れによる差異が現われるんですからね。これこそ定点観測の醍醐味でしょう。
だからこそ僕は、“片手袋写真家”ではなく“片手袋研究家”を名乗っている事を忘れないようにしたいと、いつも思うのであります。