かたてブログ

片手袋研究家、石井公二による研究活動報告。

『ここはだれの場所?』展にて

2015-11-16 23:19:33 | 番外

もう終わってしまったんですけど、7月18日から10月12日まで東京都現代美術館で開催されていた『ここはだれの場所?』展の事を書きたいと思います。

一般的にはこの展覧会、会田誠さん一家の出品した作品が物議を醸して話題になりました。

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しかし今日は別の作家の方の作品について書きたいと思います。それはドイツ人デザイナー、故ヨーガン・レールさんの作品です。

ヨーガン・レールさんは石垣島に暮らしていたそうです。しかし海岸に流れ着く大量のプラスチックゴミに心を痛め、それらを用いて作品を制作する事を決意。拾ってきたゴミを洗浄、色分けしてランプにしたのです。詳しくはこの解説文をご覧ください。

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※ちなみに最近の展覧会は撮影OKというのが増えてきましたね。

そうして出来たのがこちらです。

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人が捨てていった(あるいは忘れられてしまった)物達に美や意味を見出す。僭越ながら何となく片手袋研究に近いものを感じ、親近感を覚えてしまいました。

しかしさらに片手袋研究と接近するような作品がもう一つあったのです。それがこちら。

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何だかお分かりになりますか?これは海岸に流れ着いたビーチサンダルなんです。先程のプラスチックゴミは美しかったですが、人が身に付けるものだとまた違う迫力がありました。

そしてこれを見た瞬間、近年片手袋研究において注目を浴びている、“放置型海岸系片手袋”を思い浮かべたのです。

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※発生の経緯など、まだまだ謎が多い存在です

近年、海岸へ行くたびに目を皿のようにして片手袋を探していたのに、ビーチサンダルの存在に気付かなかったことが不思議でなりません。逆に、きっとヨーガンさんの目には片手袋は映ってなかったはず。

事実、会場には石垣島の海岸の写真が展示されていましたが、どの写真にも片手袋は映りこんでいませんでした。石垣島の海岸にだけない、という事は考えられないので、プラスチックやビーチサンダルを撮ろうとするヨーガンさんの目には、片手袋は入らなかったのだと思います。

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同じ海岸という場所で、同じ漂着物に、同じような思いを抱きながら、見ているものは違う。やはり人間て世界を見ているのではなく、世界に思いを投影しているのだな、と感じました。

とても面白い展覧会でした。


『キュッパのびじゅつかん』展に急げ!

2015-10-03 23:47:38 | 番外

大学時代の友人が一冊の絵本と展覧会を薦めてくれました。「石井君は絶対好きな筈!」と。

絵本は『キュッパのはくぶつかん』、展覧会はその絵本を元にした『キュッパのびじゅつかん』です。片手袋研究を初期から知ってくれていた友人ですので、これは気になる。早速絵本を買いに近所の本屋へ。

…これがね。素晴らしかったです。簡単な内容紹介をAMZONから引用しますと…

キュッパは、いろいろなものをあつめるのがだいすきな、まるたのおとこのこ。でも、はこもひきだしも、もういっぱいです。キュッパは、集めたものを分類して、ラベルをつけます。こんどはそれを展示して、記録に残します。最後はリサイクルと、なにをしたと思いますか?もしかしておかたづけって、芸術のはじまり?キュッパのはくぶつかんのはじまりはじまり。

つまりキュッパという主人公は、「何かを集める→研究観察→分類→公開→アーカイブ」という作業を経験するのですが、これはそのまま博物館が担っている役割なのです。と同時に、この作業って僕が試行錯誤しながら十年間、片手袋を通じて行ってきた事そのものな訳ですよ!

僕自身片手袋研究の面白味を伝えるのに苦労する事もあります。しかし『キュッパのはくぶつかん』は何かを集めたり分類したりすることの楽しさを、子供から大人まで誰にでも分かるように伝えてくれるのですから感心しました。しかもキュッパが森で集めてくるものの中に、沢山片手袋も描かれているのです!

こんな素晴らしい絵本を元にした展覧会も見てみたい!

と、いう事で昨日、仕事終わりに急いで東京都美術館へ向かいました。

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※ポスターにも早速片手袋が。期待大!

結論から言いますと、展覧会も素晴らしかった!

会場には「収集・分類」がテーマになっている作品がいくつも展示されていたのですが、やはりメイン会場の企画がとても面白かったです。

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※メイン会場

参加者は最初に木箱を一つ支給されます。会場にはまるで統一性のない雑多なものが所狭しと並べられているのですが、参加者は一つテーマを決めて(丸いもの・赤いものetc)その中からピックアップしていきます。

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※こんな感じで雑多な物が沢山並べられている

木箱に集めたものを並べて、何をテーマに集めたのかを記入したタグを付けたら、公開スペースに置いて終了。

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※僕の作成した箱。“2を感じさせる物”というテーマで作成。

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※片手袋をピックアップしていた人がいたので、横に置かせて貰った。

つまり、参加者自身がキュッパになり、キュッパが絵本で経験したことを疑似体験する仕組みになっているのです。

他の人がどういうテーマで箱を作成したのかを見るのも楽しいです。

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※この人のテーマは恐らく“黄色い物”

これはつまり、自分と違うまなざし、自分と違う思考で世界を見てみる、つまり「他人には世界がどう見えているのか?」を知る事にも繋がります。

また、一見雑多に見える物達も、一つテーマを決めるだけで視界がすっきり拡がる感じ。それは僕が片手袋を研究し始めてから、一見つまらない町並みが一気に複雑で豊かな景色に変貌してしまった経験と重なりました。

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※例えば“丸い物”というテーマを設けただけで、無関係に見えた物達が意味を帯びてくる。

絵本は最後、キュッパが「自分が今回経験した過程。それはもしかしたら芸術というものだったのかな?」と気付く事で終わります。“芸術”というと全く新しい感性によって全く新しいものを生み出す行為のように考えてしまいがちですが(そういう側面も強いのだが)、「既存のものをどのようなテーマで切り取り、選び取り、結論付けていくのか?」という視線。その視線そのものがまさに芸術であるのだ、というメッセージに深く共感します。

ただ二つ残念な事があって。一つは明日、10/4で展覧会が終了してしまうので、当ブログで強く推薦してもあまり意味が無くなってしまった事。もう一つは、片手袋研究とテーマが完全にシンクロしているこの展覧会に、アーティストとして参加させて貰いたかったな、という事です(いや、分不相応である事は分かった上で言ってますよ!)。

後一日ではありますが、お時間と興味がある方は是非行ってみて下さい!展覧会が終わっても絵本はいつでも買える訳ですし。

都美術館から出る時、こんな立て看板にすら何かシンクロニシティを感じてしまった僕でした。

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P.S それにしても片手袋研究を始めるきっかけとなったウクライナの『てぶくろ』、僕の十年間の活動を分かりやすく代弁してくれているような『キュッパのはくぶつかん』。両方共に福音館書店の本である事に、何か運命を感じましたし、お礼を言いたい気持ちで一杯です。


『国立競技場跡地探訪記』

2015-08-25 20:31:14 | 番外

都民として新国立競技場の問題はやはり常に気になっております。

明治神宮外苑は野球を見に行ったりイチョウ並木を楽しんだり、都民には親しみのある場所ですよね。しかも僕の場合、聖徳記念絵画館(80枚の絵画で明治天皇の人生、明治という時代に起きた出来事を知る事が出来る)に曾祖父の絵が飾られているので、たまに行く事があります。

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(この小さい国会議事堂みたいな建物ですね)

新国立競技場を巡る諸問題は取りあえず置いておいて、良く考えてみればあそこに何もない、という景色が見られるのは今だけ。ふと思い立って、昨日国立競技所跡地周辺を歩いてみる事にしました。

昼ごろ信濃町の駅に到着して、まずは腹ごしらえ。前から気になっていた、水明亭というちゃんぽんと皿うどんのお店に直行です。

外苑前周辺は飲食店があまりないのですが、このお店は木立の中にポツンと建っています。

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店内はお昼時という事もあり、サラリーマンで満席。ちゃんぽんは素朴でありながら野菜の旨味がしっかりスープに染み出しており、絶品でした。皿うどんも最高!

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ここはなんと、前回の東京オリンピックの選手達も食べた、というくらい歴史があるお店なのです。店内にはその歴史を感じさせる写真が飾ってありました。

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味も佇まいも申し分ないお店でした。

腹も満たされた所で、いよいよ国立競技場跡地へ。とはいえ水明亭からは目と鼻の先。すぐに到着しましたが、ここで予想外の事実が判明。跡地の周辺は殆ど工事用フェンスに囲まれていて、しっかり中が見られるポイントが殆どないのです。

仕方が無いので、一周ぐるりと歩いてみてポイントを探す事に。それにしてもあの大きな競技場が無くなってしまったので、何となく自分がどこを歩いているのか分からなくなってしまいます。途中ホープ軒が見えてようやく、「ああ、このあたりは競技場の真横だったんだよな」という実感を持ちました。

半周程歩いた所で、フェンスが若干低くなっている場所を発見。ようやく中が見えました。

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当たり前ですが、綺麗さっぱり何もなくなっていました。でもかつてそこに競技場があった事を証明するように、跡地はすり鉢状になっていましたね。

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古いものが壊され、新しいものが作られる。その両極だけに注目してしまいがちですが、当然その間には過程もある訳で。東京ドームを作る時、確か後楽園球場を徐々に壊しながらだったので、二つとも存在する期間があった筈なんです。そういう景色って、町が変わりゆく様を如実に物語っているので、とても貴重な気がします。

今回思いつきでしたが、この景色を見ておいて良かったな、と思いました。

そして当然、奴も現れてくれました。

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恐らくこの工事に携わる方が落としていった作業用片手袋。

取り壊された競技場は今でこそ話題の中心ですが、100年も経ったらもう誰も覚えていないかも。そういう歴史の移り変わりの中に、誰かが落としていった片手袋も存在していた、というのは何かを象徴しているような気がしました。

…例によって“気がした”という名の妄想でしかないのですが。

まだ暫くはこの景色が見られそうです。皆さんも良かったらぜひ。


『自由律俳句と片手袋』

2015-08-12 22:41:32 | 番外

芥川賞を受賞した又吉直樹さんの『火花』。駆け出しの漫才師徳永と、徳永が師匠と慕う芸人神谷の、数年間にわたる奇妙な師弟関係を主軸にした作品です。

二人は(というか二人でいる時は)舞台上だけでなく日常生活に置いても“面白い”を追求しているので、メールのやり取りも用件を書いただけでは終わりません。毎回必ず文末に自由律俳句のような短文を添えます。

・“夥しい数の桃”
・“カノン進行のお経”
・“エジソンが発明したのは闇”

メール本文とは関係ない文末のこれらの短文が、本作のとても大きな魅力になっているように思いました。意味はない、法則もない、マシマロは関係ない、本文とは関係ない…って途中から歌詞になってしまいましたが、「意味が無いからこそ意味を纏う」という逆説が、二人が手に入れられそうで入れられない“笑い”というものを象徴しているかのようでした。

又吉さんは自由律俳句の本も出されていると思いますが、僕も一時期、自由律、特に短律に興味を持った事があり、山頭火の評伝を借りて読んだりしました。今から考えると、それは片手袋に魅かれたのと同じような理由があったように思います。

・咳をしても一人
・まつすぐな道でさみしい

といった有名な句は、ただでさえ字数に限りがある五七五という定型から比べてもまだ少ない訳です。しかし、描いているもの、想像させるものも限りがあるかと言えば、そうではない。むしろ少ない事によって、受け取る側の想像は無限に刺激され広がりを見せます。

足りないからこそ、豊かである。これはまさに片手袋を見て様々な事を想像してしまう、という事と同じです。二つで一揃いの筈の手袋が片方になった事で、我々はその背後にある物語を想像してしまうのです。

このように、「自由律俳句と片手袋は似ているな~」などと考えていた僕ですが、半年ほど前に驚く事がありました。

今年の一月、TBSラジオ『OLERA』に出演させて頂きましたが、MCの緋田康人さんは自由律俳句の愛好家だそうで、番組内でもコーナーがあるようでした。

番組中で「自由律俳句と片手袋の親和性について触れられるかな?」と思っていたのですが、素人が生放送の時間読みを出来る筈もなく、僕の出演コーナーはあっという間に終わってしまいました。

CMに入り挨拶をしてブースを出ようとした時、アナウンサーの堀井美香さんが「片手袋を詠んだ自由律俳句もあるんですよ」と、尾崎放哉の句集を見せて下さいました。そこに書かれていたのが…

手袋片ッポだけ拾った

という“親和性がある”どころじゃない、ど真ん中の片手袋俳句だったのです!しかも放哉、放置型でなくいきなり介入型かいっ!

いや~、あの時は本当に驚きました。と同時に、僕みたいな訳の分からないゲストでさえ、事前のリサーチを怠らない堀井美香さんを尊敬しました。実は放送中、堀井さんが本番前に片手袋を探しにTBS周辺を一時間くらい歩いて下さったことが判明したのに、僕は緊張していてお礼すら言えなかったのです…。今でも悔いが残ってるんですよね。

まあとにかく。片手袋に関する妄想が現実になる瞬間の驚き、ワクワク。これがあるからやめられないのです。それらはどこに潜んでいるか分かりません。これからもあらゆるジャンルに目を光らせていこうと思っております。