聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

使徒の働き二〇章17-38節「与える幸いの御国」

2018-04-08 14:39:19 | 使徒の働き

2018/4/8 使徒の働き二〇章17-38節「与える幸いの御国」

 現在の日曜休みのカレンダーはキリストの復活を祝うことから始まりました。使徒20章7節は教会が

「週の初めの日」

に集まっていた最初の記録です。この章は、エペソ教会の育成や三回の伝道旅行という大きな流れが落ち着き、「使徒」の新しい段階に進んでいく転換点です。

1.長老たちへの決別説教

 読んで戴いた17節から35節は、パウロがエペソ教会の長老たちに語った説教です。港町ミレトで40km離れたエペソまで、わざわざ使いを出し、そこに来てもらって語ったという大事な説教です。三年間、手塩に掛け、また様々な困難がありながら過ごしてきた格別に思い入れのあるエペソ教会への熱い説教です。その説教の要点だけを今日はお話しします。

 パウロはエペソでの戦いの日々を回想して思い起こさせ、今これからエルサレムへ向かう先にも危険が待ち構えていると覚悟していることを話しています。もう二度とあなたがたの顔を見ることはないだろうとさえ言います。27節では

「私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです」

と自分の果たした責任を確認します。牧師はここから、神のご計画の全体像を知らせる務めを教えられます。そして、

28あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。」

と言われます。

 今も

「凶暴な狼」(29節)

と言われるような様々な圧力や暴力が外から教会に入ってくるかも知れません。いや、

「あなたがた自身の中からも」

と言われるように、自分自身が

「曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者」

になりかねません。そういう危うさがあることをまずリーダーが自戒して謙るよう言われるのです。自分自身に気を配るとはそういう事です。教会は、神のご計画のすべてを知らされて、神の御国、恵みの福音を伝えられ、それを宣べ伝えていく集まりです。しかし御国の福音が頭だけになり、神の国より自分の国を造り上げ、人を引き込もう、コントロールしよう、となり易いものです。だから、私たちは御言葉に聴いて、神の恵みに立ち帰りながら、その恵みに生きるよう自分に気を配る必要があるのです。その鍵となるのが、33節から35節で結ばれているパウロの生き方そのもののメッセージです。主イエスご自身が

「受けるよりも与えるほうが幸いである」

と言われた御言葉です。

2.「受けるよりも与えるほうが幸い」

 実はイエスが

「受けるよりも与えるほうが幸い」

と仰った記録は福音書にはありません[1]。勿論イエスが仰った言葉は福音書にも世界中の書物にも書ききれないぐらい多くあったのですから[2]、書かれていないけれども本当にイエスがこう仰った可能性もあるでしょう。しかしそれよりは、イエスの教えの要約、いいえ、イエスのなさったこと、イエスというお方丸ごとが

「受けるよりも与えるほうが幸い」

というメッセージだった、とパウロは言っていると考えた方が、筋が通ります。神御自身が「与える」方、惜しみない恵みの方でした。労苦して弱い者を助けるお方でした。28節に

「神がご自分の血をもって買い取られた神の教会」

という言葉があります。

「神がご自分の血」

というのは不思議な言い回しです。神には血も体もありませんから、おかしな表現です。この「ご自分の」はとても強い愛着や近さを表す言葉です。

「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神」

も同じ語です[3]。神が愛するご自分の御子ですから、御子の血は神にとって「ご自分の血」なのです。そのご自分の血、愛する御子の命さえ惜しまないで私たちを買い取って教会としてくださった。その驚くべき恵みが福音です。神の御国です。その王である神は、偉そうに力尽くで治めて、私たちの奉仕や献身や犠牲を求めるお方ではなく、礼拝を受けるよりも恵みを与えることを幸いとし、喜びとなさる王です。神のご計画の全体像とは、その恵みが土台であり、恵みによって私たちを建て上げ、恵みの心で生きる者として成長させてくれます。

 その実例がパウロでした。パウロ自身が、受けるよりも与える人、仕える人でした。エペソでの彼の生活そのものが福音の見本でした。そして今も、エルサレムに行くのはアジアやアカイア諸教会の献金を届けるためでした。危険や困難があっても、エルサレムの貧しい教会に献金を届ける事で、異邦人教会とエルサレム教会とを橋渡ししたいと願ってやまないからでした。パウロは言葉だけで「神の恵みの福音を証しする任務」を果たしたとか、教会の伝道のために労苦を惜しまなかったのではなくて、労苦して弱い者を助けること、主イエスご自身をその全生活で証しするものでした。

 それは

「御国の福音」

とは別の話でしょうか。恵みの神の

「ご計画」

とは、必ず私たちに御国を継がせるから幸いな計画なのでしょうか。神の御国が

「受けるよりも与えるほうが幸い」

で満ちた御国なのです。神の国の「憲法」は

「神があなたがたを愛されたようにあなたがたも互いに愛し合いなさい」。

 言い換えれば

「受けるよりも与えるほうが幸い」

なのです。御国に入るとは、今ここでの私たちの生活、考えが、神がご自分の血をもって買い取ってくださった恵みに根差して、感謝し、与え、分かち合い、その幸いに生かされるようになる事です。

3.「受け身」から「与える」へ

 しかしこの言葉もとても誤解され、手垢がたっぷり付いている文句です。「もらい下手」な方はこの言葉でますます受けることが苦手になるでしょう。自分の優位を保ちたい、借りを作りたくなくて与える人もあります。形の上で与えるのが実は自分をガードする壁なのです。中には「ボロボロになっても与えるのが愛だ、キリスト者の使命だ」という痛々しい誤解もあります。人から求められたら何でも拒まない、本当は嫌なのに与えなきゃ悪い気がして、相手の期待に応えないと苦しくて反射的に与えてしまう…。でもそれは「与える」の逆の「受け身」ですね。

 イエスは「受け身になれ」でなく、主体的で心から与える幸いを示されました。内心で相手を裁きながら何かを与えるより、喜んで出来るまで待っても良いし、時には相手への愛や尊敬を込めて、正直に「ノー」を伝えるのがイエスの示された「与える」かもしれません。

 それにはまず

「自分自身と群れの全体に気を配りなさい」。

 自分の状態を十分にケアすることが必要です。自分を後回しにせず、主が私にすべての善い物を与えて、御自身の血を流すほどの愛で私たちを愛してくださった恵みを、十分に味わい、戴く事です。主は「受けるよりも与えなさい。惜しまずに与えよ」と命令されたのでなく

「受けるよりも与えるほうが幸いです」

と「幸い」を語るのです。いいえ、私たちに御自身の命を惜しまず与えて、私たちを愛し罪を赦し、命を下さる御自身に立ち戻らせてくださいました。私たちを、幸せを求めて物にしがみついたり人と比べたりする生き方から、本当に幸いな生き方、神の恵みの御国へと移してくださいました。だから私たちは、もう失うことを恐れないし、逆に批判されたくなくて与えよう、出しゃばるまいと受け身になるのではなく、自分で考えて出来る事を喜んで与えるのです。幸せを見失ったり、実際に貧しかったり助けが必要だったりする世界だからこそ、その中で自分に出来る事を僅かでもするのです。道徳としてでなく、心から与えるのです。すると、もらうことも、遠慮したり躊躇する必要はなくて、喜んで受け取る「もらい上手」になれるでしょう。

 恵みの神は、ご自分が惜しみなく与える方だからこそ、与え合い、受け取り合う世界を作られたし、その幸いの中に私たちを置かれ、成長させてくださいます。言い換えれば、私たち自身が贈り物なのです。自分の人生や働きや労苦、存在そのものをこの世界への贈り物として受け取らせていただくのです。まず神が私たちに下さった恵み、神のものとされた幸いを十分に受けて、御言葉から感謝の心を養われましょう。与える幸いにも受ける幸いにも成長させていただきましょう。そんな姿こそ、世界に希望の泉を湧き上がらせる御国の証しになるのです。

「恵み溢れる神。あなたが御自身の血をもって私たちを買い取り、幸いな御国の民として下さいました。まだ無い物を数え、受ける事にも苦手な私たちも、あなたの測り知れない恵みに支えられてあることを感謝し、御名を賛美します。どうぞ私たちを受け身の生き方から救い出し、幸いを喜び、ともに祝い、主の恵みを言葉と生き方と働きで証しする教会とならせてください」



[1] 似た言葉として、マタイ十8「病人を癒やし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊どもを追い出しなさい。あなたがたはただで受けたのですから、ただで与えなさい」が挙げられます。しかし、これは「受けるよりも与える方が幸いである」とは、通底してはいても、飛躍のある言葉です。

[2] ヨハネの福音書二一25「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。」

[3] ローマ八32「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。」

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使徒の働き19章8-22節「告白させてくださる神」

2018-03-11 17:19:04 | 使徒の働き

2018/3/11 使徒の働き19章8-22節「告白させてくださる神」

1.手ぬぐいや前掛け

 大都市のエペソで[1]、パウロはいつものようにユダヤ人の会堂で語ることから始めました。そして、そこでまた反対をする人々の頑なな抵抗にあったので、そこから離れ、

「ティラノ」

の講堂で論じました。多くの人が行き交うエペソで二年にわたって語り、教会形成や宣教師の派遣もしたことで、アジアに隈無く主の言葉が届けられました[2]

 しかし、そうしたパウロの宣教戦略とか知的な説得だけではなかったことは、11節以下の出来事でよく分かります。神はパウロの手によって

「驚くべき力あるわざ」

をなさいました。これは「滅多にない特別な」という意味です。ですから「こんな事が自分にもあればいいのに」思いたい所ですが、これは驚くべき特別な事で、パウロの生涯においてさえ特筆すべき出来事だったので、残念ながら同じ事を期待できるような事ではないと言っているのですね。それは、

「パウロが身に着けていた手ぬぐいや前掛けを、持って行って病人たちに当てると、病気が去り、悪霊も出て行くほどであった」

という程の、驚くべき力あるわざでした。

 10代の頃聞いた説教で「これは手ぬぐいや前掛け。スーツやネクタイではない」という話が忘れられません。パウロは講堂で論じましたが、エリートやインテリではありませんでした。汗をかき、汚れ仕事をし、手ぬぐいや前掛けを身に着けて働いていたのだ。「牧師は口ばっかりの書斎の教師でなく、タオルを巻き体を使って仕事をしてこそ、パウロの手本に倣うことだ」と言われました。で、そういうパウロの姿を見て、パウロの汗や汚れが染みついた手ぬぐいや前掛けを「汚い」と嫌がらずに持って行った人たちが、身近な人にそれを当てて病気を癒やされる出来事があったのです。とても迷信じみた事です。特にプロテスタント教会にはこうした御利益のようなものへの警戒感があります。それは大事な事です。この時も、そのタオルやエプロンに力があったのではなく、神がなさった類例のない奇跡でした。もし今もこのタオルやエプロンが残っていたとしてもそれ自体に癒やしの力があると期待するのは勘違いでしょう。けれども、そういうリスクもあるのに、神はこの迷信じみた奇跡を許されました[3]。それはこの後に明らかになるように、大都市エペソは魔術やオカルト、迷信の町でもあったからです。今も先進国の日本でも科学や富では飽き足らずに占いや願掛け、厄除けが盛んなのと同じです。その影響や考えが非常に根深いために、神も必要な事として驚くようなことをなさいました。

2.信仰に入った人たちの告白

 13節以下に

「ユダヤ人の巡回祈祷師」

「祭司スケワの子」

と名乗る、怪しげな七人です。そんな彼らがいる事自体エペソの街のオカルト好き、迷信好きを表しています。この人々がパウロの真似をして「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言うと、効力を発揮するどころか、返り討ちに遭います。飛びかかられて押さえ込まれ、逃げる笑い話になりました。この結果、街の人がみな恐れを抱き、イエスの名に一目置くようになりました。

18そして、信仰に入った人たちが大勢やって来て、自分たちのしていた行為を告白し、明らかにした。19また魔術を行っていた者たちが多数、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を合計すると、銀貨五万枚になった。

 この変化に目を向けましょう。最初は、パウロのタオルやエプロンを持って行って病気が治るという驚きの癒やしに人は目を見張りました。迷信や魔術まがいのことが罷り通っていたエペソで、この奇跡は特別な注意を引いたでしょう。ではパウロの服でさえ力があるのだから、あのイエスの名前にはどんな呪文よりも力があるかもと試したら、別の意味でその名前の特別さを思い知ることになった。それを知ったとき、信者たちは来て、自分のしていた行為を告白して、魔術書も持って来て焼き捨てた、というのです。始まりは、パウロの道具を持って帰って力に与ろう、でした。それが、パウロの所にやって来て、自分のしてきたことを告白し、隠し持っていたものを差し出し、手放す。この180度の変化こそ

「驚くべき力あるわざ」

です。

 彼らはキリストを信じてもまだ魔術書を手放せませんでした。告白しなければならないようなことをコソコソ続けていました。恥ずべき行為や迷信と二股掛けていたのです。その彼らが、イエスの力を知った。自分の生き方を告白しなければ、持っていた間違いを惜しまずに捨てなければ、と変わったのです[4]。怖くて仕方なしにではありません。

「銀貨五万枚」[5]

 何百万円にも当たる書物も燃やしても罰は当たりませんでした。そもそも無駄な買い物でした。それを捨てて、隠してきた事を神の前に告白しよう。このイエスこそ本当の神だ。呪文や小道具のように自分に都合に合わせて出したりしまったり出来る力ではなく、自分の全生活にとって力ある生ける神だ。そう知ることは、恐れ多さと深い解放をもたらします。パウロの元にやって来た彼らの表情は、清々して涼しげで、何とも言えない解放の表情だったのではないでしょうか。パウロも吃驚したでしょう。もう弟子となっていた人たちがやって来て、自分のしてきたことを告白して、魔術書を出して焼く。「ああ本当に神は、人の心を解放してくださった。この人々の心の奥深くに触れて、出会いを体験させてくださった」と手を合わせたでしょう。

3.エルサレム、そしてローマへも

 こうしてパウロの働きは、大変な面もありながら力強く広まりましたが、パウロはエペソを離れる決心をします[6]。それは、マケドニアとアカイア、つまり一旦ギリシア地方のテサロニケやピリピ、コリントを訪問して、エルサレム教会への献金を預かってから、エルサレム教会に行く、というルートです。献金集めだけなら他の人を遣わして終わりですが、パウロ自身がわざわざ行く所に、直接会って顔を見て話をし一緒に過ごすことを大事にしていたことが窺えます。そしてローマに行くのも、ローマ書を読みますと、ローマの教会を助けたいし、

「ともに励ましを受けたい」

と思ったからです[7]。ローマの教会も、ただ信者を増やし、伝道するだけでなく、そこにいる一人一人が本当にイエスを知り、裏も表もない恵みに与るためでした。

 神はすべてを知っておられます。そして、本当に憐れみ深いお方です。ただ力尽くで人々に迫って、悔い改めやさばきを語るのでなく、パウロの仕事着を持ち帰る幼稚な信心をも受け入れてくださいました。きっかけはそんな事でも良いのです。そうして始まった信仰が、やがて神が私たちのもっと深い願いを知っておられる方だと知るようになるのです。病気の癒やしや御利益も願ったけれど、そうした心の奥に合った心の不安、疑い、恐れ、誰にも言えない秘密…。そうしたものを全て知っておられるお方、その告白を聞いてくださるお方、人が求めて止まない本当の「心の友」なる神。そのイエスの名によって自分が洗礼を受けていたと気づく。エペソ教会のこの様子に、そんなメッセージがあるようです。神は、信じながらまだ魔術の本や問題行動を隠し持っている人々にも、強いられてでなく自分から告白するようになるタイミングを待っておられました。そしてその今更ながらの告白を受け入れて、赦しと解放を与えてくださるお方です[8]。そういう神との出会いによって、私たちもまた、他者との関係に、待つこと、聴くこと、そして自分自身が腹を割って向き合う正直なあり方をしたいのです。

 今、奇跡もなくて神のわざが見えないとしても、神は私たちの心も、隠れた行いも全て見ておられます。それが怖いことだと思うほど私たちが神をまだ人間と同じように小さく考えているとしても、そんな迷信からもイエスは私たちを救い出してくださいます。私たちの心の重荷を主に告白しましょう。捨てるべきものは惜しまずに捨てましょう。私たちの生き方がもっと軽くされて、裏表のない歩みへと変えられる主の恵みを戴きましょう。どんな大金やどんな恥をかく事とも引き替えに出来ない、本当に得がたい友である主イエスに、毎日告白しましょう。

「力強く、恵み深く、私たちとともにおられる主よ。エペソでの特別な御業に、私たちも自分の生き方や心を顧みて、あなたに招かれている恵みを受け止めます。主よ、どうぞ一人一人の心の重荷を下ろさせてください。この複雑で多くのものに囲まれ、煽られる、息苦しい時代にあって、あなたにある喜びや自由、深く親しく、希望に満ちた歩みを分かち合わせてください」



[1] 今日の箇所のエペソは、今のトルコ共和国にあたる「アジア州」の州都、大都市です。そこでパウロは一番長い期間、三年の伝道をしました。ここからコリントやローマに手紙を書き、後にはローマからここに「エペソ人への手紙」を書きました。テモテやヨハネがここで牧師をし、最後の黙示録にもエペソ教会への手紙がある。聖書では最も詳しく長く知られる教会です。

[2] パウロが語っただけでなく、そこで育てた人をコロサイやヒエラポリスなどあちこちに派遣もしたようです。

[3] ルカ六19のイエスのエピソードを思い出します。

[4] 「告白する」はっきり告白(新共同訳)は、「十分に告白する」「洗いざらい告白する」というニュアンスの動詞です。

[5] この銀貨が「ドラクマ」つまり「デナリ」であるなら、五万日分の日当です。「シケル」銀貨なら、その四杯です。

[6] これが「御霊に示されて」なのか、自分の霊のことで「決心した」なのかで、翻訳は分かれています。

[7] ローマ人への手紙一「10祈るときにはいつも、神のみこころによって、今度こそついに道が開かれ、何とかしてあなたがたのところに行けるようにと願っています。11私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。12というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」

[8] この後23節からにはエペソのアルテミス神殿で稼いでいた職人たちが、パウロのお陰で儲けが減った、女神アルテミスのご威光が失われてしまう、と大騒ぎしています。神が冒涜されるとはけしからん、と暴動になりかけます。その危険も何とか静まったようですが、そこに浮かんでくる神理解は崇めなければならない神、威光が地に落ちることもあり得る神、人間によって栄光が左右されるような神でしょう。キリストはそれとは全く違いました。人間が神に心を開けるよう、病気や問題の苦しみからまず初めて下さるお方です。

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使徒の働き18章1-11節「特別な夜」

2018-03-04 17:41:56 | 使徒の働き

2018/3/4 使徒の働き18章1-11節「特別な夜」

 使徒の働き十八章は、パウロの第二回伝道旅行で、ギリシャのコリントに行き、そこで伝道した事が書かれています。コリントはその地域第一の都市で、経済的に栄え、風紀は乱れた都でした。そこでパウロは二年近く伝道をします。後に、この教会に書かれた手紙の二通が聖書には残されています。そういう大事な教会の始まりがここに書かれています。

1.初めての幻

 そのコリントでの伝道で、目に付くのは9節以下の幻ではないでしょうか。

ある夜、主は幻によってパウロに言われた。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。10わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」

 実はパウロが主の幻を見たのは、聖書が記している限りだと五~六回です[1]。最初はまだキリストを信じる前、教会を激しく憎んで滅ぼそうとしていた時に、強烈な幻で回心したのです。やがてアンティオキア教会のリーダーになり、二度の伝道旅行をしてきましたが、その間こんなにハッキリと主が語られた幻は書かれていません。「主が禁じられた」とかマケドニア人の幻を見ることはありましたが、主が夜の幻でハッキリとパウロに

「恐れないで語り続けなさい。わたしがあなたとともにいる」

と言うなんて初めてです[2]。またここで主が言われた内容も、特別なパウロへの約束というよりも、聖書に繰り返されている神の契約です。神は民に対して、ともにいること、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となると、聖書を貫いて何度も何度も繰り返されます。パウロだけでなく、全てのキリスト者が、私たちも含めて約束されている、主の恵みです。ですからこの言葉も、教会は自分への約束として聴いてきたのです。

 コリントでパウロは約二年過ごします。これまでの宣教では数ヶ月か数日で、迫害や区切りをつけて次の町に移ったのです。今までになかった長期間です。一年半の間の事は多く書かれていませんが、穏やかに過ごせたばかりではなく、本当にいろんな事があったでしょう。コリントを去ってから書かれた手紙を読んでも、パウロはコリント教会のために悩まされていますし、当時もどれほど苦労したかしれません。しかしルカはそのような大変なことには殆ど触れません。それよりも、その始まりのある晩、主が夢に現れて幻で語ってくださった、この出来事を記すのです。主がパウロに久しぶりに現れてくださったこの夜は、特別な夜でした。決して小さな夢ではありませんでした。今に至るまでこの出来事は慰めとなってきたのです。

2.恐れるパウロ

 なぜ主はこの夜、幻で現れて、パウロにお語りになったのでしょうか。「恐れるな」と言われるからには、パウロが恐れていて、こういう主の言葉を必要としていたのでしょうか。確かにパウロはコリント人への手紙第一二3で

「あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました」

と書いています。前のアテネでの疲れや孤独で弱って恐れていたのかもしれません。でもそこで、後々長いつきあいになるアクラとプリスカ夫妻、ローマから来たユダヤ人夫婦に出会うなんて、思いがけない出会いがありました[3]。それも同業者で一緒に協力できるなんて吃驚です。会堂で説教して、結果的にはそこを出て行く決断をするのですが、それは残念だったはずです。でも決別したつもりが、そこの会堂司が家族全員とともに主を信じて、仲間になりました。多くのコリント人も信じて順調だったはずです。この後十八章の出来事一つ一つが想像もしなかった展開でしょう。ここまでの伝道旅行のどの時よりもパウロが恐れて孤独で、主の幻を必要としていた、とは思えません。あえて申し上げると、私たちが恐れたり孤独だったりして、主の幻や夢の声が聞きたいと強く強く思うとしても、それで主の声が聞こえるとか、慰めが来るとか、祈りが応えられるとか、そういう保証はないのです。暗闇のような毎日が続くこともあるでしょう。涙も枯れて過ごす日もあるでしょう。主がそばにいるとは感じられない。そういう時はあるのです。それでも主はそばにおられるのです。[4]

 この幻の後、パウロは一年半

「腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続け」

ます。それはコリントでの宣教がそれだけじっくりする必要があったからでしょう。でもそれでシッカリした教会になったわけではなく、後からコリントに宛てて書かれた二通の手紙はパウロが後々までこの教会の問題や質問をフォローしなければならなかった証拠です。二つの手紙から浮かんでくるのは、分裂や不品行、礼拝での無秩序、賜物を自慢し、裁き合う教会の姿です。それに心を砕き、骨身を削るパウロです。とても教会とは思いたくない姿です[5]。詳しく書いていませんが、もう「コリントで一年半過ごした」というだけで、読者は十分その大変さを想像できたのではないでしょうか。あそこで何もないはずがない、きっと大変だったと想像できたのでしょう。

「わたしの民がたくさんいる」

と言われたコリント教会は、実に人間的で課題だらけでした。外からの迫害より、内側の争いでパウロは苦労します。主がともにいて守ってくださって、主の民を備えておられるとは、問題や大変さがない保証では全く違うのです。

3.「保証」ではなく「信頼」

 この十八章の展開一つ一つが、予想の出来ない出来事でした。パウロの伝道旅行は、計画通りというよりも、計画にない出来事の連続の珍道中でした。それこそ実に私たちの生きている、予想不可能で思うままにならず、地道な現実生活そのものです。パウロがコリントで腰を据えて伝道したのは、コリントだろうと日本だろうと、伝道や教会形成が本当に実を結ぶには、じっくり腰を据えて取りかかる必要があるからです。短い滞在で、種だけ蒔いて、深入りしないうちに次に行く働きもあるのでしょうが、それでは本当の人間関係は育ちません。そして長く一緒に過ごせば、それだけ人間らしさが出て来ます。長年一緒にいる家族だってそうです。コリント教会の問題はとても極端です。でも、それは特殊でも特別でもなく、実に人間臭い姿です。そしてパウロ自身の人間臭さも、コリント書には浮き出ています。自分の弱さ、恐れ、苦しさを赤裸々に語るのがコリント書です。しかしそれは不本意だとは言いません。苦しみや弱さや恐れの中で、慰めを受ける。弱さの中に、神の力が現される。だから私は自分の弱さこそ誇る、と言いました。それがパウロの飾らない姿勢でした。

 パウロの信仰は人間らしさや自分の弱さを踏まえた信仰であり、宣教でした。そういうコリント教会の人間らしい宣教に向けて、主は夜の幻でパウロに

「恐れるな」

と仰いました。パウロが恐れていたから慰めるため、というよりも、これから起きる出来事が今までよりも深いつきあいでの教会形成になり、人の抱える問題や闇に向き合って、恐れずにおれない事を見越しての覚悟を与えるためではなかったでしょうか。そこから目を背け、主がともにいるから大丈夫、と明るいことしか言わないのではなく、主がともにいるからこそ、人間の闇にもシッカリと、しかし優しく向き合い、そういう私たちとともにいてくださる主を仰いだのです。

 主がともにいるとは、大変な事は起きないという保証や、人間離れした希望や楽観的な憶測ではありません。もっと人間らしく、もっと人間の心の機微や、自分自身の恐れや弱さにも素直にならせてくれる約束です。どこに行くか分からない、未知の体験の始まりの合図でした[6]。出会う人たちがどんな問題を抱えて、手こずらされるとしても、それでも主はともにおられる、主の民だと信じて向き合う。そういう姿勢へとパウロの背中を押したようです[7]。私たちの教会や家族、コミュニティのあらゆる場面で、主はともにいてくださいます。だから、自分の弱さや恐れを恥じず、そこにこそ神の恵みが働くと信じて、歩むことが出来ます。どんな時も

「わたしがあなたとともにいる」

と仰る主なのだと教えられて、私たちもその主を語り、その主の民として生かされていくのです[8]

「「この町にはわたしの民がたくさんいる」と仰った主よ。その選びと摂理を信じて、私たちもここに希望をもって歩みます。何が起きるかを案じて、保証や答が欲しくなりますが、あなたは、あなたが私たちとともにいるとの約束と信頼を下さいます。明日がどんな日か分からなくても、明日を守られる主がおられる。この恵みに立って、私たちをここに歩ませてください」



[1] 使徒九3-6、十八9-10、二二17-21(時系列では九章の後半)、二三11、二七23-24。また、Ⅱコリント十二1-4、9も可能性としてあげられます。

[2] パウロの観た幻は、この後も二回出て来る。しかし、復活と会わせても四回。いつも幻を見たり、神とおしゃべり出来たのではない。こういう幻は初めて。それだけに、この言葉は、パウロにとって特別だったろう。そして、これはパウロを通しての、私たち全員への語りかけなのだ。主がともにいてくださる。それは私たちにとっての保証や想定内の展開とは違う。しかし、私たちの精一杯の想定よりも遥かに深く、尊く、険しく、力強い計画なのだ。

[3] この2節の「クラウディウス帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じた」のが、紀元49年に発布されたと分かっていますので、「使徒の働き」の出来事が年代測定できる定点になっています。

[4] この事では、特に最近、マザー・テレサが、尊い愛のわざを続け、ノーベル平和賞を受賞するほどの大きな影響を与え続けた傍ら、自身のうちの深い孤独、闇、不信仰を吐露していたという記事が印象深くあります。また、「安心して絶望できる社会」というキーワードも、「必要なら神が慰めてくださる!」という安直な楽観的信仰に釘を刺してくれます。

[5] 社会的にあまり高くない人が集まっていたともあります。また、パウロは、お金目当てに伝道しているのだと言われないために、手弁当で伝道し、謝礼は一切受け取りませんでした。そういう雰囲気がコリント教会だったのです。

[6] これは、モーセやギデオン、エレミヤ、マリアら、他の聖書の人物の召命で語られる言葉でもあります。大変な生涯の幕開けを告げる言葉でもあるのです。

[7] この「民」という言葉はイスラエルの選民を指す言葉です。しかし、ユダヤ人ではなく、まだ回心もしていない人々を指すのは珍しい用法です。

[8] パウロは、分派や競争や不品行などの問題に心を痛めながら、しかしコリント書で繰り返して語るのは、あなたがたはもう主イエスのものだ、神の民だ、キリスト・イエスがあなたがたのうちにおられるのだ、という言葉です。そしてその自分の限界に行き詰まりながら、主はもう一つの言葉を下さっていました。「Ⅱコリント十二9しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。10ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

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使徒の働き17章22-34節「手探りで求めるなら」

2018-02-18 16:13:33 | 使徒の働き

2018/2/18 使徒の働き17章22-34節「手探りで求めるなら」

1.「知られていない神に」[1]

 この17章の前半でパウロは、ピリピからテサロニケ、ベレア、そしてアテネに来たのです。アテネに来たのは迫害のための一時的な避難でしたし、ここに留まる気にもならずに、十八章でコリントに南下します。アテネは古代ギリシアでは大事な都市でしたが、もうパウロの時代には傾いて、宣教計画にとってもコリントの方が重要と見なされた過去の町だったのです。けれどもそこには町中に像が建ち並び、哲学者たちが議論に明け暮れており、人々は

21…何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。

 そうした様子を見てパウロは

「心に憤りを覚えた」(16節)

 そして会堂でも広場でも出会った人々と論じて

「イエスと復活を宣べ伝えていた」(18節)

のです。その話に興味を惹かれた人々がパウロに講演を依頼して、アレオパゴスに連れて行きました。欄外に「アレオパゴスの評議会」ともあるように、アレオパゴスという丘で開かれる評議会、大会議が大事な事を決めるアテネの最高決定機関だったのです。これがパウロのアレオパゴス説教です。

 22節以下のパウロの話は自分が道を通りながら、

「知られていない神に」

と銘打たれた祭壇があるのを見かけた話から始めています。町中に像や祭壇が溢れていましたけれど、街中の人はそれでもまだ拝み漏らしている神々があったら失礼だ、ご機嫌を損ねないように祭壇を作っておこう、としておいたのでしょうか。パウロはそこを切り口に、

23…あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう。

24この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。

25また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神御自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。

と説教をしました。まずパウロは神を、天地の主、世界を造られたお方で、人間が宮や祭壇を造らなければ困るとか、お供え物やご機嫌取りをしなければ臍を曲げるとか、そんなちっぽけな神ではないことを宣言しています。これは29節でも

「神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません」

と繰り返しています。30節ではハッキリ「無知の時代」と言うように、パウロは

「知らずに拝んでいる」

ものから始めながら、アテネの人々の決定的な無知を問いかけたのです。哲学を論じ、世界の最高の知性を自負する人々に「あなたがたは一番肝心な神を全く知らない」と大胆に指摘したのです。

2.手探りで神を求めれば

 同時に、パウロが語っている非常に大胆な点は、その方が人間と関わりを求めておられるお方だ、ということです。これはアテネやギリシアの神理解にはないことでした。

26神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。

27それは神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。

 神は私たちに御自身を求めさせるお方。それぞれの時代、それぞれの場所に住み、生かされているのは、神を求めさせるため。そういう神をパウロは語りました。27節は「新改訳2017」では

「もし人が手探りで求めることがあれば」

となりました[2]。目の見えない人が手探りで必死に必要なものを求める、そういう動作です。神について探究する思想とか議論でなく、闇雲に手探りしてでも神を必死に求めるなら、神を見出さないはずがないと言うのです。神は私たちに御自身を求めるために、今ここでの人生を下さっています。言わば神の中に生きています。神の子孫とも言えるほどの強い関係があるのです。人間がそれに気づかず、金や銀や石や、人間の技術や考えで造り上げた神々について議論し、哲学という名のおしゃべりをしている時、実は、神は私たちの後ろに立っておられて、人間のその他の営みすべてを成り立たせておられます。そして、人間が神を求め、神に立ち帰って生きるのを待っておられます。いいえ、待っておられるだけではなく、神の御子イエス・キリストがこの世界の真っ只中に来たのです。

31なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」

 アテネの人の考えはこうではありません。神々のために数えきれないほどの像や祭壇を立てご機嫌を宥めながら、ここに集まり、いるかどうかも分からない神について議論を好むだけで、神が人間を求めておられるとは考えませんでした。ましてその神が人間になるとか、死んでよみがえるほど親しく、近い、情熱的な神などはお笑い種だと済ませたい人が大勢だったのです。

32死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑ったが、ほかの人たちは「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」と言った。

 でもこういう反応も承知の上で、パウロは彼らに天地の神がどれほど偉大であるか、そして、どれほど私たちを求め、近くにおられるかを語り、この神を求め、立ち帰るよう迫ったのです。

3.新しい教え

 パウロの説教は、神が石や偶像でないだけでなく、人間に御自身を求めさせる神だ、手探りででも求めれば見出せる神、いや御自身から人間の死までも味わってよみがえられた方だ、という内容でした[3]。イエスは死をも味わわれ、人間の罪も悲しみも、無知も間違いも、すべて知った方として、そこから復活された主として、世界をお裁きになります。神とはそういう私たちに近いお方です。私たちは謙ってこの神を求めてこそ、本当に立つべきゴールに立てるのです。神について論じたりおしゃべりしたり、自分の意見に合わない人を笑い飛ばしたり、アテネの殿堂や、自分の居心地良い生き方に閉じ籠もっている生き方では勿体ないのです[4]

 パウロは死者の中からよみがえられた方、キリストを語りました。

「イエスと復活を宣べ伝え」

続けたパウロ自身、キリストに出会いました。キリストに逆らう自分にも近づいてくださる主と出会って、人生がひっくり返りました。そしてそのパウロが、ユダヤから飛び出して、アテネにまで来てイエスを宣べ伝えている。かつては異邦人だと見下していた人たちのために、心に憤りさえ熱く持って[5]、機会を生かして語って、歯に衣着せず、でも暖かく語っています。これ自体、生きたメッセージです。神について議論したり、自分の意見を主張したり、でも所詮は自分の殻に閉じこもって生きている…そういう生き方から、神と出会い、人と出会い、神が造られた世界の中で心開いて生きている。迫害されようと、笑われようと、でもそこで僅かでもイエスに出会う人がいることを喜んで、ここに来た甲斐があったと思うようになりたい。

 この方が私たちに命を与え、今ここでの人生を与え、神を求めて、神に立ち帰って生きるように、神の世界の中でともに生きるように導いておられます。その時代、その場所に置くことに伴うリスク、誘惑や悲しみや問題も全て、この方はご存じで、それでもなお、神は私たちの人生を引き受け、導いて、目には見えなくともそばにおられます。いつもともにおられます。人間が造り上げ願い求めるイメージの神ではありませんが、もっと近く、もっと素晴らしく、手探りででも求めるに値する神なのです。私たちを虚しい迷信や求める気にもならない冷たい神理解から救い出してくださる。そればかりか、私たちを通しても、キリストに出会う事が起きるように働いておられる。八百万の神が拝まれる日本で、イエス・キリストにおいて証しされたこの方こそ、世界を裁かれる素晴らしいお方だと確かに現されることが約束されています。

「天地の主、今も近くにいます主よ。力強い御業と測り知れない慈しみを知った恵みを感謝します。あなたを求めるよう計らい、御自身の犠牲も惜しまれない憐れみに感謝します。復活された主は、今も世界に働いておられます。この日本で本当の神と出会って、恐れや虚しさから多くの人が救われて、恵みによって共に生きるため、どうぞ私たちも整えてお用いください」



[1] 使徒の働き17章のこの説教は、パウロがアテネで全く聖書を知らない人たちを相手に語った、とても貴重な記録です。日本人にとっても現在の世界中の人にとっても、立ち帰って学ぶべき所のある内容ですし、また伝道する側の姿勢も多くを学ばされる大事な資料です。

[2] プセーラファオー。この「手探りで求める」とはひと言で新約に四回しか使われない珍しい言葉です。ルカ二四39「わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。」、ヘブル十二18「あなたがたが近づいているのは、手でさわれるもの、燃える火、黒雲、暗闇、嵐、19ラッパの響き、ことばのとどろきではありません。…」、Ⅰヨハネ一1「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。」

[3] 多くの方は16節の「心に憤り」とか31節の「義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです」をパウロがアテネの人の偶像崇拝が真の神への冒涜だ、本当の神はもっと偉大だ、裁き主だ、悔い改めないと裁かれるぞ、と憤ったのだと考えます。ですから22節の「あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。」も本心ではなく、口上やおべっか、皮肉だろうと言うのです。そうなのでしょうか。パウロが語るのが、そんな怖しい怒りっぽい神なら、そんな神を求める気にはなれませんし、求めて痛い目を見るような恐怖があります。

[4] それはまた、アテネのアレオパゴスやエルサレムやあちこちの役人や議員たちが駆け引きで判決を下していくような血も涙もない裁きでもありませんでした。

[5] パロクシュノー。ここと、否定形でⅠコリント十三5「礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、」に出て来るだけです。神が冒涜されてけしからんと冷たく怒りより、このイエスを知ったゆえの激しい悲しみの情熱です。イエスの福音を知らず偶像を作り続ける町へのもどかしさ、激しさ、感じやすさです。

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使徒の働き16章19-34節「あなたの家族も」

2018-02-04 17:23:24 | 使徒の働き

2018/2/4 使徒の働き16章19-34節「あなたの家族も」

 31節「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」

 この言葉に励まされ、また「本当にこの言葉通りになるんだろうか」と疑いながら、信仰の歩みを始めて、歩み続けて来た方は少なくないでしょう。改めてこの言葉のエピソードを味わいます。

1.ピリピの町で

 十五章の最後でパウロはバルナバと別れて、シラスとともに第二回伝道旅行に出発しました。第一回伝道旅行の開拓教会を再訪問して教会を力づけて、そして思いがけず、初めてエーゲ海を渡ってマケドニアに入り、ヨーロッパでの宣教が始まりました。その最初がマケドニアの主要都市の一つ、ピリピでの伝道です。今日の箇所は、そこでの出来事で紹介されている、投獄と地震と看守の入信という出来事です。そしてそこにあの31節が埋め込まれています。[1]

 パウロはこの直前に

「占いの霊」

に憑かれた女奴隷からその「霊」を追い出しました。すると彼女の主人たちは逆上してパウロとシラスを訴え、二人は鞭で打たれて牢に入れられます。鞭打ちで背中の皮がむけ、当然痛いのです。夜も眠れたものではありません。だから二人は真夜中にも起きていたのでしょうか。痛みで愚痴ったり呪いを呟いたりも出来たでしょうが、25節には

「祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた」

とあります。痛みを我慢して賛美していたというより、痛くて辛くて泣きたい思いも祈っていたかもしれません。パウロは呻きや苦しみを知っていた人です。それを神に祈り、神が聞いてくださる慰めを語った人です。そこから、神を賛美する歌が、口先でなく心から歌えます。そして二人は神を賛美していました[2]

26すると突然、大きな地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまった。

27目を覚ました看守は、牢の扉が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。

 囚人たちは逃げることも出来たのに、逃げようとしなかったのは、地震や鎖が外れたことへの驚きよりも、パウロとシラスが囚人でも神を賛美している歌のほうがもっと深い、聞き逃したくない衝撃だったからかも知れません。そしてパウロとシラスも逃げませんでした。不思議な地震だ、鎖も外れた、きっと神の導きだ、逃げるチャンスだとは考えなかったのか、まだ鞭打ちの傷が痛くてとても逃げられなかったからかも知れません。そして、パウロは自害しようとする看守に大声で呼びかけて、あの有名なやり取りになるのです。

 当時、囚人が逃げた場合、逃がした看守や番兵は責任を取って囚人達の受けるべき罰を身代わりに受けるのが決まりでした。看守は囚人が逃げたと思い、自分に全員の刑罰が降りかかることを考えたのでしょう。それならもう死んだ方が楽だと思ってしまったのでしょう。でも、パウロは看守が死んでもいいとは思いませんでした。大声で

「自害してはいけない」

と言いました。

「私たちはみなここにいる」。

 こう叫んだパウロの思いに胸が熱くなります。

2.「主イエスを信じなさい。あなたもあなたの家族も」

 看守はパウロとシラスの二人に

「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか」

と言います[3]。この

「救い」

は明らかに自分の立場や処罰の問題ではありません。鞭打たれて奥の牢に繫いで構いもしなかった二人が、それでも神への賛美を歌っていました。逃げられる時にも逃げようとせず、かえって自分を案じてくれ、

「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」

と叫んだ。そこに彼は自分にはないものを見たのです。「仕事で大きな失敗をしたからもうおしまいだ」、そういう彼の常識や世界を引っ繰り返す強いものを見たのです[4]。彼は二人を「囚人何号」ではなく

「先生方」

と呼んで

「救われるためには何をしなければならないのか」

 つまり「あなたの持っている救いを私にも教えて欲しい」と乞うたのです。すると、

31二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」32そして、彼と彼の家にいる者全員に、主のことばを語った。

 これは、

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたは救われます。あなたの家族もです」

という事です[5]。あなたが主イエスを信じさえすれば、自動的に家族も芋づる式に救われる、ではありません。だからパウロは32節で、彼だけでなく彼の家にいる者全員にも主の言葉を語りました。33節で家族全員が洗礼を受けました。34節で一緒に食事をしながら、

「神を信じたことを全家族とともに心から喜んだ」

のです。家族も主イエスとはどういうお方で、そのお言葉がどういうものかを聴き、教わり、家族全員でそれを信じて受け入れて、洗礼を授かり、それを心から喜びました。決して、パウロは看守に、まだよく分からないまま「主イエスを信じるか」「はい信じます」では洗礼を授け、それだけで家族も、主イエスが誰で、救いとはどんな救いなのかもよく分からず、神を信頼すべき事も罪の悔い改めも願わないまま、救われる-そういうことはあり得ません。もしそんな無理矢理の「救い」なら、それ自体が喜びどころか暴力です。一人一人が主の言葉を聴き、その素晴らしさに心を打たれ、一緒に神を信じて本当に良かったと、心から言えるようになっていく、そういうプロセスがあるのです。

3.家族への広がり

 もっと大事なのは、

「あなたの家族も」

はパウロたちから言われたことです[6]。看守は「私が救われるためには何をしなければ」と聞いたのに、帰って来た答が「あなたの家族もです」。どんな思いになったでしょう。そして一緒に主の言葉を聴いて、一緒に洗礼を受け、一緒に食事をして、神を信じる喜びを分かち合う…それは彼が考え願った以上の「救い」でした。人が家族を案じるに先立って、主は家族にも働いてくださるのです。十六章前半のピリピ宣教でも、15節でリディアがその家族と一緒に洗礼を受け、パウロたちを家に迎えました。リディアだけでなく家族も新しくなりました。キリスト教は、自分の救いだけでなく、周囲にもその家族にもと喜びが広がる救いです。また、そのような大きな神の御手の中に、自分の家族を見るようになり、大事にするようになる変化です。ただの「魂の救い」以上に、今ここでの生き方や関わりも新しくされるほどの「主のことば」に教えられて、今ここで神を信じる喜びで生きるようになる。だから、私たちも自分の家族の救いを信じて期待できます。なかなか家族が信じてくれなくてもどかしい思いをして祈る時にも、私よりも先に救いを用意されている主を信じることが出来ます。「まだ信じていない頑固者」と裁くのではなく「主に招かれている尊い人」として見るように変わりたいですし、何があっても「自害してはいけない。絶望してはいけない。私はここにいるよ」。そう励ますよう変えられるのです。また、自分がその人に代わって信じることは出来ないのですから、その人が主を信じて、御言葉の素晴らしさを知って信じたくなるよう支える。そのように私たちが、主の大きな御愛で家族を受け止める「救い」です。

 パウロの第二回伝道旅行は、青年マルコを連れて行く行かないでバルナバと決裂して始まりました。新しい伝道計画が二度も禁じられました。恐らくパウロの病気のせいでしょう。そうして思いがけずエーゲ海まで来たことが、初めてのマケドニア宣教になりました。でもピリピで捕まって鞭打たれて、牢に入れられて。しかしそれがあったから、この看守とその家族の救いがあったのですね[7]。神の導きは順風満帆で穏やかではありません。人を育てる難しさ、意見の違いや方針転換、病気や回り道、非難や痛む体を押しながらの歩みです。そこでの出会い、その広がりにどんな意味があるのか、すぐには分かりません。自殺したくなる出来事だってあり、家族がいても孤独だったりします。そんな世界だからこそ、まず私が主に出会い、御言葉を聴き、喜びに与ったことが、決して自分独りの救いでは終わらない。家族や周囲への祝福となるために主が導いておられるに違いないと、信じて、祈って、喜んでいきたいと願うのです。

「主よ。あなたが私たちの家族や周囲の人々をも深い恵みをもって見て下さっていることを感謝します。私が自分のことしか考えられず、家族を忘れたり裁いたりしているとしてもあなたはもっと大きな愛と尊いご計画をもって導いておられます。どうぞ私たちの傷も、精一杯の歌声も、ここにいる存在をも用いてください。あなたの救いが届けられるのを待ち望んでいます」



[1] この他、10節で「私たち章節」が始まります。「使徒の働き」の著者ルカが同行したことを示す大きな変化です。こうした意味の多い十六章です。

[2] ここにわざわざ「ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた」とあります。二人の歌が上手いとか美しくハモっていて聞き惚れていたではなく、鞭打たれて牢獄に繫がれて、なお神を賛美している二人に驚いて、興味津々で聞き入っていたのでしょう。

[3] 持っていた剣を灯りに代えて牢の中に駆け込んで、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏し、それから二人を外に連れ出して、という詳しい描写に、看守の心中の動きが現れています。それを伝えようと詳細に記すルカの意図も、人間の恐れ、不安、変化に向けられています。

[4] 看守は牢の外で鍵を持っていましたが、自分のほうが囚われていて、地震や奇跡でひとたまりもない生き方の奴隷だと気づいたのかも知れません。

[5] 「救われます」は二人称単数で「あなた」だけにかかっています。そして最後に「そして、あなたの家族も」と加えられる文章なのです。

[6] 看守が自害した時、家族のことは考えたのでしょうか。それまでも家族との関係はどうだったのでしょうか。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたは救われます」で終わらず、

[7] この出来事は、主イエス御自身とも重なりますし、旧約での創世記終盤のヨセフ物語とも重なります。

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