> しかし、現在の教育でそれが保障されているか。
日本語による教育では、誰も哲学の完成を保証できないでしょうね。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
>著者は「日本の子どもたちに与えられているものは、未来との関係である。>(中略)未来のために現在の時間を効率的に消費することがここでは求められている」(8頁)と述べる。
そうですね。日本語のような時制のない言語では未来の世界の内容を想起することは難しいでしょうね。だから、常に現実の中で頑張るかありません。
>ここで言う「未来」とは「自己の未来との関係のなかでいまの自分の時間を消費する」(9頁)という意味であり、「この構造のなかでは、他者はやせ細って」おり(8頁)「自己との関係だけが絶対化されてしまう」(9頁)。
自己中心的な発想ですね。
>つまり、現在の子どもたちは「未来の立派な大人の自分」に成長するためにのみ「いま」の時間を使っているーという指摘が為されているのだ。
そうですね。子供たちは自己の立身出世の為に今の時間を使っていますね。未来社会の内容を考えて建設計画を立てる努力はありませんね。
> さらに、その結果を著者は次のように述べる。>「(その結果は)いまの多くの大人たちの姿をみればわかる。>何歳になっても自分のことにしか関心のない人間が大量に生まれ、それゆえに高齢者となって仕事をとおした他者との関係がなくなると、孤立と孤独が襲ってくる。
そうですね。残念な結果ですね。無哲学・能天気の生活の結果ですね。
>個人がバラバラになった社会と、誰にも関心をもたれずに生きることから生じる苛立ち、それがこのような生き方の結論になってしまった。
そうですね。現実肯定主義の結果ですね。わが国のような序列社会においては、’義理 (序列関係から生じる義務) が廃ればこの世は闇’ ですね。
>いわば今日の教育は、この方向に向かって子どもたちを「成長」させているようなものだといってもよい」(9頁)。
世界観がないのであるから、日本人は現実肯定主義者になるしかありませんね。
> 私たち教員は「子ども自身の未来のために」と子どもたちを学習に駆り立てている。
我が国の教育は処世術に終始していますからね。
>しかし、それによって子どもたちが他者との世界を拡大する機会を奪い、子どもたちの成長そのものを阻んではいないだろうか。
そのとおりであると思いますね。我々日本人には、世界観が必要ですね。
>子ども時代における、より広い関係性の構築の重要性を痛感した。
そうですね。もっと子供の国際交流による視野の拡大が必要ですね。
>**************************
>(リンク)
.