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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

自分のことしか 2/2  

2021-03-10 20:47:03 | 文化

 

> しかし、現在の教育でそれが保障されているか。  

 

日本語による教育では、誰も哲学の完成を保証できないでしょうね。

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)  

 

>著者は「日本の子どもたちに与えられているものは、未来との関係である。>(中略)未来のために現在の時間を効率的に消費することがここでは求められている」(8頁)と述べる。  

 

そうですね。日本語のような時制のない言語では未来の世界の内容を想起することは難しいでしょうね。だから、常に現実の中で頑張るかありません。    

 

>ここで言う「未来」とは「自己の未来との関係のなかでいまの自分の時間を消費する」(9頁)という意味であり、「この構造のなかでは、他者はやせ細って」おり(8頁)「自己との関係だけが絶対化されてしまう」(9頁)。 

 

自己中心的な発想ですね。   

 

>つまり、現在の子どもたちは「未来の立派な大人の自分」に成長するためにのみ「いま」の時間を使っているーという指摘が為されているのだ。

 

そうですね。子供たちは自己の立身出世の為に今の時間を使っていますね。未来社会の内容を考えて建設計画を立てる努力はありませんね。  

 

> さらに、その結果を著者は次のように述べる。>「(その結果は)いまの多くの大人たちの姿をみればわかる。>何歳になっても自分のことにしか関心のない人間が大量に生まれ、それゆえに高齢者となって仕事をとおした他者との関係がなくなると、孤立と孤独が襲ってくる。 

 

そうですね。残念な結果ですね。無哲学・能天気の生活の結果ですね。   

 

>個人がバラバラになった社会と、誰にも関心をもたれずに生きることから生じる苛立ち、それがこのような生き方の結論になってしまった。   

 

そうですね。現実肯定主義の結果ですね。わが国のような序列社会においては、義理 (序列関係から生じる義務) が廃ればこの世は闇ですね。      

 

>いわば今日の教育は、この方向に向かって子どもたちを「成長」させているようなものだといってもよい」(9頁)。

 

世界観がないのであるから、日本人は現実肯定主義者になるしかありませんね。     

 

> 私たち教員は「子ども自身の未来のために」と子どもたちを学習に駆り立てている。 

 

我が国の教育は処世術に終始していますからね。   

 

>しかし、それによって子どもたちが他者との世界を拡大する機会を奪い、子どもたちの成長そのものを阻んではいないだろうか。 

 

そのとおりであると思いますね。我々日本人には、世界観が必要ですね。      

 

>子ども時代における、より広い関係性の構築の重要性を痛感した。  

 

そうですね。もっと子供の国際交流による視野の拡大が必要ですね。   

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>(リンク)

 

 

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自分のことしか 1/2  

2021-03-10 20:24:55 | 文化

 

>もはや学校は終っている

>348475        今の教育制度は、何歳になっても自分のことにしか関心のない人間を大量に生んでいる >竹村誠一 ( 40代♂ 営業 )       19/08/13 PM10 【印刷用へ】

>「将来○○になるために」と言われて育った人が大半だろう。  

 

そうですね。    

 

>そして自己の未来との関係の中でいまの自分の時間を消費する。 

 

そうですね。立身出世のための励みですね。   

 

>その構造の中では、他者はやせ細っており、自己との関係だけが絶対化されてしまう。

 

そうですね。あるべき姿という世界観の内容がないと、そういう事になりますね。    

 

>実は、現場の教員たちもその恐ろしい構造に気づいている。  

 

教員たち主導の構造改革が必要ですね。   

 

>以下、富山高教組のおすすめ:「子どもたちの時間と現代社会」内山節著より。

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> 私たちは、子どもたちがより良い大人に育つために教育を行っているが、「子どもが大人になる」とはどういうことなのか。  

 

子供が大人になるとは、自己の哲学 (非現実の内容) を得ることでしょうね。具体的には英米の高等教育機関において学位 (学士号・修士号・博士号) を得ることでしょうね。   

 

>著者は「自分がかかわっていく関係の世界が広がることだ」(7頁)と述べる。>正にその通りであろう。

 

そうですね。自己の世界観を発展させることですね。    

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それでそれぞれに独立した三世界になっている。この文法上の規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供の作文のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。        

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べになって個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

 

 

 

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