年が明けて、また1月9日がやってきた。 タクさんは11年前、平成16年のこの日に亡くなった。
毎年この日には、親交のあった仲間が集まって思い出話をすることになっている。 東京のほか遠く九州・鹿児島でも同様の会が行われている。
以前にも記したが、タクさんは昭和38年に当時のDD社に入社し、私を海にヨットに誘ってくれた、というか私が後にくっついていった。 江の島のヨットコジキから始まり、油壷のゴキブリ生活、そして社内の良き理解者に恵まれて会社のヨット部を創立した。
以降、社内・社外を問わず、ヨットレースの活動を広げていった。
その後、タクさんは請われて某食品会社に転職、セールスプロモーション局長となり、全国でスポーツイベントを開催、地元スーパーと強い関係を築くとともに、全国の子供たちから人気を集めた。
子供たちを前にしたタクさんの名言に「人の話は目で聞け」というのがあり、多くのご父兄からも共感と賛同を得ていた。
ヨットに関しても思い出は山ほどあるが、その中のひとつ。
1977年、日本が初めてアドミラルカップレースに参戦したとき、タクさんと私は別の艇に乗って参戦した。 1国3艇による国別対抗戦である。 最後のロングレースで、アイルランド南のファストネットロックを回るとき、タクさんが少し先に、ほぼ同時だった。 私は大きく手を振り、タクさんも応えてくれた。 「俺たちとうとうここまで来たぜ!」 そんな心境だったと。
さて、9日金曜日、M編集長のアレンジで浜松町に集結した仲間は思い出で盛り上がった。ヨット部設立当時の1期生からゴルフの仲間たちなどなど・・・。北海道、福島、鹿児島の仲間たちとも電話で交流、再会を約束した。
ヨット部設立のとき、18歳で最年少のO合選手が現在の我々のチームの会長、ここ20年間、毎年南西諸島・奄美大島までクルージングをしている猛者が4人もいる。セールバック一つでどこの船にでも行かれるクルー、タクさんの申し子たちだ。