2016/06/19 ハイデルベルグ信仰問答19「救いの魅力」ローマ8章1-4節
今読んだ聖書の箇所を思い出してください。イエスは、ご自分の育ったナザレの町で会堂に行かれ、聖書を渡されました。この「聖書」は、イエスが十字架と復活の御業をなさって、新約聖書が書き始められる前ですから、「旧約聖書」ですね。その旧約聖書を読んで、イザヤ書の言葉を朗読された後、説教をするために、お座りになりました。そして、その時に、なんと仰いましたか?
「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました」
と仰ったのですね。これを聞いて、そこに居た人々は途端にザワザワ騒ぎ出しましたのですけれど、それはさておき。やっぱり、みんながざわめき立つような爆弾発言を、イエスはなさったのですね。聖書に書かれている、
ルカ四18「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
19主の恵みの年を告げ知らせるために。」
この言葉が今日実現しました。つまり、イエスがお出でになったことにおいて、イザヤ書に書かれてある言葉が成就しました、と仰ったのです。他でもイエスは、旧約聖書の事は、すべてご自分を指して言っていたのだと言われるのですね。そして、教会とはそれを信じているキリスト者たちの集まりなのです。
問19 あなたはこのことを何によって知るのですか。
答 聖なる福音によってです。それを神は自ら、まず楽園で啓示し、その後、聖なる族長たちや預言者たちを通して宣べ伝え、律法による犠牲や他の儀式を通して予型し、御自身の愛する御子を通してついに成就なさいました。
この事とは、前回問18で、学んだことですね。
問18 それでは、まことの神であると同時にまことのただしい人間でもある、その仲保者とはいったい誰ですか。
答 わたしたちの主イエス・キリストのことです。この方は、完全な救いと義のためにわたしたちに与えられているお方なのです。
この、「私たちの主イエス・キリストこそ、神であり人間である、完全な仲保者であり、私たちに完全な救いと義とを下さる方です」という事は、どうやって分かるのでしょうか。それはただ夕拝で牧師がそう言っているからでしょうか。お父さんやお母さんがそう言っているから、そういう事にしておけばいいのでしょうか。信じておくしかない、賭(ギャンブル)みたいなものなのでしょうか。いいえ、聖なる福音によって分かるのです。それは、エデンの楽園でも言われました。アダムとエバが、神との約束を破った直後に、既に神は蛇に向かって、こう言われたのです。
「わたしは、おまえと女との間に、また、お前の子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
そして、
「その後、聖なる族長たちや預言者たちを通して宣べ伝え、律法による犠牲や他の儀式を通して予型し、御自身の愛する御子を通してついに成就なさいました。」
というのです。ここで、この事をまとめてくれた動画を見つけましたので、これを見てみましょう。
聖書は驚くべき本です。様々な物語がすべてイエスを指さしています。聖書の始まりは、神が完全な世界と完璧な夫婦を置かれたことです。しかし彼らは、神に従わずに罪を犯し、死を持ち込んでしまいます。神は、大洪水で全地を裁かれますが、ノアに箱舟を造らせ、動物たちとノアの家族が生かされました。ノアの子孫の一人が、アブラハムで、神は彼の子孫を空の星のように増やし、世界の祝福のために用いられると約束なさいました。その地に飢饉が広がったとき、神はヨセフを起こし、イスラエル人をエジプトにやりますが、そこで奴隷とされてしまいました。新たな指導者、モーセは、民を救い出し、約束の地に導きました。神は奇蹟と律法を授けられます。「幕屋」を建て、罪のために生け贄をささげさせました。しかし、約束の地でも、イスラエル人は反抗的で、偶像を礼拝し、高ぶりました。王の一人が、ゴリアテを倒したダビデで、その息子ソロモンが大きな神殿を建てました。しかし国は分裂し、苦しみます。その時、預言者たちが人々に「メシヤ」について語りました。メシヤが来て、私たちを治めてくださる。イスラエルの国が滅びてもそう語ったのです。やがて神は彼らを国に帰らせ、神殿が再建されました。メシヤがまもなく来ると告げられました。その後、沈黙の四百年が続き、飼葉桶の赤ん坊が現れました。そのイエスメシヤです。生涯罪を犯さず、奇蹟を現され、神に立ち帰る道を示されました。イエスを信じた人はわずかで、捕らえられ、十字架に磔にされ、その後、イエスは生き返られたのです。死を征服し、罪を打ち破られたのです。(間)最初に言ったように、聖書のすべてはイエスを指さしています。その最初の瞬間から、そうです。ノアの箱舟は、イエスの救いの約束でした。アブラハムの子孫であるイエスが、世界を祝福されるのです。いけにえは、イエスの十字架を指さしていました。聖書の全ページは、私たちにイエスを指し示している物語です。それだけではありません。弟子たちは、イエスを地の果てまで伝え、あらゆる所で福音を分かち合ったのです。あなたと私も同じ招きをもらっています。イエスが戻って来られるまで、イエスの福音を分かち合うのです。聖書の物語は、すべてイエスについての物語なのです。
聖書はイエスの完全な救いと義を語っています。イエスが、私たちを救い、私たちの人生を正しく導いてくださることをずっと語っているのです。そういう福音が、聖書の初めからずっと語られているのですね。聖書を読むのは、この福音に気づくためです。
もし聖書がなかったとしたら、私たちの信仰はとても怪しいものでしかありません。でも、福音とは何よりも確かなものです。神は、聖なる福音を最初から様々な方法で人類に告げ知らせておられました。それは聖書が私たちに確信させてくれることです。
聖書にある沢山のドラマや出来事は、私たちを励まし、慰め、喜ばせ、謙虚にしてくれ、イエスの救いにあずからせてくれます。聖書を読んで、福音をいつもいただきましょう。