><事実に目覚める>
> 無宗教化が全世界的に増加している原因は何だろうか。>そもそも宗教に引力があった理由から考えてみたい。>誰もが私権(自らの所得や地位)の獲得を目指した世界の中で、どうあがいても私権を得られない貧民層は活力を失うが、私権を得られる権力者からすれば、彼らに働いてもらう必要があった。>そこで「現実では今の地位を変えることはできないが、( 架空の )神に祈りをささげ信仰することによって、次の世界で救われる」と説いた。 >これが宗教の始まりだ。
他力本願・神頼みですね。
>当然、宗教の引力は強力なもので、大量の信者を創り出した。
宗教は問題の解決策を提供する者でしたね。
>それが崩れつつあるのであれば、現実を直視する層が増え始めたといえるのではないだろうか。
見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。日本語には、非現実 (考え) の内容を語る為の時制のある構文がない。
現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。
非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。
理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。
>1980年以降全世界的に貧困を克服していったことで、私権の獲得が絶対目標でなくなる人が続出する。>そこから解放されれば、架空観念に収束する意味もなくなり、むしろ現実で何かを実現したい人が増加し始める。
非現実 (考え) の内容を現実の世界で実現できたら、それは創造したことにとになりますね。人間だけが持つ力を発揮したことになりますね。
>そこで必要になるのは、徹底した現実直視と、そこから事実を追求する思考だ。>つまり、全世界的に無宗教層が増えているのは、私権の強制圧力から解放され、現実直視→事実追求層が増加しているからではないだろうか。
そうですね。他力本願・神頼みは流行らなくなりますね。
>そうなれば、これからの社会においては、どこまで事実を追求できるか、つまり追求力が制覇力となるだろう。>今までの常識に捉われない、新たな可能性が顕在化する時代が楽しみで仕方がない。
日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
>引用終わり
>これまで戦争のために語られてきた「聖戦」等の言葉が無効化していく。>テロという誰かが作った架空観念が消えてゆく。>そんな単純なものではないだろうが、実にすがすがしいことだと思う
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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