聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

使徒の働き二五章6-22節「聞いてみたい話」

2018-06-10 16:48:38 | 使徒の働き

2018/6/10 使徒の働き二五章6-22節「聞いてみたい話」

 使徒の働き二五、二六章には、ローマから新しく着任した総督フェストゥスが使徒パウロの処遇をする経緯が詳しく書かれています。この新任の総督が、ユダヤ当局が目の敵にしているパウロと出会って戸惑う。そこにユダヤのアグリッパ王も巻き込まれて、パウロをどうしたらいいか、まずは話を聴いてみたい。興味をそそられて大会議が開かれていくという見せ場です。

1.「カエサルに上訴します」

 ざっくり言えば、パウロはギリシャまでの諸外国を巡ってイエス・キリストの福音を伝えてその諸教会からの献金を預かって、エルサレムにやってきたのですが、ユダヤの保守的な人たちにはパウロは赦しがたい存在でした。外国人と分け隔てなく接するなんてあり得なかったのです。新しい総督フェストゥスは、この問題を押しつけられる形になり、どうしようか困ってしまう。パウロに落ち度はないようでユダヤ議会の訴えも立証は出来ないし、かといって、パウロを釈放すれば、ユダヤ人のご機嫌を損ねてしまう。そういう板挟みになっていた様子がよく分かります。そういう所で、フェストゥスは苦肉の策として、9節で提案をします。

…「エルサレムに上り、そこでこれらの件について、私の前で裁判を受けることを望むか」

 ローマの行政上の首都カイサリアからユダヤ人にとって神殿もある中心地エルサレムに移すことは3節で出されていた祭司長たちからの懇願でした。ただしそれは、パウロを途中で殺してその口を封じるための思惑でした。フェストゥスは自分が一緒に行って、裁判を取り仕切ることで落とし所としようとしたのでしょう。そもそもユダヤ人の機嫌を取ろうとしての発言ですから、パウロの命を真剣に考えていたわけではないでしょう[1]。ですから、パウロは、

11もし私が悪いことをし、死に値する何かをしたのなら、私は死を免れようとは思いません。しかし、この人たちが訴えていることに何の根拠もないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカエサルに上訴します。」

12そこで、フェストゥスは陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「おまえはカエサルに上訴したのだから、カエサルのもとに行くことになる。」

 こうして27章でパウロはローマの未決囚として兵士たちに囲まれて船に乗せられ、なんとかローマに辿り着いて、使徒の働きは終わります。そのクライマックスへの曲がり角が、このカエサルへの上訴だと言えます。パウロは首都ローマに上って、その教会を訪問したいと願っていました。主もパウロにローマで証しをすると約束しておられた。そういう将来が、思いもかけず未決囚としてローマ兵の護衛付きで適うのでした。神様のなさることはやっぱり不思議だなぁ、予想もしなかった形で実現するのだなぁとしみじみ思うところです。

2.「カエサルに上訴しなければ」

 しかしこれは結果的に、です。パウロの上訴は思いがけない、大胆な発言です。フェストゥスがパウロにエルサレムでの裁判を提案した時、それをパウロは承諾すると思ったのでしょう。或いはそれを辞退して釈放を願うとは予想したかも知れません。せめて総督フェストゥス自ら裁判に同席するという恐れ多い申し出に、恐縮するだろうと予期したでしょうか。断って上訴なんて想定していたでしょうか。

 確かにローマ市民のパウロは上訴権がありました。しかしそれを実際行使するかどうかは別問題です。ローマ市民が全員、この上訴権を行使したとしたら、ローマは溢れかえり、費用も馬鹿になりません。まして、ローマ帝国の西の辺境であるユダヤからローマまで行くのは大変なリスクが伴います。

 二六章でパウロの弁明をじっくり聞いた最後で、フェストゥスたちはパウロの無罪を確信して、上訴しなければ釈放してもらえたのに、という感想をもらしているのです。パウロの見た目は貧しいユダヤ人です。祭司長たちが憎んで訴えているなら、コッソリ引き渡そうかと考えたコマの一人です。しかしその見窄らしいパウロが、カエサルへの上訴を申し出た。フェストゥスはパウロを何度も見直したことでしょう。

 もし皆さんがこのパウロのそばにいたらどうでしょう。カエサルに上訴なんて遠慮しようとしないでしょうか。フェストゥスの提案を祈りつつ受理しようとするでしょうか。そんな大それた状況は想像できなくとも、もっと身近な所で、自分の権利とか自由、チャンスを十分に生かしているでしょうか。助けを求める手段があるのに、遠慮したり言い出せなかったり、躊躇うのではないでしょうか。自分を主張する事は目立つようで、謙遜さがないようで、神を信じる信仰と相容れないように思ってしまう。そういう心理が働くのかも知れません。

 学び会で取り上げている内容に「アサーション」というコミュニケーションがありますが、ここでは「アサーティブ権」と言って次のような権利を挙げています[2]

 私はこうした権利をお互いに大事にすることに気づかされました。こういう考えを押し殺して、諦めて、裁き合って、気づいてもらうことを待つだけで流されていることが多いなぁと思います。

 確かに聖書は謙ることを教えます。神に信頼することを命じます。罪のない人は一人もいないことを宣言します。しかし、その人間の罪の教理を最も明確に宣言したのは誰でしょう。使徒パウロです。そのパウロが、ここで堂々と自分の権利を行使して、大胆に最大限に自分の希望を具体化する提案をしたのです。罪を謙虚に認めることは、自分の価値や自由を低く見積もることとは違います。むしろ、罪の赦しを下さるキリストから十分に赦しの恵みを戴くのです。罪は人の身分や政治的な損得や何かで命を差別して犠牲にします。ですが私たちは、遠慮や気後れなしに、自分も総督もカエサルも、犯罪者も異邦人も同じ人として生かそうとします。

3.「その男の話を聞いてみたい」

 13節以下アグリッパ王とフェストゥスの会話は、「死んでしまったイエスという者…が生きていると主張している」パウロから話を聞く場を設けようとなります。でもそんな奇想天外な主張なら、他にいくらでも信じがたい主張をする人はいたでしょう。しかしパウロはイエスの復活を主張するだけでなく、それがユダヤ当局から目の敵にされるほどの存在感になり、今は皇帝への上訴も厭わない。イエスが生きたもうという主張が、パウロのユニークな生き方、大胆な行動力、自由さになっていたからこそ、その男の話を聞いてみたいと思わせたのではないでしょうか。それはそのまま私たちがイエスから頂いた自由で無駄な遠慮の無い生き方です。

 パウロの願いはただ生き延びるとか無罪放免になる以上に、ローマを訪問することでした。でもそのためには無罪になって自由の身で伝道旅行を再開するだけが道でなく、上訴して未決囚としてローマに行く道もある、と柔軟に考えたのでしょう[3]。勿論「自分には自由になる権利があるのだ」と脱獄や不正や愚痴をこぼしていたでもありません。そんな苦々しい思いではなく、パウロは自分の願いのために生かせる機会を十分に生かしたのです。主が奇跡を起こして下さるのを待つよりも、今そこで使える手段を最大限利用しました[4]

エペソ五15…自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、16機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。」

 フェストゥスたちは「パウロは上訴しなければ良かったのに」と言い、聖書の注解者たちもそれぞれパウロの行動をとやかく批判します。でも、パウロが置かれた状況でどんな道があったかは、パウロでなければ分かりません。皆さんが置かれた状況でどう生きるのが賢明か、それは結局、他の誰でもなく自分で判断することです[5]。そして自分が伸びやかに生きて、周囲の方々にもイエスがそういう生き方を下さるのだと伝わるなら、それこそ、そこにはどんな話があるのか「聞きたくなる」ものでしょう。囚人が自尊心を持っている、奴隷が権利を行使する、病気で苦しむ人が芸術を作り、貧しい人が思いやりを示し、人間関係でズタズタに傷ついた人がユーモアを示す。そういう事実は、私たちの心を打ちます。

 

 そして私たちがそうできるかどうか以前に、イエスを思い出しましょう。イエスは、神の座から貧しいこの世界に来られました。抑圧され、憎まれ、病気の人の友となり、罪人と食事をともにし、裏切られ、あざけられました。囚人として捉えられ、理不尽に鞭打ちをされ、そして死なれました。イエスはその十字架の死を経て、そこからよみがえられて、今も生きておられるのです。今も生きておられ、どんな人をも尊厳を与え、生きる場所で出来ることを始めていく生き方をさせてくださるのです。

「生きておられる主よ。あなたが下さった尊い価値が私たちの心も生き方も新しくしますように。あなたは私たちを生かすために、死んでよみがえってくださいましたから。『出る釘は打たれる』と言われようと、臆せず遠慮せず、何が最善かを賢明に選ぶことが出来ますように。そして、私たちの精一杯よりも遥かに大きく不思議なあなたの導きを受け取らせてください」



[1] パウロは、フェストゥスの提案するエルサレムでの裁判には期待が出来ない現実も見据えています。既にユダヤ人の法廷には期待が出来ず、正義が明らかにされるとは考えていません。また、そこでの殉教も惜しまない弁明が「証しの機会」になればいい、という発想もしていません。翻って、冤罪が発生するシステムの一つに、「裁判でなら事実が明らかにされるだろう」という見込みがあるとも言います。パウロは、そしてキリスト者は、そういううぶな期待をしないのです。

[3] 上訴が協議で却下されたなら、釈放されてローマに行けば良いのです。

[4] ただ人が良いとか、立派だというのではなく、悪びれずにカイザルへの上訴を語るパウロの存在に興味を抱かずにおれなかったのです。それは私たちの模範でもありますし、私たちは自分にもどんな人も、囚人であろうと過去がどうであろうと、人がどう言おうと、与えられた機会を十分に生かして歩んでよいのだ。遠慮したり諦めたりせず、自分の願いや命を大事にして、助けを求めて良いのだ、という証しになっていけば、嬉しい事です。

[5] また、自分の価値を抑圧しようとすると、逆に卑屈さの苦しみから、自罰的だったり反抗心からだったりする行動を取ってしまう、痛々しいメカニズムになってしまいます。だからこそ、反抗心や諦めきれない思いや、臆病や自己卑下から行動せず、自分の心につながり、機会を十分に生かして、祈りつつ、出来る限りの行動を取ろう。肝心な決断を人任せにして、誰かが察したり、気づいて行動したりしてくれるのを待たず、自分から堂々と声を上げよう。それは、やがて神が私たちのために正しく裁いて下さる、という正義への希望からの行為なのだ。

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使徒の働き二四章10-27節「希望の力」

2018-06-03 17:21:50 | 使徒の働き

2018/6/3 使徒の働き二四章10-27節「希望の力」

 久し振りの「使徒の働き」ですが、使徒パウロがエルサレムの神殿で暴徒たちに掴まって殺される所をローマ兵に助け出されて、カイサリアに移送されるまでが二三章までの記事でした。今日の二四章は、ローマ総督フェリクスの裁判で、パウロが自分の弁明をした箇所です。

1.自己主張よりも

 大祭司側から出された弁護士テルティロの言葉は2~9節にあります。パウロを騒動罪や宮を汚そうとしたと訴えています。その訴えに対してパウロは冷静に反論します。10節で短く総督への口上を述べた後、自分がエルサレムに上ってからまだ日が浅いこと、自分が論争や扇動をしていることは誰も観ていないこと、エルサレムに来たのは同胞に施しをするためで、宮に上ったのも儀式に参加するためだった、と一つ一つ丁寧に答えています。事実は事実で、変えようがないのですから、焦ったり向きになったりせずに、冷静に語っています。かつてのパウロは頭に血が上ってステパノを石打ちにした人です。そのパウロが、ここでこんなに冷静に、落ち着いて語るように変わっている。神は人を変えてくださる方です。パウロがスゴいのではなくて、パウロを取り扱い、助け、落ち着かせてくださる主は、今も私たちに働いて、裁判所や議会や為政者の前でも弁明させてくださる、と思うと嬉しくなります。同時に、ここでパウロは決して、自分の身の潔白を晴らそうとするだけではありません。

14ただ、私は閣下の前で、次のことは認めます。私は、彼らが分派と呼んでいるこの道にしたがって、私たちの先祖の神に仕えています。私は、律法にかなうことと、預言者たちの書に書かれていることを、すべて信じています。

 これはパウロが裁判で要求されている以上の発言でしょう。根拠のない中傷を反論するだけでも良かったでしょうに、パウロは自分の立場を総督に伝えようとします。大祭司たちは「分派」と呼んで異端視していますが、パウロの生き方はナザレ人イエスの道に従って、先祖の神、聖書において御自身を啓示されて、イスラエルの民が証ししてきた主なる神を礼拝し、「律法…預言者」即ち旧約聖書に書かれていることをすべて信じています。更には

15また私は、正しい者も正しくない者も復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神に対して抱いています。

と自分の希望を語るのです。自己主張や弁明、汚名返上より、希望を証ししたいのです。かなりの自由があったとはいえ(23)未決囚としてカイサリアに留められ、そのまま二年もズルズルと自由を奪われていたのですが(27)、それでも釈放よりも信仰を語ったのです。ピリピ書ではハッキリと自分が投獄されたことが福音の前身に役立ったと知って欲しい、と言っています[1]。誰にとっても名誉や世間体は第一の関心事ではなく、もっと大事なものがあるのです。

2.希望と良心

 ここでパウロはひと言も「イエス・キリスト」の名前を言いません。「イエスを信じるなら救われる」と迫る伝道メッセージの枠から大きくはみ出した証しです。彼は二度復活に触れています。死者の復活を自分は信じている、という確信をフェリクスにぶつけます。でもその復活は「その審判の時にも裁かれないようイエスを信じなさい」という方向ではなく、

16そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。

という今の生き方に芯を与えているというのです。今ここで、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つ。神の前にも人の前にも恥ずかしくない生き方をしようと最善を尽くす。キリストが下さった希望が、今の生き方にとても健全な筋を通してくれる、というのです。

 この後裁判を一旦閉じてからもフェリクスはパウロを呼び出して、イエスに対する信仰について話を聴きます(24-25)[2]。パウロは

「正義と節制と来たるべきさばきについて論じた」

とあります。先の

「復活という希望のゆえに、良心を保とう」

とは順序は逆ですが、同じ一貫した生き方です。

「フェリクスは恐ろしく」

なったのですが、パウロは脅したかったのではないでしょう。抑もキリスト教の「福音」は「希望」であって、最後の審判で脅して、その裁きや地獄が怖ければイエスを信じるだけで救われる、と脅迫するものではありません。最近のアメフトの危険プレーや映画界のセクハラ問題、そして政治の世界でも、実力や権力を持っていることが「自分は特別だ」とか「暴力や隠蔽、賄賂や不正も自分には許される」と裁きを免除できるような発想が見え隠れします。だから裁きを免れる特権を語る宗教は、人気があります。そして、醜いのです。神への大義を盾に、現在の責任を不問に伏す醜いことが起きるのです。現在の暴力をさばかなくなります。そしてあらゆる暴力を助長さえしてしまいます[3]

 ここで登場したフェリクスは、ユダヤに赴任した時、人妻の美しさに一目惚れして魔術師を雇って当時の夫と離婚させました。それがこの妻ドルシラです。だから彼らには「正義と節制と来たるべきさばき」は耳が痛く、恐ろしかったのです。でも彼は、パウロから金をせびろうという下心を隠さず二年も過ごし、更迭される時もユダヤ人の機嫌を取るために無罪が明らかなパウロを釈放しない。良心より「下心」で動いた彼は勿体ない人生を送ってしまったのです。

3.良心と下心

 ここでの言葉で福音を言い直してみましょう。

 死は終わりではなく、やがて正しい人も正しくない人もみんな復活して、人の生き方は神によって全て明らかになるのです。総督や大祭司は見逃してもらえるとか、犠牲になってもいい小さい人とか、クリスチャンだから恥はかかないとか、そういう事はない。最後は一切が明らかになる。私たちの全ての罪や過ち、全てが神の前にさらけ出される。悪かった事はもう誤魔化したり言い訳したり隠そうとしたりせずに、本当に悪かったと心から認めて謝ることが出来る。自分のしたこととして引き受けて、恥じて、非難に甘んじる。しかしその時こそ、その自分のために、キリストが十字架にかかって罪の罰も痛みも全部引き受けてくださったとハッキリ分かるのでしょう。罰せられ切り捨てられるのでなく、主の赦しをいただいく。全てが明るみに出された上で、本当の和解と、本当の赦しと回復が起きる。見せかけなく愛されて永遠に過ごせる。これこそ、恵みの世界ですね。

 そういうゴールだからこそ、今ここでの生き方を、神の前にも人の前にも責められない良心を保つよう最善を尽くすのです[4]。人生の決断も、誰も見ていない時、やけくそになりそうでもどんな時も永遠に残るのです。また周りにいるどんな人も永遠の重みがあると気づく。パウロもフェリクスに最大の敬意を払いました。挨拶も語り方も決して上から目線ではありません。また普段からも論争や扇動はしませんでした。神の正義という名目で、非常識な生き方はしませんでした。福音がもたらしたのは、将来への希望だけでなく、今ここで、神の前にも人の前にも恥じない生き方の発見でした。ゴールに向かって今、コソコソせずベストを尽くして生きるよう変えられて行く。失敗もし、迷って悩みます。最善と完全とは違います。でも希望があるからこそ、失敗や迷いや悩みを恐れず、間違えた時には素直に「ごめんなさい」、分からない時には「分かりません」と、出来る事を喜んでしていくのです[5]。そのベストは決して小さくないのです。

 そういう飾らない生き方をするのは、将来の希望があるからです。それが私たちの証しなのだ、いつでも語れるようにとペテロが言っています[6]。逆に福音から語る場合は、その福音がまず今の自分の生き方に現れて、生き生きとした力になっているかが問われます。福音は人間の良心にとっても最も望ましい、憧れて止まない美しい力です。そして希望に溢れて、喜びから、肩肘張らずに生きて、失敗にさえ謙虚になれる、素晴らしい力なのです。

「主よ、あなたは私たちを愛され、世界を美しいものと見られ、真実を現されます。そのあなたの前に生き、あなたを信頼する人生を移してくださったことを感謝します。裁きから逃げる生き方から、希望に生きる道へ招かれた幸いを感謝します。あなたへの信頼ゆえに、肩肘を張らず、自分に正直になり、人生を愛おしみ、人を裁かず希望を分かち合う器としてください。」



[1] ピリピ2章12節~18節「さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです。13私がキリストのゆえに投獄されていることが、親衛隊の全員と、ほかのすべての人たちに明らかになり、14兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。15人々の中には、ねたみや争いからキリストを宣べ伝える者もいますが、善意からする者もいます。16ある人たちは、私が福音を弁証するために立てられていることを知り、愛をもってキリストを伝えていますが、17ほかの人たちは党派心からキリストを宣べ伝えており、純粋な動機からではありません。鎖につながれている私をさらに苦しめるつもりなのです。18しかし、それが何だというのでしょう。見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。そうです。これからも喜ぶでしょう。」

[2] どれほど深い興味からだったからかは分かりません。写本によっては、話を聴きたがったのは、フェリクスよりもドルシラだったという読みがあります。

[3] 戦争や犯罪、いじめやDV。裁判に訴えることが出来ない暴力や、裁判に訴えたのに結局、罪に問われず終わる場合もあります。そして、背景が複雑で、簡単に白黒などつけられない事件も沢山あります。だからこそ、最後には神が正しく、本当に全てを汲み取って、全てを明らかにして、裁いてくださることが希望なのです。人を罰するためではなく、自分の責任から逃げることなく、それを不問にするのなら福音は、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つ事には繋がらなくなってしまいます。

[4] 「使徒信条」の「我は…信ず」は「信頼する」「信頼を置く」という意味です。「私は天地の造り主、全能の父なる神に信頼を置きます」「私はイエス・キリストに信頼を置きます」「私は聖霊に信頼します」という温かく、心強い告白です。信頼できる存在がいる。本当に信頼できる方がいる。その方を裏切りたくない、いや何度でも赦して励ましてくださる方だからこそ、今ここでの生き方を大切にしたいというエネルギーになる。そういう生き方が証しになるのです。

[5] それで罪を犯さなくなるわけではありません。パウロも良心に恥じない人生だとは言っていません。沢山の過ちや心の貪り、惨めさを告白しています。ローマ書7章、Ⅱコリント書12章など。

[6] Ⅰペテロ三15「むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。」

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使徒の働き二三章11-23節「勇気ある避難」

2018-05-06 20:21:35 | 使徒の働き

2018/5/6 使徒の働き二三章11-23節「勇気ある避難」

 今日の箇所は、使徒パウロに対する暗殺計画というサスペンスが伝えられていました。元は生粋のユダヤ主義者の先鋒であったパウロが、イエスに出会い、今では他民族にも神の福音を届けて生きている。そのパウロに怒り、殺そうとした民衆から、ローマ兵の将校がパウロを救い出したのですが、遂に暗殺計画となって、パウロが救い出されていく、という顛末です。

1.主を証しするために

 もうこの暗殺計画で、パウロはエルサレムからカイサリアに移送されますので、エルサレムでのパウロの証しは終了するのです。この時点でパウロは出来る限りのことは果たして、これ以上留まる事は危険だという判断で、引き上げるのです。その事を示すのが主の幻です。

11その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。

 主はエルサレムでのパウロの証しを受け入れて下さって、目をエルサレムからローマへと向けさせます。ここで「勇気を出しなさい」とあるのは、パウロがこの時点でよっぽど落胆していたのでしょうか。主はパウロに頻繁に現れていたわけではありませんし、私たちが憔悴している時には神様が現れてくださる、ということもありませんから、あまりここでの心境をとやかく憶測しない方がよいでしょう。いずれにしても、この言葉はパウロを勇気づけたに違いありません。エルサレムでの証し、特に23章前半の議会でのやり取りは、学者たちも評価に苦しむぐらい理解しづらくて、パウロの証しは失敗だった、ちゃんと証ししていないとも思ったりするのですが、この幻は主がパウロの証しを責めておらず、受け止めて下さった証しですね。

 もうパウロを葬り去ろうとしか考えないぐらい、聞く耳は持たない段階でした。パウロは愚直に真っ直ぐ語るより「変化球」を投げたのです。ただ十字架の福音や自分の信条をオウム返しに繰り返すばかりが証しなのではありません。私たちがその主の御言葉をどう受け止めるか、私たちの生活や心に真っ直ぐに向かい合って来られる方の前に自分が立っているか、そしてそれを相手にも投げかけていく。そういう証しが証しなのです。そういう証しは、様々な形を取り得ますし、たとえぎこちなくて誤解や逆上で終わるとしても、主は受け止めてくださる。私たちのたどたどしい生き方も長い目で用いて下さる。そこに励まされて勇気を持てるのですね。

 パウロの告白に耳を貸したくない人々はパウロを殺すまでは飲み食いしないと誓って集まり、パウロを裁判にもう一度引き出したら、隙を見てパウロを殺そうと企みました。これをパウロの姉妹の子ども(甥)が聞いてパウロに知らせて、パウロは甥を千人隊長の所に送って、その夜、パウロは五百人近い兵士に囲まれてカイサリアに護送されていくことになるのです。

2.平気なふりをしない

 甥っ子が来た時、パウロはこうは言いませんでした。

「心配は有り難いが、自分には主がいてくださる。夕べは主が幻に現れて、これからローマで証しすることを保証してくれた。だから心配しなくて大丈夫。うちに帰って、イエス様に祈っていてくれ。君も教会に行くんだよ」。

 そこに気づかせてくれた説教を忘れられません[1]。パウロはこの時、逃げずに留まろうとはしませんでした。主が何とかして下さると信じるのが信仰だとか、ローマ兵の手をこれ以上借りるなんて証しにならない、などとは考えず、甥っ子を千人隊長の所に送って、自分の危険を伝え、対策を講じてもらいました。その結果、彼はカイサリアに護送されます[2]。ここでもパウロはまた守られて、救い出されました。以前のように、御使いが現れたり、地震が起きたりといった奇蹟はなかったにせよ[3]、ユダヤ人の甥っ子や異邦人の百人隊長が動いてくれました。あたかも彼らは神の御使いのように働いて、パウロの命を守ってくれたのです。

 逃げたり、このままではダメだと認めたりするのは案外難しいものです。

「逃げるなんて卑怯だ、逃げないのが勇気だ」。

 そう思い込みがちです。もう危険なのに思考を停止したり、危機的な状況なのに

「何とかなるんじゃないか」

と思い込もう。あえて考える事は拒否して、自分のやり方を変えたくない心理が働くのです[4]。その時、信仰さえ自分の行動の正当化に使うのです。

「自分で動かず祈って主が動いて下さるのを待つのが信仰だ」

と行動を禁じる声さえ聞く事があります。行動を起こしたくないための、まことしやかな口実として

「祈って待っています」

と信仰を隠れ蓑にするのです。逃げれば良い、頑張らなくて良いのでもありませんが、頑張れば何とかなる、信じれば解決するという精神主義は恐ろしい結果を招きます。

 この時パウロを暗殺すると呪いをかけて誓った人たちは、計画失敗にどうしたのでしょうか。本当に飲み食いしなかったのでしょうか。それを批判や笑うつもりはないのです。飲んだり食べたりしたんであってほしいのです。「それ見た事か」なんて笑ったりしないから、それはそれで真剣だったと認めるから、命を大事にしてくれよと思うのです。この十数年後、ユダヤとローマの関係が急速に悪くなりエルサレムがローマ軍に包囲されます。それでも多くの熱心なユダヤ人が「エルサレムは神の都だから大丈夫」と狂信的になって、都に籠城し続けるのです。このユダヤ戦争は、紀元七二年、餓死や自害で凄惨な最後を迎えます。死者は百万人とも記録されています。そうした行動とは違って、パウロは自分の命を大事にしたことにホッとします。

3.逃げる勇気

 主イエスが下さる勇気は現実の厳しさが見えない狂信とは違うはずです。現実をしっかり見つめ、出来ることをする勇気です。無理をして、神からお預かりした本当に大事なもの(いのち、心、人)を犠牲にする勇気ではなく、無理を認めて大事でないものから手を引ける勇気です。逃げたり引き返したり出来る勇気。助けを求め、相談し、解決に向けて行動を起こす勇気でした。パウロも自分の身を守る行動を起こしました[5]。いいえ、主イエスでさえエジプトに逃げ、危険な道を避け、本当に向き合う十字架の時までは安全な道に退かれました。

「イエスでさえ逃げた」「パウロは助けを求めた」。

 これは「逃げてはいけない」と思い込んで、自分を追い詰めて、自殺や鬱が減らない今の時代への慰めです[6]。学校のいじめ、過労死寸前の勤務、家庭の問題、人間関係の辛さ、或いは教会生活の負担もあります。そういうことは相談しづらくて、自分で解決できればと思いますが、やはり一人で抱え込まずに相談して、自分の安全を確保したほうが良い場合、恥ずかしがることはありません。具体的にどういう行動が賢明かはケースバイケースです。だから祈って奇蹟でも起きて解決してくれたら有り難いし、楽ですが、それだけが信仰だと言う狂信は危険です。勇気を持って手を引けるよう祈る場合もあるのです。

1コリント十13あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。

 パウロは「神は堪えられない試練には遭わせないのだから堪えるのだ」とは言っていません。堪えられるよう、試練とともに脱出の道を神は備えておられる、です。黙って堪える時もあれば、脱出の道が備えられていてそこから逃げる選択もありなのです。現実逃避とは違います。逃避は気を紛らわすだけでもっと問題をややこしくするだけです。

「脱出の道」

は新しい始まりへと通じる道です。ここでもパウロは、エルサレムから移され、それがローマに護送されていく道程になっていきます。彼の避難は次の証しへの「道」となりました。今も、厳しい出来事の中で、主はどんな道を備えてくださるか知れません。だから、意地で留まったり、場当たり的な気晴らしに逃避したりせずに、現実に臨機応変に行動しましょう。そのように自分の限界を素直に認めて、賢明に行動する生き方そのものが、主を証しするのです。

「私たちの隠れ家なる主よ。あなたは隠れる者を守り、蔑まない方です。どうぞ私たちに本当の勇気と知恵を与えて、あなたから授かった命を大事に育ませてください。現実を見つめ、危険を避け、ノーと言える勇気を与え、間違った逃避から救い出してください。与えられた生活で、本当の勇気をもって、自由に、喜んで生きることで、あなたの恵みを証しさせてください」



[1] 榊原康夫『使徒の働き』

[2] それが驚くような大軍による護送だったのか、実はパウロの他にも移送された人がいた、ちょっと前倒しになっただけの予定されていた護送だったのかは分かりません。千人隊長の親切だったのか、先にパウロを鞭打ちかけた失態を隠すためのわざとらしい大げさなパフォーマンスだったのかも不明です。ただ、いずれにせよパウロは馬に乗せられて、暗殺の手を逃れることが出来ました。

[3] 使徒五19以下、十二7以下、十六25以下、参照。

[4] この心理を「一貫性の法則」と『影響力の武器』(第3章「コミットメントと一貫性」、ロバート・B・チャルディーニ、社会行動研究会訳、誠心書房、1991年)で述べられています。同書は、人間がどのような心理で行動を起こすものか、また、それを利用して企業が商品を購買したり宗教勧誘や寄付を集めたりしているかを教えてくれます。

[5] パウロの甥が、おじの暗殺計画を知った時、それを知らせたのは本当に勇敢な行為でした。知らせた自分が裏切り者とされる恐怖を考えたら、祈るだけで黙って何もしなくていいのではないかと思いたかったかもしれません。それは信仰のふりをした優柔不断ですが、ともかく甥っ子は危険を冒してでも知らせてくれました。自分が出来ることを勇気をもって行動しました。

[6] ゲオルギー松島雄一「東風吹かば 第23回 主でさえ逃げた」『舟の右側』(地引網出版、2017年12月号)、40-41頁。

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使徒の働き二二章1-22節「話をさせてください」

2018-04-22 14:02:29 | 使徒の働き

2018/4/22 使徒の働き二二章1-21節「話をさせてください」

 このパウロの弁明は、同胞のユダヤの民衆を相手に語られたものです。結局最後は

「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない」

という怒号でかき消されてしまいますが、最初からパウロを非国民、神を冒涜して、神殿を汚す不届き者だと殺意に燃えていた相手でした。そういう相手に、パウロが何を、そして何故そんな話をしたのでしょうか。

1.自分の物語を

 まずパウロはここで自分の話をしています。自分の生まれ、育ちを話し、

「今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした」

と語り出しています。4節で

「この道」

と言っているのはキリスト教信仰、ナザレのイエスをキリストと信じる信仰のことです。それをかつては迫害し、捕まえて牢に入れ、死に至らせることもしていました。そういう自分が、6節以下、ダマスコへの道でイエスに出会い、その声を聴いて、目が見えなくなった。その自分の所にダマスコのアナニアという人が来て、祈ってくれて、目が見えるようになった、という経緯を語っています。そういう自分の物語を、淡々と伝えていくのがここでの「弁明」です。

 パウロは自分を殺そうとした人々の殺意を咎めませんし、「その考えが間違いだ」と非難もしません。怒っている相手に「でも」は絶対に禁句ですが、賢明なパウロは説得や議論は避けています。相手のことも「神に対して熱心」と認めますし、自分の証人として大祭司や長老会全体も名指して信頼を寄せています。ダマスコのアナニアのことも

「律法に従う敬虔な人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人たちに評判の良い」

と紹介します。とても謙虚に誠実に語っています。上から目線ではありませんし、権威に訴えるようないやらしさもありません。不用意に反発や敵意を煽るような話し方をしない。自分を殺そうとした相手、敵視している人々です。その相手にパウロは語りかけるのです。抑も22章32節以下で兵士たちに助け出されたまま保護されてもいいのに、わざわざ立ち止まり、

「お願いです。この人たちに話をさせてください」

と言うのが尋常でありません。パウロはこの人々を「暴徒」「無知な群衆」でなく、話し相手、自分を伝えたい相手と思って止みません。相手も神を大事にしていると尊重しつつ、自分の出会ってきた神を語るのです。対決ではなく対話を求めるのです[1]

 こういうパウロの姿勢は、主イエスご自身を思い出させます。イエスは、御自身に敵対する人にも、当時蔑まれていた人や誰に対しても、敵や他人としてではなく人として向き合われました。自分を十字架につけ嘲笑う人々のためにさえ祈られました。そのイエスの心が、パウロの中に生きています。そして私たちのうちにもこのイエスの心を戴きたいのです。

2.「何をためらっている」

 しかしそのパウロの「対決より対話」という姿勢そのものが群衆には我慢なりません。

「こんな奴は地上から除いてしまえ、生かしておくべきではない」

と声を張り上げたのです。「ナザレのイエスをメシアだと言うなんて奴は神を冒涜している。だから捕まえてもいい、殺してもいい」。それはかつてパウロ自身の正義でした。これは「対決型」の信仰です。「報復/懲罰」の正義です。勧善懲悪で考え、神も逆らう者は罰するのだと考えます。ルールに従わない者は罰や暴力を振る舞われても文句を言えない、という論理が罷り通ります。最近、人種差別をテーマにした映画を観て、考えさせられていたら、その映画にも差別が沢山あるという見方もあると知りました。でもその批判が講じて、映画に対して「お前が一番差別主義者だ」とこき下ろしてしまう。自分に気に入らない問題はあったとしても、「だから何を言ってもいい、何をされてもお前が悪い」という懲罰的考えは、悲しいことに私たちに深く染みついています。[2]

 しかし14節以下アナニアは何と言いますか。主はパウロを断罪して懺悔させるより、御心を知らせ、義なる方を見て、御声を聴く関係へと選ばれました。そして義なる神がどんなお方かを伝える証人となさるのです。それは躊躇(ためら)わずにおれない正義でした。パウロは、どう償えば神は受け入れるか、どう自分を罰したら良いかと考えたとしても、アナニアは

「躊躇わずに立ち上がり、主の名を呼び、洗礼を受け、罪を洗い流しなさい」

-償いや反省や自罰的な態度ではなく、躊躇わずに主のもとに行く。その新しいスタートこそ主の求めること、私たちを求めてくださる義なるお方の御心。「悔い改め」を言うならば、「悔い改めなければ受け入れられない」ではなく、主の元に行き赦しを戴く事こそ「悔い改め」なのです。これはかつてのパウロには躊躇わずにおれない考えだったでしょう。しかしそれこそが、主なる神の御心です。神である主はそういうお方だ、という驚くべき出会いをパウロは体験したと話しています。[3]

 その後パウロはエルサレムに帰って、宮で祈っていたと言います。彼はこの後も神殿で祈ることを大切にしていました。また同胞に対する熱い思いも変わりませんでした。しかし主はパウロに

21行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす」

と言われます。これを聴いて、人々はもうこれ以上聴いちゃおれんと、話を中断するのです。それは、彼らもパウロの話に躊躇った、あまりの主の恵みの大きさ、途方もなさに聴いていられなくなったからでした。

3.報復から修復へ

 パウロは、宮の冒涜という誤解を糺して自分を正当化するより、この宮の主がナザレのイエスその方だ、赦しの神で、異邦人に自分を遣わされた主だと証ししました[4]。これを聴いて人々が怒り狂ったのも無理はありません。パウロの弁明は失敗だったのでしょうか。いいえ、承知の上でしょう。かつて熱心な迫害者だった自分が変わった奇蹟さえ決定打にはなりがたい人間の頑固さも熟知しています。「だから話しても分かるまい」でなく、それでも語りました。今はこの驚くほどの恵みが理解されなくても、いつか気づく日が来る。かつての自分がステパノを殺したけれど、今あの証しが胸に刻まれているように、そうなる事を願って、精一杯証ししたのです[5]。勧善懲悪という枠を覆す偉大な恵みの神を証しする一石を投じ続けたのです。

 こういう神に対する抵抗が人間に強くあることも聖書には繰り返されています。来週のヨナ書もこれがテーマです。勧善懲悪や因果応報のほうがスッキリするし、自分が正しいと思いたがる。また人を動かすにも「神の御心だ」と脅すのは迫力があります。でも主はそんな杓子定規なお方ではありません。全てを知り、人間の限界や誤解や過ちを知り尽くした上で、裁くよりも回復へと導かれるお方です。その正義は、懲罰や報復よりも修復を目指す正義です。報復という考えから、人間を救い出し修復してくださるのが聖書に繰り返されている神の物語です。人が神の名を振り翳して争ったり傷つけたり怯えるのを止めて、私たちの帰りを待ち、喜んで迎えてくださる神に出会うようにと、主は私たちをじっくりと導かれるのです。自分が正しいと思っていると力尽くで抵抗しますが、自分の限界を知る者にはこの上ない慰めがあるのです。

 それは言葉や思想ではいくらでも言える綺麗事ではありません。主なるイエスご自身が、この世界に来て、十字架と死と復活で証ししてくださった事実です。また、パウロを変えたことも主の御心でした。主は私たちの歩みに今も働いて、断罪とか懲罰とは違う正義、対話や修復という慰めに満ちた正義を築こうとされるのです。この恵みによって、私たちの人との向き合い方を変えて、主の正義の証人としてくださる。人を敵だとか決めつけず、貶(けな)さなくなるだけでもどれほど世界は美しくなるでしょう。そのようにして、主イエスの恵みが伝わるのが伝道です。私たちにそれが出来るかどうかではありません。主が懲罰よりも癒やしを下さる神だ。御自身の十字架の犠牲さえ厭わなかった主だ。この恵みと派遣の主を私たちは信じ、礼拝しているのだ、と確認しましょう。そうして自分をも人をも、主の御手の中に見ていきましょう。私たちのささやかな証しを、主がその時の中で必ず益としてくださると期待しましょう。

「義なる主よ。私たちも、躊躇するほどの憐れみに招かれて今ここにあり、ここから遣わされていきます。どうぞ憎しみに希望で、非難に友情で応えさせてください。脅しや敵意にも恐れず媚びず、友情や祝福を、自由やユーモアをもって応えさせてください。主の恵みの福音が、言葉だけでなく、私たちを生かす恵み、私たちの喜びや成長として届けられていきますように」



[1] 勿論パウロは相手に媚びて怒りをただ宥めようとはしていません。

[2] この場合の「私たち」には、キリスト者も教会も含みます。教会の伝道が「対決型」であったことは歴史において散見されますし、近年の伝道熱心な「福音派」がそのような問題を抱えていたことも今では公に指摘されるようになりました。

[3] 14彼[ダマスコのアナニア]はこう言いました。『私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。15あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。16さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』

[4] これはパウロや新約だけの新奇な信仰理解ではありません。旧約においても、赦しと回復、神の「怒るのに遅く」あられる忍耐などは十分に証しされています。イザヤ書六章で、主は神殿で「私はもうだめだ」と罪を自覚したイザヤに赦しを与えてくださいました。そして、そのイザヤを預言者として派遣されました。パウロはここで、イエスがその主であり、イザヤのように自分に赦しと派遣を与えてくださった、と発言したのです。それは「爆弾発言」でもありましたが、イザヤに起きた出来事の延長でもありました。そして、そのような類似性に気づいたからこそ、彼らには許しがたかったのかもしれません。

[5] 「正しいのは自分の方だ。今に分かるさ」という優越感ではなくて、そういう人間的な「どっちが正しいか」を越えて私たちを迎え入れ、また結び合わせてくださる神の証しです。

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使徒の働き二一章17-32節「尊重し合う」

2018-04-15 18:22:17 | 使徒の働き

2018/4/15 使徒の働き二一章17-32節「尊重し合う」

 パウロはエーゲ海周囲での伝道に区切りをつけ船旅を続けて、ようやくエルサレムに到着した。それが今日の21章17節です。前々から予感があった通り、神殿で暴動になり、殺されかけ、あっという間にパウロはローマ兵に囚われて、使徒の働きの最終段階が始まります。

1.誤解の背景

 パウロがエルサレム教会に着いた時、そこにはギリシャやアジアの諸教会から送られた献金を届けるという大事な目的があったはずです。しかしその事には何も触れられていません。むしろ、パウロとの間に深刻な不信感があってそれを解決しなければならなかった状況が鮮明になるのです。喜んで迎える兄弟たちもいましたし、ヤコブや長老たち、主な指導者層はパウロの報告を聞いて

20神をほめたたえ…「兄弟よ。…」

と呼びかけるのです。しかし、それでいて、エルサレムの教会のユダヤ人キリスト者は、パウロが異邦人伝道をしながら、そこにいるユダヤ人たちに

「子どもに割礼を施すな。慣習に従って歩むな」

モーセの律法に背くよう教えていると聞かされて、心穏やかならぬ思いでいた。もし、このままパウロが来た事が彼らに知られたら大変だ、という状況だったのです。そこで、彼らの提案が、ちょうど神殿儀式で誓願を立てている四人がいるので、パウロも参加して費用を払ってほしい。そうすれば、パウロが律法を守って正しく歩んでいることが分かるだろう、という提案です。

 これにパウロは従うのですが、皆さんならどうするでしょうか。なかなか面倒くさいなぁと思うでしょう。そこに初代教会が選び取った状況のヒントがあるのでしょう。

 キリストの十字架において、律法の生贄や儀式はその役割を完了しました。それでもエルサレム教会の信徒たちは神殿儀式や律法の規定も守っていました。それがエルサレムでの生活でしたし、律法本来の福音・約束を受け取る恵みがあったから、また、信仰と両立できたからです。しかし異邦人社会ではエルサレム神殿も律法も割礼も全く馴染みがなく、躓きや高すぎるハードルでしかありません。ですからパウロもエルサレム教会も、25節の最低限の倫理だけで十分としたのです。それは随分違う生活スタイルを認めたことでした。キリスト者の形式はこうだ、と決定版を持たないことを選んで、お互いの状況を尊重し合う、大決断をしたのです。

 それまでのユダヤ人の考えは違いました。世界中どこでもユダヤ教の形式を守っていました。それはそれで分かりやすい利点があります。しかし教会はあえて分かりやすさより、面倒くさい多様性、形式の自由さを選び、またそれを認め合い尊重し合う道を選んだのです。[1]

2.誤解からの暴動

 かつてのパウロはこんなに柔軟ではありませんでした。その姿は27節以下でパウロを手に掛けて殺そうとした人たちの姿そのままでした。この人たちも悪人だったわけではありません。真面目に熱心に純粋に神を大事にしていました。アジアからここに来たのも篤い信仰心からだったのかもしれません。自分たちにとって神聖な律法や宮を大事にしたいと思っていました。だからこそ、パウロが異邦人に対して柔軟であることに腹を立ててもいたのでしょう。それでも彼らはまだ我慢していました。また、29節の言葉を返せば、少し前にパウロがエペソ人トロフィモと一緒にいるのを観ても、それでもそこで騒ぎ立てはしませんでした。ところが、そのパウロが宮の中にいるのを見た時、頭に血が上ってしまいます。宮は異邦人が入れるのは一番外側の「異邦人の庭」だけと厳重に決まっていました。その看板も大書して立てられていました。その神聖な神殿に、あのパウロは異邦人も連れ込んだに違いないと思い込んでしまったのです。そして、パウロへの抑えていた憎しみが燃え上がって、彼を捕らえて、打ちたたいて殺そうとしたのです。32節で

「打つのをやめた」

とありますが、31節には

「パウロを殺そうとしていた」

とありますから、殺すつもりで打ち叩いていたのです。打つのを止めても、パウロはもう殴られ続けて、傷と痣だらけ、血だらけになっていたとしても不思議ではありません。

 異邦人も割礼をすべき、律法は一字一句守るべき。そう思っていたのがパウロを殴った人たちであり、かつてのパウロ自身の生き方でした。そのパウロが、そういう「べき」の押しつけから、異邦人の躓きを配慮する奉仕者となりました。そしてユダヤ人の同胞に対しても、「もう割礼は不要だ。犠牲だって要らない。異邦人と一緒にもっと自由になればいいぢゃないか」と押しつけることもせず、ユダヤ人が大事にしている習慣を尊重しています。両方それぞれの違いを、それぞれに尊重しています。どちらがいい、正しいと言えない違いを、両立できない違いを尊重しています。かつてから神を恐れ、熱心に敬って拘っていましたが、主イエスに出会い、本当の神がどんなお方かを知って、一つの形や自分の経験、文化を押しつけるより、その人その人を見るように変わったのです。ここだけでなくローマ書一三章などで、互いに受け入れ合いなさいと勧める。これがパウロの福音理解でした。いいえ、パウロが身をきよめ、頭を剃る費用を出すに先立って、神の子イエスは、私たちを神と和解させ、互いに受け入れ合わせるために、身を捧げ、御自身の命という代価を出してくださいました。それを誤解され、殴られ、殺されても、イエスは私たちのための神とお互いとの架け橋となってくださったのです。

3.教会の歩み

 お分かりのように、パウロや長老たちと違い、エルサレム教会の何万という信徒はわだかまりに囚われていました[2]。「新約聖書の教会はきっと理想的で麗しい、天国のような教会」ではありません。パウロも交わりを求めて帰って来たら、自分への不信感に直面して、どれほど落胆したでしょうか。でもそんな人間臭い現実をパウロが受け止め、誠意をもって対応し、なお交わりを築こう、和解のために努めた姿、それこそ教会が求める恵みでしょう。初代教会が異なる人たちが認め合おうとする教会だった。そこに生じる衝突を、無理矢理一つの型にはめて統一するのでなく、互いの信仰を認め合い、橋渡ししようとした。それが教会の立たされている道です。どっちが正しいでなく、互いのやり方を理解し合おう、尊重し合おうという態度を持って行くようになる。それこそが、神が私たちの間に働いてなしておられる御業なのです。

 「自分の方が正しい、相手が間違っている、変わるべきは相手だ」というゲームは悲惨です。そして、自分が正しいと思い込んでいると、ここでもパウロが異邦人を連れ込んだに違いないと思い込んでしまったように、事実を冷静に見る事が出来なくなります。邪推や誤解や疑心暗鬼をしてしまう危険がぐんと高まります。それで流言飛語やら暴動や民族大虐殺、ここで起きたような混乱が大なり小なり引き起こされています。そう考えても、「使徒の働き」に見る教会の姿は本当に大きな希望、大胆なチャレンジです。

 教会は一つの型、自分たちの習慣を押しつける「正しさ」ではなく、違いを受け入れ合う道を選びました。異邦人とユダヤ人という大きく違う同志がお互いを大事にし合おうと努力を惜しみませんでした。それは一つの教会でも、また夫婦や家族の中でも、あらゆる人間関係の中で最も基本に必要な姿勢です。私たちは尊重されたい人間です。イエスは最も尊いお方でありながら、御自身を与えて私たちを尊んでくださいました。そして私たちがお互いに尊敬を贈り物として贈り合う関係をくださいました。甘やかすとかほめるとかでなく、自分と同じように尊い存在だと受け止め続けるのです。それは最も素晴らしい贈り物です。

 勿論、尊敬だけでは問題は解決できません。この時も具体的な表現が提案されました。共に生きることは忍耐の要る長い長い道のりです。それでも、立ち帰ることができる変わらない土台はキリストが私たち一人一人を尊んでくださった事実です。キリストが尊ばれ、命を捧げられた相手を、裁いたり見下したりせず、尊ぶ思いに立ち帰ることが出来ます。神は私たちの間に、そのような思いを育てて、平和を築き上げておられるお方です。

「主よ。私たちの宣教の働きと、心にある思いをともに祝福し、整え、恵みの力で新しくしてください。一人一人があなたの愛を戴き、それぞれに聖く生きよう、交わりを育てようとするささやかな願いを、お互いに受け止め、尊重していくことが出来ますように。また既にある誤解や憎しみをも癒やしてくださって、本当の和解への長い道を一歩ずつ進ませてください」



[1] またその違いで誤解が生じた時も、パウロはあえて言葉で説明したり自己弁護をしたりしません。そんな言葉で言われても、ユダヤ人の生活に染みついた律法への尊重を、犠牲を払って見せる提案に従いました。それが誰かを排除する、と言う形であったなら、ガラテヤ書二章にあるように彼は断固としてしなかったのですが、譲って構わない所には彼は柔軟でした。

[2] きっと異邦人キリスト者と一緒に食事をするのも抵抗がある人たちだったでしょう。

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