>被災地 巨大防潮堤に複雑な思い「まるで知らない街のようで…」>2021年3月14日 16時5分 NEWSポストセブン >陸前高田市に建設された防潮堤。全長2km、高さは12.5mにも及ぶ(撮影/水田修)>写真拡大
きっと世界遺産になるでしょうね。歴史的意義があるからでしょう。いよいよ未来社会への突入ですね。
> 東日本大震災から10年、瓦礫の山だった場所は更地になり、街は新しく生まれ変わった。>震災でおよそ1800人が亡くなった岩手県陸前高田市は、江戸時代に植林された高田松原の7万本を津波で失った。>流されず、そこにとどまった1本が、復興のシンボルとしてメディアでも大きく取り上げられた「奇跡の一本松」だ。
さすがに松原では津波の被害を阻止できませんでしたね。
>【写真】地元住民から「さんてつ」の愛称で親しまれる岩手県の三陸鉄道
> 震災後、海水による損傷で枯死したが、保存プロジェクトにより再建された。>周辺は、約130ヘクタールという広大な敷地を持つ「高田松原津波復興祈念公園」として、整備されている。>高田松原をよく訪れていた佐藤テル子さん(82才)は、津波で48才(当時)の長男を亡くした。
心からおくやみ申し上げます。
>「震災後に入居した仮設住宅の窓から、ちょうど奇跡の一本松が見えました。>あの辺りは長男がまだ幼かった頃によく訪れ、祭りのときには綿あめやおみくじをねだられた場所です。>いい思い出ばかりだから、一本松が息子のように見えて、『何とか生き残ってほしい』と願っていました。 > 震災当時は本当に悲しくて苦しかったけど、一本松に救われた思いでした。
息子さんの死を無駄にはできませんね。
>風景は一変したけれど、コロナ禍が落ち着いたら、ぜひ皆さんに陸前高田に来てほしいですね」(佐藤テル子さん)> 10年という時を経て、壊滅状態だった街は瓦礫のひとつも残らず、生まれ変わった。
皆さんは新しい世界に移住を完了しましたね。新生活の始まりですね。
>岩手、宮城、福島の被災3県には、総延長395kmに達する防潮堤も建造された。>数十年から数百年に1度の津波に耐えられる規格で建造されており、高さは最大15.5mもある。
この次の津波には大丈夫でしょうね。犠牲者の死を無駄にすることはないでしょうね。
>この頼もしい「巨大な壁」に対し、「おかげで景観がすっかり変わってしまった」と語るのは、福島県浪江町西大行政区区長の大倉満さん(71才)。>「この付近は海沿いにでっかい防潮堤ができて、もう昔のように海は見えません。>私が小さい頃から知っている街はすっかりなくなってしまった。
新しい社会の実現ですね。安全第一ですね。これは世界の常識でしょう。世界中にある城郭都市がその証拠ですね。
>自分の故郷でありながら、まるで知らない街のようで、本当に気持ち悪い感じがします」(大倉さん)
我々は、津波で犠牲になった方々の死を決して無駄にすることはできませんね。現在の景色を語るときには、必ず犠牲になった方々のことを語り試練を乗り越えた努力を伝えましょう。それが死者に対する何よりの花向けになるのではないでしょうか。
> 津波にさらわれた街が新たに防災設備を備えたからといって、「元通り」とはいかない。
新生活には常に新たな知恵と工夫が必要でね。
>宮城県気仙沼市の怪談作家・小田イ輔さんも、「この10年で状況は大きく変わった」と語る。>「東京のような大都会は、日々新たな建物が造られては壊され目まぐるしく変化するものですが、東北の田舎の街並みは、いつまでも変わらないと思っていました。
自然災害の多いわが国では、いつまでも変わらぬ情景は期待できませんね。
>津波でほとんど流された街は都市計画に沿ってかさ上げされ、道路の通り方が変わり、それにあわせてコミュニティーは変化し、震災前の面影はほとんどありません。
我々は、常に変革を求める進歩的な人間でありたいですね。出現したものは新型の城塞都市ですね。津波も蒙古軍も女・子供を容赦しませんからね。
> もとの街は文字通り、地面の下にあります。よく、過去と未来を語るときなんかは、右が未来で左が過去というふうに横方向で描かれるのが常ですが、震災前後の時間軸は、上下の方向なのではないかと感じます」
幾多の古代の都市も地下に層をなして眠っていますね。
> ある程度の時間をかければ、街は再建される。>しかし、目に見えるものだけが犠牲になったのではない。>10年分の苦しみ、悲しみ、恐怖、孤独、あらゆる感情が地層のように東北の地と被災者の心に積み上がっている。
東北の新しい街を語るときには、必ず心に積みあがった苦しみ・悲しみ・恐怖・孤独の内容を語って世界の人に聞かせましょう。その活動が歴史的建造物に関する人類の真の価値と認められることを願ってやみません。
>※女性セブン2021年3月25日号
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