mixiの「片手袋コミュニティ」の皆さんに教えて頂いて、自分が重大な事を忘れているのに気付きました…。
何と私の片手袋研究、今週月曜、8/24で十周年を迎えていたのです!このブログでも「8/24は片手袋の日!」などという記事を過去に書いていたのに、情けない…。
8/24という日は、僕が「片手袋コミュニティ」を立ち上げた日なのです。片手袋自体に対する興味は小学校一年生から始まっているのですが、「写真を撮る、研究をする、そしてそれをネットにアップする」という活動、つまり個人的な趣味を公に問い始めてから(大袈裟だけど)十年経ったのです。
神戸ビエンナーレを機に、このおかしな研究も徐々に様々な反応を頂けるようになりました。そして今年は十周年を迎えるにあたり、「取りあえず何でもトライしてみよう!」という覚悟を年初から決めていました。
憧れのタモリ倶楽部出演を始めとして各種媒体に取り上げて頂いたり、ソーシャルデザインアワードで展示の機会を与えて頂いたり。当初想定していたより多くの機会を得て、また毎回それを見た方から沢山のご意見を頂く事も出来て…。十年前の自分が知ったら本当に驚くと思います。
日々の片手袋研究は地味でミニマルな作業です。しかしそれでも十年続けてみると、思いもよらない事になるんですね。
はっきり言って片手袋研究最大の謎は「何故僕は片手袋に魅かれるんだろう?」という事で、それは未だに分かりません。そしてその答えが出る日が来るのかも分からないのですが、十年前、最初に心に誓ったのは「何だか分からないけど、これは死ぬまで続けてみよう」という事なのでした。
答えが出ようと出まいと、片手袋研究が取り上げられようと取り上げられまいと、人に笑われても、もしくは無反応でも。とにかく「片手袋を撮り、思考する」という行為を死ぬまで続けていきます。その中で、たまには誰かから反応を頂けたら幸せです。
(なんか悲壮感漂う決意表明みたいになってしまいましたが、とにかく基本は何だか楽しいからやめられない、という事でもあるのですが)
今までちょっとでも片手袋研究に興味を持って下さった方、全てに感謝致します。これからもよろしくお願い致します。
片手袋研究家
石井公二
※片手袋研究最初の一枚(左)と、2015年現在最新の一枚(右)。何も変わらないと皆さんは思われるでしょうが、この二枚の間にどれだけ沢山の物語があったか。
都民として新国立競技場の問題はやはり常に気になっております。
明治神宮外苑は野球を見に行ったりイチョウ並木を楽しんだり、都民には親しみのある場所ですよね。しかも僕の場合、聖徳記念絵画館(80枚の絵画で明治天皇の人生、明治という時代に起きた出来事を知る事が出来る)に曾祖父の絵が飾られているので、たまに行く事があります。
新国立競技場を巡る諸問題は取りあえず置いておいて、良く考えてみればあそこに何もない、という景色が見られるのは今だけ。ふと思い立って、昨日国立競技所跡地周辺を歩いてみる事にしました。
昼ごろ信濃町の駅に到着して、まずは腹ごしらえ。前から気になっていた、水明亭というちゃんぽんと皿うどんのお店に直行です。
外苑前周辺は飲食店があまりないのですが、このお店は木立の中にポツンと建っています。
店内はお昼時という事もあり、サラリーマンで満席。ちゃんぽんは素朴でありながら野菜の旨味がしっかりスープに染み出しており、絶品でした。皿うどんも最高!
ここはなんと、前回の東京オリンピックの選手達も食べた、というくらい歴史があるお店なのです。店内にはその歴史を感じさせる写真が飾ってありました。
腹も満たされた所で、いよいよ国立競技場跡地へ。とはいえ水明亭からは目と鼻の先。すぐに到着しましたが、ここで予想外の事実が判明。跡地の周辺は殆ど工事用フェンスに囲まれていて、しっかり中が見られるポイントが殆どないのです。
仕方が無いので、一周ぐるりと歩いてみてポイントを探す事に。それにしてもあの大きな競技場が無くなってしまったので、何となく自分がどこを歩いているのか分からなくなってしまいます。途中ホープ軒が見えてようやく、「ああ、このあたりは競技場の真横だったんだよな」という実感を持ちました。
半周程歩いた所で、フェンスが若干低くなっている場所を発見。ようやく中が見えました。
当たり前ですが、綺麗さっぱり何もなくなっていました。でもかつてそこに競技場があった事を証明するように、跡地はすり鉢状になっていましたね。
古いものが壊され、新しいものが作られる。その両極だけに注目してしまいがちですが、当然その間には過程もある訳で。東京ドームを作る時、確か後楽園球場を徐々に壊しながらだったので、二つとも存在する期間があった筈なんです。そういう景色って、町が変わりゆく様を如実に物語っているので、とても貴重な気がします。
今回思いつきでしたが、この景色を見ておいて良かったな、と思いました。
そして当然、奴も現れてくれました。
取り壊された競技場は今でこそ話題の中心ですが、100年も経ったらもう誰も覚えていないかも。そういう歴史の移り変わりの中に、誰かが落としていった片手袋も存在していた、というのは何かを象徴しているような気がしました。
…例によって“気がした”という名の妄想でしかないのですが。
まだ暫くはこの景色が見られそうです。皆さんも良かったらぜひ。
築地の台車。冷凍マグロに揃いのゴム手袋。そして軍手の片手袋。
恐らく“軍手類放置型実用系片手袋”かな?と。つまり何か意味があってわざと片手袋になっているタイプです。
分類からいくと実用系ですが、状況からいくと度々ご紹介している“二つと一つ系(今作った名前ですが)”でもあります。両手袋の横にポツンと置かれた片手袋です。
このように、一つの片手袋が同時に複数の傾向に跨っている事も多々あります。分類するだけで安心せず、さらにじっくりと観察してみる事が片手袋研究においては重要なのです。
皆さんも是非その点、注意してみて下さい。そして、「俺だけはその“皆さん”とやらに入れてくれるなよ!」とお怒りのあなた!
…そんな事言わないで。
最近の当ブログ、片手袋の写真報告が少ない事からお分かりかと思いますが、あまり出会ってないのです(それでも普通の人よりは、驚異的な確率で出会ってるんだと思いますが)。まあチト仕事が忙しく、そもそも外出出来ていない、というのも大きいですけどね。
こういう何の変哲もない“軍手類放置型横断歩道系”でも、この時期は死に程嬉しいもんです。片手袋博愛主義、つまりどんな片手袋でも分け隔てなく愛する、ことを信条にしていますが、それでも冬場に出会っていたならそれ程嬉しいとは思わなかったかもしれません。
「当たり前だと思っていたものの大切さに、失ってから気付く」という通称“ロード第一章論法”は、片手袋の世界にも見事に当てはまりますね。
P.S 文中、“それでも普通の人よりは、驚異的な確率で出会ってる”という上から目線の表現がありましたが、普通の人はそもそも片手袋など探していない、という当たり前の事実に気付きました。謹んでお詫び致します。