何度も言いますが、片手袋が持っている一側面として、“人間に本来備わっている小さな優しさの産物”というのがあると思います。
落ちてる片手袋を拾った人が、見付けやすい所に置いてあげる。
まちで無言のうちに繰り広げられている、優しさのサイクルだと信じてます。
ところがここに、そんな僕の信念を嘲笑するかのような存在が現れたのです!もう、悔しくて悔しくて…。
写真を見て下さい。この片手袋が掛けられている木についている札。なんて書いてあります?
『エゴの木』…。
誰かが片手袋を優しく置いてあげた優しき行為を、“エゴ”と断言してるんですよ!こんな皮肉屋見た事ないよ!
ぼかぁ~ね、一生戦い続けますよ!こういう…、自分の下らなさと。
ちょっと分かりにくいですけど。無数のゴム手袋が落ちてました。おそらく六個ぐらい落ちてます。
何度か紹介しましたが、こういうの本当にややこしいんですよ。何故なら、可能性が幾つもあるからです。
“揃いの手袋が三組落ちてる”のか“二組の手袋と二つの片手袋が落ちてる”のか?勿論“六個の片手袋が落ちている”可能性だってゼロではないですし。
そういう事考えてると、「そもそも手袋なんて一つずつ作られるんで、“揃い”なんてのは人間が勝手に二つの片手袋を組み合わせただけ。だとしたらこの世の手袋なんて例え一組揃いの手袋でも全て片手袋なんじゃないか?」などと根本的な所に立ち返らざるをえない。
だから出来ればこの手の片手袋には遭遇したくないんですよ。待ち合わせに遅刻しちゃうんで…。