>これは、次々に与えられる課題を効率良くクリアできる人になるための教育が日本で長く続けられてきたことの弊害だと考えています。 >そういう思考から自由にならない限り、今のように“何が正解かはっきりわからない状況”を打破することはできません。
そうですね。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>僕がまず言いたいのは“答えは一つではない”ということ。
そうですね。考えの内容は、人人により違っていますね。それから、矛盾を含まない答え (文章) は全て正しいということですね。
>そして、答えにたどりつくための方法もまた一つではない。 >大切なのは、与えられた課題をクリアする力ではなく、自発的に課題を見つけ出して解決する力なんです。
そうですね。答えは単なる当てものではないですね。解決力ですね。
>「自発的に課題を見つけ出して解決する力」>みんなの介護 自発的に課題を見つけ出す力についてご説明いただきましたが、前刀さんが進めている「セルフ・イノベーション」とも関連するのでしょうか。
>前刀 順を追って説明します。 >セルフ・イノベーションの概念は3つの要素で構成されています。
>1.「Free Yourself=自分を解放する」>さまざまな先入観や固定観念、企業であれば前例踏襲といった縛りから自分を解き放つ。
有職故実は役立ちませんね。
>2.「Create Yourself=自分を創る」>自分を解放したうえで自分自身の価値と個性を見直して再定義する。
自分を確立することですね。 自主独立ですね。
日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
>3.「Exceed Yourself=自分を超えつづける」>現在の自分の状況をリセットし、そこからリスタートという循環を繰り返す。
新しい出発ですね。活躍の季節ですね。
>僕の見る限り、2の「Create Yourself」ができると、ほとんどの人は「自分はすごい」と満足して成長を止めてしまいます。 >しかし、それでは単なる自己満足。 >3の「Exceed Yourself」へ到達しない限り、セルフ・イノベーションを実現したことにはならないんです。
英語を使って説明するところが良いですね。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
>ともあれ、難しく考えることはありません。>簡単に言えば、何ものにもとらわれず、見たまま、感じたままを素直に表現できていた子どもの頃の自分を取り戻すことが、セルフ・イノベーションの出発点。
子供の頃が懐かしい。
>そして、自分で感じ、考えつづける人こそが「Exceed Yourself」を体現できるんです。
特亜三国 (日本・中国・韓国) の民には、現実があって非現実がない。現実を内容とする文章はあるが、非現実を内容とする文章が存在しない。
だから、技術 (実学) があって、哲学 (考え) がない。考えの内容は人様ざまであるので、個性的になる。だが、特亜三国においては、英米流の高等教育が成り立たない。
現実の内容を現実の中で再現すれば、それは模倣をしたことになる。
非現実の内容を現実の中で実現すれば、それは創造になる。
特亜三国の民は、模倣が得意で創造が苦手である。だから、模倣の競争には参入者が多く、創造には少ない。
模倣の競争は没個性の競争であり過酷なものになりがちである。アニマル風の競争である。個性を伸ばそう。創造力をつけよう。そして、ゆとりある人間らしい生活をしよう。
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