本日は片手袋に限らず「一つの事に集中する事によって見えてくる不思議な世界」について。
僕が片手袋を撮り始めた八年前。同時にmixiでコミュニティを立ち上げて、参加者に写真の投稿を呼び掛けた。嬉しい事に趣旨を的確に受け取って下さった方々が、続々と片手袋の写真を投稿してくれた。
僕もまちを歩くたびに目を皿のようにして片手袋を探す日々。僕自身の発見、そして投稿して下さる方々の発見により、当初想定したよりも遙かに片手袋の世界が広く深い事が判明していった。
僕はどんどん片手袋探しにのめり込んでいき、片手袋を見付けだす眼力は研ぎ澄まされていった。ちょっとオカルトチックな話になってくるが、そこまで集中力が高まってくると、「なんか、あそこの角を曲がったら片手袋が落ちてるような気がする」という不思議な感覚が襲ってきて、実際落ちている、という事が何回もあった。
まあ、これは“実際会った時の記憶だけを都合よく残している”という事だと思うのだが、それにしても一つの事を極めていくと不思議な世界を垣間見てしまう瞬間があるものだ。
例えばこれ。
例えばこれ。
家の前に停めてある自転車のかごに片手袋。しかもうちの家族の物ではないという…。
こんな事が続くと、僕が片手袋を探しているのか、片手袋が僕を追い掛けているのか分からなくなってくる。そして思い込みはどんどん加速していく。「僕と片手袋は何か強力な力で結ばれているのだ!」。
片手袋生活も八年になってくると、流石に初期の頃に感じていたそんな強烈な思いも落ち着きを見せている。最近はむしろ冷静に片手袋を取り巻く現象を分析、整理しようという態度になってきているし、それがこの毎週月曜日の研究発表に結実していると思う。
しかし最近、再び片手袋との強力な力を意識せずにはいられない物凄い事件が起きたのです!
それは、奥さんが押入れの奥から引っ張り出してきた古い写真を見ている時に起きました。
奥さんが親戚のお兄さんに抱っこされているだけの何の変哲もない写真。
僕と出会う遥か前の奥さんの写真に映り込んでいる片手袋…。
大昔の人は全く関係のない無数の星々から“てんびん”やら“やぎ”やら“へび使い”やらを見出し、そこに物語を重ねた。それは思い込みであっただろうが、思いこんでしまう人間の心の動きには何かしらの必然性があった筈なのだ。
だから僕も再び言おう。「僕と片手袋は何か強力な力で結ばれているのだ!」。