かたてブログ

片手袋研究家、石井公二による研究活動報告。

『両手袋問題を考える絶妙な事例』

2017-01-31 19:34:54 | 片手袋研究発表

片手袋研究における大問題の一つに、「両手袋の距離問題」というのがある。当ブログでもごく初期の段階から、折に触れて問題提起をしている。

簡単に言えば、「両手袋が落ちていた場合、その両手袋の距離がどのくらい離れていたら、人間は“片手袋が二つ”と認識するのか?」という問題である。

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これぐらいの距離だったら「あ、両手袋が落ちている」と認識するはずだが、それぞれが風に吹かれたり車に轢かれたりしているうちに距離が離れていけば、いずれ「片手袋二つ」になる訳だ。

その境目がどこにあるかは答えが出ていない。ひたすら具体例を収集していくしか道はないだろう。しかし突き詰めて考えていけば、「両手袋も片手袋である」という答えが出せそうなのだが、説明が長くなるのでここでは触れない。

さて、今日の朝。冬場によくみられる片手袋としては代表的な「ファッション類介入型ガードレール系片手袋」に出会った。

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横断歩道で信号待ちをしている最中だったので、撮り終わってなんとなくキョロキョロしていた。すると後方の路地に見つけてしまったのである。

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これはどう見ても先程の片手袋の相方である。柄が全く一緒だ。この二枚の位置関係を記録しておく為に、初めてスマホのパノラマ撮影機能を使ってみた。

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その距離、およそ20mくらいだろうか?これ程離れていれば殆どの人が「片手袋二つ」と認識するのではないか?いや、もっとよく考えてみると違うかもしれない。

つまり、どちらか片方の手袋しか認識出来なかった場合、「片手袋を見付けた」となるのだろう。現にもう片方の手袋を見付けてしまった瞬間、僕は「あ、両手袋だったのか」と思ってしまった。

今日のこのパターン、二つとも見付けられる可能性も、どちらか一つしか見つけられない可能性も、同じくらいの確立で考えられる絶妙な距離だったのだろう。こういう境界線上にある事例は大事にしていきたい。

それにしても僅か20mの差で片方は介入型、片方は放置型の運命をたどるのだから、やはり片手袋というのは何か我々の人生を象徴しているように感じてしまう。


『オンリー・ゴッド』

2017-01-30 22:21:17 | 写真

乗りたいバスが目の前で行ってしまった。

次が来るまで15分。重い荷物を持っていたので、その僅かな時間がキツイ。がっくり肩を落としながら、ふと視線を横にやると…

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おお!これを見逃さないように、片手袋の神がわざとバスを行かせて下さったのか!今日は暖かさのせいか外出中も片手袋を見掛けなかったので、嬉し過ぎるプレゼントだった。

でもさ。片手袋の神だか何だか知らないけど、やっぱり荷物は重かったのよ。


『シュレーディンガーの片手袋』

2017-01-27 20:08:47 | 雑感

「お!片手袋かな?」

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でもこの状態ではイマイチ分からなかったので裏に周ってみたところ…。表のゴミ捨て日のお知らせと裏打ちされた板の間に、この片手袋らしき物体が挟まっていたのです。指の部分でも露出していれば片手袋か否か判別できるのですが。

しかし私は片手袋には触れない主義。取り出して確認できない以上、この物体は片手袋かもしれないし、靴下かもしれないし、レッグウォーマーかもしれない。僕に出来るのは、その宙ぶらりんの状態を写真におさめる事だけでしたよ。

あれ?もしかしてこういうのが『シュレーディンガーの猫』って事?

え?違う?…ああ、そうですか。


『いてもたってもいられないわ』

2017-01-26 20:00:59 | 写真

先日、鶯谷の東京キネマ倶楽部で「二階堂和美 with Gentle Forest Jazz Band」のライブを見てきたんですけど。

ライブ開始が19時。仕事が終わったのが18時過ぎ。急いで着替えて家を飛び出し、会場に着いたのが18時55分位。何とか間に合ったので安堵しつつ、猛烈な息切れに苦しみながら入場列に並んでいると、見えてしまったのです。会場の前に落ちている角材に片手袋が刺さっているのが…。

でも列は進んでいるので抜け出せないし、開演時刻は迫っているし。(ライブが終わるまで無くなる事はないだろう)という判断を下し、後ろ髪ひかれる思いで会場に入りました。

ライブは本当に本当に素晴らしくて、仕事で疲れた体も自然と揺れてしまいました。しかし、僕の頭の中のどこかでは先程の片手袋がチラついてしまい…。正直、生きた心地がしませんでしたよ。

終演後、興奮冷めやらぬまま会場を飛び出し先程の場所に駆け付けると、

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良かった~、あったぞ!なんでこんな状況になっているのか分からない片手袋が!ホッと一安心。

…でもね、せっかくの素晴らしいライブを見ててもどこかで片手袋の事を考えている。これってどうなんでしょうね?僕の場合大好きな映画を見てても、どこかで「片手袋が映るんじゃないか?」と考えているんですよ。で、例えば『アナと雪の女王』みたいに実際に片手袋が出てくると、もうそれからは物語の本筋が頭に入ってこなくなってしまう始末。

これはもう、「趣味」とかじゃなくて「癖(へき)」ですよね。

片手袋は呪い

最近、この言葉を心の中で何度も繰り返してます。