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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

後手に回る 2/2  

2021-03-20 20:44:59 | 文化

 

>  前にあるスポーツイベントで、試合のあとに選手たちを並ばせて「どうして負けたかわかるか?」と詰問している監督を見たことがある。>むろん監督は正解を求めてそうしているわけではない。>選手がどんな答えを差し出しても彼は「違う」と言ってはねつけるだろう。>彼は答えを査定する権利を行使することで、子どもたちに「誰がボスか」を思い知らせようとしてそうしているのである。 

 

監督が誰がボスかを子供に思い知らせても、合理的な解決は得られませんね。ああむなしい。       

 

>彼の問いにもし正解があるとしたら、それは「お前のようなやつが監督をしているからだ」なのだが、気の毒なことに選手たちはそれを口にすることが許されない。

 

監督と選手の間にはタブーがあるのですね。求める正解はタブーの中にある。だから、日本人は閉塞感に苛まれている。    

 

> 質問されてそれに答え、その答えの適否を査定される側はつねに「後手に回る」。 >だから、奇手ではあるが、「何を訊かれても答えない」という態度を貫けばたしかに「後手に回らず」に済む。 >現に、菅首相は官房長官時代その一手で記者たちの質問を退けて、「鉄壁」と呼ばれてきた。>しかし、その成功体験は総理大臣の職には適用できない。 

 

鉄壁は菅総理の発明した記者撃退法ですね。撃退法は指導性の発揮には役立たないでしょうね。

 

>「後手に回らない」と「先手を取る」はまるで別のことだからである。 

 

そうですね。後手に回らないとは、相手の後追いにならない事。これは相手があってのことですね。先手をとるとは、未来を先取りすることですね。相手の存在とは関係がない。      

 

>  一国のリーダーに求められているのは「質問に答えない」ことではなく、状況の「先手を取る」ことである。>「そもそも問題を起こさないこと」である。

 

日本人は現実肯定主義者ですから、問題が出現しなくては自ら動くことはできませんね。受け身で体を鍛えるという事になりますか。  

 

>コロナウイルスの感染拡大に先んじて適切な対策を講じ、愚策を採用せず、阿諛追従して行政を歪める官僚を重用しないでいれば、そもそも「問題」は起こっていない。 [阿諛 (あゆ) : おもねりへつらうこと]      

 

国は国民の生命と財産を守る義務がありますね。核兵器もワクチンも大国任せにしておいて本当に責任ある国の運営が果たせるでしょうか。他力本願・神頼みの姿勢が平和国家の真の姿なのでしょうか。

 

>  総理大臣は受験生でもサラリーマンでもない。>彼に求められているのは記者や野党議員に「言い負かされない」ことではない。 

 

そうですね。総理には、ああいえばこういうの議論に熟達する必要ないですね。時間の無駄です。  

 

>国の進む先を指示し、ヴィジョンを語り、国民を鼓舞することである。

 

そうですね。総理は我々の行き着く先を示すことが任務ですね。  

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。        

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。 

 

>自分の仕事がそういうものだということがわかっていないから「後手」を咎められるのである。

 

総理の仕事は、小間使いの仕事とは違いますね。自己の信念に自信を持って自己固有の指導性を発揮してもらいたいですね。   

 

>2021-03-15 16:51

>---------------------------

>転載おわり

 

 

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後手に回る 1/2  

2021-03-20 20:11:09 | 文化

 

>365480        学校教育の形式がそもそも「後手に回る」練習(内田樹の研究室)>孫市 ( 44 会社員 )     21/03/19 PM11 【印刷用へ】

>>気づいている人が少ないが、私たちは子どもの頃から、「後手に回る」訓練をされてきている。

 

日本人には意思がない。何事も後追いになるから後手に回るしかありませんね。  

 

>>問いを出されて、それになんらかの解を出し、正解すればほめられ、誤答すれば罰されるという学校教育の形式がそもそも「後手に回る」練習なのである。 

 

そうですね。それは調教形式ですね。アニマルには意思がない。      

 

>内田樹の研究室 より転載です >リンク >後手に回る >2021-03-15 lundi

>---------------------------

>毎月山形新聞の「直言」というコラムに寄稿している。>これは3月11日号への寄稿分。> 菅首相の政権運営について「後手」という批判がなされている。>感染症対策でも、Go To キャンペーンでも、山田内閣広報官の辞職でも、政府決定に世論の批判が収まらず、前言撤回に追い込まれたことを指している。 

 

仕方のないことですね。日本人には意思がない。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく

 

> 「後手に回る」というのは武道の言葉であるが、時間的な遅速を意味するわけではない。 >仮に難題にすばやく対応できても「先手を取った」とは言われない。 >まず難問があり、それに対してなんらかの解を以て応じるというふるまいはすべて「後手に回る」と言われる。

 

日本人の行動には受動があって、能動がない。受動の行動は後手に回る。   

 

>  気づいている人が少ないが、私たちは子どもの頃から、「後手に回る」訓練をされてきている。 

 

そうですね。だから日本人はおとなしい。自発性がない。      

 

>問いを出されて、それになんらかの解を出し、正解すればほめられ、誤答すれば罰されるという学校教育の形式がそもそも「後手に回る」練習なのである。 

 

そうですね。   

 

> 就職すると今度は「与えられた課題を適切にこなす」という仕方で「後手に回る」訓練が続く。>設問や課題がまず与えられ、それにどうやって対処するかを考えるというスキームになじんだ人たちは全員「後手」の人である。

 

そうですね。   

 

>  なぜ私たちはこれほどまで執拗に「後手に回る」訓練をさせられるのか。  

 

日本人には意思がない。受動ばかりの行動をする。すると、全てが後手に回る。  

 

>別に難しい話ではない。>問いを出す方、課題を出す方が「ボス」で、答えたり査定されたりする方が「子分」だからである。 

 

日本人の社会は序列社会ですね。親分が恣意 (私意・我儘・身勝手) による査定をする。子分が忖度でもってそれに応ずる。これは馴れ合いですね。   

 

>「上位者に無批判に従うマインド」を形成するために、私たちは子どもの頃から「後手に回る」技術ばかりを選択に刷り込まれているのである。   

 

何事もものの上下があってのことですね。 

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。 (ウスビ・サコ)       

 

>  実際に、ある種の政治家たち(例えばいまの財務大臣が典型だが)は記者の質問に対してしばしば相手が答えを知るはずのないトリヴィアルな質問を返して、マウントを取ろうとする。

>別に質問の答えを知りたいわけではない。

>彼らは経験的に「質問をして、答えを査定できる立場」を先取すれば、相手を「後手」に追い込むことができるという権力関係の消息を熟知しているからそうするのである。

 

彼らは対話には興味がないのですね。彼らは理屈抜きに力のない者には、現状を変える資格はないと信じ込んでいますね。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎・上>  (The Enigma of Japanese Power) の <ジャパン・プロブレム> 中で、日本語の”理解”について下記のごとく述べています。(p.59)

・・・・・ところが、たとえば日本語で「わかってください」というのは、「私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください」という意味の「ご理解ください」なのである。つまりそこには、どうしても容認してほしい、あるいは我慢してほしいという意味が込められている。したがって、このように使われる場合の”日本語”の理解は、同意するという意味になる。だから、”理解”の真の意味は、その人や物事を変えるだけの力が自分にない限り、そのままで受け入れるということである。、、、、、(引用終り)

日本人の官僚は外国人に対して忖度 (推察) の事を理解と表現するのですね。これでは、国際交流も難しくなりますね。      

 

 

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3つの視点  

2021-03-20 10:35:16 | 文化

 

>365481        「今だけ、金だけ、自分だけ」の発想が繁栄を阻害する

>直永亮明 ( 26 会社員 )      21/03/19 PM11

>リンク

>書店のビジネスコーナーに行くと、様々な書籍がありますよね? >ひとことに経営と言っても、マーケティング、マネジメント、財務、人材育成など、分野は多いです。 >書籍だけじゃなく、セミナーも数多くあります。 >これだけノウハウが揃っていれば、全ての企業が繁栄しても良さそうなのに現実はそうではありません。

 

景気・不景気にも関係があるでしょうね。   

 

>何が問題なのか? >昨年からそんな事を考えています。>もしかしたら、成功する前に諦めてしまったのかもしれません。>不測の事態に巻き込まれた企業もあると思います。 

 

そうですね。現実の世の中は千変万化していますからね。   

 

>しかし、もっと根本的な原因があることに気付きました。 >僕は昨年からホワイト企業大賞の企画、審査委員をしていますが、関われば関わるほどに、その根本原因に確信を持つようになったのです。 >それは三次元的な視点…「時間軸」「目的」「関係性」の3つの視点です。 

 

それは初耳ですね。   

 

>なんのこっちゃい?って感じだと思いますので、事例をご紹介します。>以前に僕が所属したある業界団体は、バブル崩壊を境にずっと苦境に立たされてきました。>毎月、会議があり様々な議論をしてきましたが、なかなか打開策は見つからない。>その原因は三次元が小さいからでした。  

 

話がちいせえのうという結論ですね。          

 

>会議では、いつも「今期の話」「目標数値の話」「自社の話」しか話題に登りませんでした。>つまり…「今だけ、金だけ、自分だけ」…三次元の空間が狭いのです。 

 

そうですね。近視眼的ですね。目先の事だけに囚われていますね。我々日本人には世界観がないからでしょうね。     

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により各内容の枠組みが異なるために、同次元で語ることができない。このような仕組みにより独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。

 

>何と、「1000年」先に、真の「幸福社会」の実現を目指し、互いの幸せを応援し合える「社会」をという3つの軸で考えているのです。  

 

哲学的ですね。三千世界の内容を論ずるようなものですね。       

 

>さらに深くお話をお聞きすると、多くの企業と同じように、マーケティング、マネジメント、財務、人材育成など様々なノウハウを学び活用していますが、活かし方が違うのです。>今期の金額目標を達成するために使うか、1000年先を見据えて使うか?では自ずと違ってきますよね。>もちろん、今期の業績を見ないわけではありません。>そうでないと破綻してしまいますから。>未来に繋げるための今期と捉え、必要な利益を出し社員さんと分配しているのです。

 

珍しい会社でね。金は手段にはなるが目的にはならない。無哲学・能天気の日本人には目的がないから、手段の目的化が頻繁に起こりますね。金が目的化するとその持ち主は吝嗇家 (けちんぼう) と呼ばれて蔑みられます。     

 

>社長の話をお聞きし、スキーと同じだと思ったのです。 >スキーの上級者は、視線を数十メートル先に置き滑り方をデザインしますが、初心者は、コケないことだけを考え目の前しか見ていません。 >結果的に初心者は、目の前で起きることに右往左往してコントロールできなくなり転倒してしまうのです。

 

技術力の違いによるものですね。   

 

>企業も同じではないでしょうか? >「今だけ、金だけ、自分だけ」から「長期、真の目的、社会」といった視野で活動することが大切だと思うのです。  

 

そうですね。各人に哲学が必要ですね。 Everyone needs a philosophy.     

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)  

 

 

 

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