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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

王毅国務委員兼外相

2021-03-08 16:20:03 | 文化

 

>産経新聞 >中国、強硬姿勢続く米国にいらだち 台湾問題ではクギ > 2021/03/08 00:25

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>中国、強硬姿勢続く米国にいらだち 台湾問題ではクギ   

> 【北京=三塚聖平】中国の王毅国務委員兼外相は7日の記者会見で、バイデン米政権への警戒を隠さなかった。>トランプ前政権で悪化した米中関係を改善させる好機と捉えて接近を図った中国だが、自らが「核心的利益」と位置付ける香港問題などへの圧力はむしろ増しており、対中強硬姿勢を緩めない米国にいらだちを募らせている。  

 

中華思想に固執する中国の指導者たちは自己中心的であるから、世界中で野蛮人から受け入れられることはないでしょうね。   

 

> 「米国は新たな障害を作り出すべきではない」> 全国人民代表大会(全人代)の会場で行った会見で、王氏は対米牽制の発言を重ねた。  

 

王氏の発言は米国にも聞き入れられないでしょうね。   

 

>「協力を双方が追求する主要目標にすべきだ」とも呼び掛けたものの、批判のトーンが強まったのは明らかだった。  

 

中国人の無哲学・能天気の協力要請はアメリカ人には応じられないでしょうね。   

 

> 1月20日のバイデン政権発足前、王氏は「再び両国関係が正しい軌道に戻って協力することを望む」と強調。 >気候変動や新型コロナウイルス対策など、バイデン政権が重視する分野での協力を何度も提案した。 > しかし、今のところ中国が期待したような反応は得られていない。

 

バイデン大統領にはもっと重要な問題が他に在るからでしょうね。    

 

>香港や新疆(しんきょう)ウイグル自治区などでの人権問題への批判は強まる一方で、対中制裁関税撤廃へ向けた動きもない。

 

人権とは、すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利である。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)     

日本人も、中国人も似たようなものでしょうね。   

 

>習近平国家主席は2月に行ったバイデン大統領との初の電話会談で、米中間で各種の対話枠組みを再構築することを提案したが、米側からは事実上黙殺されている。  

 

中国は、アメリカの不満の核心を見落としていますね。   

 

> 全人代直前の今月3日にブリンケン米国務長官が表明した外交政策の大枠では、対中関係を「21世紀における最大の地政学的な試練」と位置づけた。  

 

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人が愛読して止まない。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。だから、独断専行に陥りやすい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこないから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。 

 

>中国側には「自ら失点を重ねるトランプ政権の方が相手にしやすかった」(メディア関係者)との見方が広がる。 > 緊張が増す米中の発火点になりかねないのが台湾問題だ。  

 

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外。

 

>王氏は「統一は必須だ。これは中華民族の意志だ」と述べ、台湾との関係強化を進めるバイデン政権に「台湾問題の高度な敏感さを十分に認識するよう強く促す」と迫った。

 

王氏は伝統的な自己中心的な中華思想の権化ですね。

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    

東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     

南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 

西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。

北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。

 

日本人にも中国人にも世界観がない。来るべき世界の内容を想定できない民族である。だから現実肯定主義者になっている。そして処世術から抜け出ることが難しい。   

 

 

 

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人それぞれ 2/2  

2021-03-08 10:07:56 | 文化

 

>結局のところ思考停止しているので、簡単に言えば何にも考えていないです。>考えることが、面倒くさいのです。

 

そうですね。思考停止をしている人は、無哲学・能天気ですからね。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになっている。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。         

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>

>例えば仲の良い人の話を聞いた後、人それぞれだよね。で会話が終わったら相手に失礼じゃないですかね? >大事なのは、相手の意見をしっかりと聞きつつ「自分の意見を述べること」です。 

 

そうですね。自分の意見を持つことが大切ですね。思考停止ではいられません。司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。 ・・・・・ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」   

 

>述べるには「自分が考える」必要があります。 

 

そうですね。自己の考え (非現実) を述べることが大切ですね。しかし、日本人にとってこれは容易なことではない。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>会話はキャッチボール。ですよね。>「人それぞれ」という言葉が、本当に相手に届きますか?

 

人それぞれだけのセリフでは議論・対話にはなりませんね。それぞれの個人にリーズン (理性・理由・適当) が必要です。リーズナブル (理性ある・理由になる・適当な) な答えの中にも違いのあることに着目しましょう。それが本当の人それぞれでしょうね。          

 

 

 

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人それぞれ 1/2  

2021-03-08 09:34:47 | 文化

 

>共認心理学:現代の精神病理 >365119   「人それぞれ」って最悪の逃げ言葉 >池谷菜奈子 ( 25 会社員 )       21/03/07 PM11

>仲間が何か判断をしたときに、「人それぞれだから、しょうがない」と片付ける人。  

 

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。   

 

>学生に会社のことを話せば「そんな考え方の会社もある。まあそれぞれ違うから」。 >【人それぞれ】、上記のようによく聞く言葉ですが、普通に考えてそれってすごく悲しい言葉だと思いませんか。  

 

そうですね。議論・対話の楽しみがありませんね。   

 

>「人それぞれは」一つの例ですが、一見素敵な言葉に聞こえるけど、本当は相手を突き放したり、本当の自分を封鎖してしまうような言葉がこの世には溢れています。 

 

そうですね。日本人の世界は基本的に問答無用の世の中ですからね。   

 

>リンクより引用

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>A:ぼくはこの〇〇の出来事についてこうだと思ってるよ!  >B:そうなんだ!でも考え方って人それぞれだし良いんじゃないかな。  >上記のような「人それぞれ良い」という言葉を使っている人は危険。  

 

それが無哲学・能天気の人達の会話であれば無意味てすね。  

 

>Aを見て、Bとも言える」と言ってしまう人たくさんいません? >ぼくは「人それぞれ良い。」という言葉に疑問を感じています。 >どの立場で言ってるんですかね。  

 

ご唱和の世界よ、さようならにはならないのですね。 自己の世界観が大切ですね。   

 

>今回は「人それぞれ」という言葉が逃げ言葉である理由と、この言葉を使ってしまう人の特徴をお話しします。 >あなたも今使っているのなら、ぜひお気をつけあれ。 

 

無哲学・能天気の人達の話ですね。自己の哲学があれば、人それぞれですね。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.     

 

>

>○思考停止している  >「思考停止」していますよね。

 

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。日本語には、非現実 (考え) の内容を語る為の時制のある構文がない。  

 

>人それぞれが議論の答えになるのなら、「議論する意味」がないですよね。  

 

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは考えではない。  

矛盾を含んでない文章は、全て正しい考えを表している。矛盾を含んでいる考えも、その矛盾を取り除けば正しい考えになる。

矛盾を発見し取り除くためには議論・対話が有効である。議論・対話を普及させよう。そして、正しい考え方を普及させよう。  

考えの内容は、人によりまちまちである。だから、正解は一つではない。幾らでもあるから、人間は個性的になる。考えのない人達は没個性的である。だから、自己実現が難しい。 

 

>じゃあ人それぞれ。という考えを持っている人が、人それぞれについてどう思うか。について議論をしたら? >答えはどうなりますかね。>おそらく「人それぞれ」になりますよね。

 

哲学的な人たちは個性的な人たちですね。考え (非現実) の内容は、人それぞれですからね。    

 

 

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