2021/11/7 士師記13-16章「力に溺れたサムソン」こども聖書㉞
今日のサムソンは、「士師記」に出て来る「士師(さばきつかさ)」の一人です。彼は最後のさばきつかさで、その生涯の事は、とても詳しく記されています。彼が生まれる前、イスラエルはペリシテ人と呼ばれる民族に侵略されていました。40年に亘って、ペリシテ人に支配されていたのです。
その時、サムソンの母に御使いが現れました。
士師記13:3…見よ。あなたは不妊で、子を産んだことがない。しかし、あなたは身ごもって男の子を産む。…5…その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人だから。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」
「ナジル人」というのは、聖書で、神様に特別な誓いをする人が、その間、お酒を飲まず、髪の毛も切らずに伸ばして、汚れた物には触らずに過ごすことを指しています。サムソンは、生まれながらのナジル人だ、というのです。ですから、サムソンは、小さい時から髪の毛を切らず、大人になりました。長い髪のまま、大きくなり、そしてイスラエルを治めて、ペリシテ人と少しずつ戦いを起こすようになります。そして、時々、サムソンは、神である主の霊が激しく下って、すごい力を発揮するようになります。
最初は、襲ってきたライオンに、素手で戦って勝って、ライオンを引き裂きます。
次に、大きな町にいって、30人の人を打ち倒してしまいます。
その後、ジャッカルを三百匹捕らえて、二匹ずつ尻尾でつないで、松明をくくりつけて、ペリシテ人の麦畑を燃やし尽くしてしまいます。
その報復でペリシテ人の所に、新しい縄二本で縛られて行った時、主の霊が激しく彼の上に下り、その綱が燃えた糸のように切れて、サムソンは立ち上がり、ロバの顎骨を拾って、千人ものペリシテ人を倒してしまいます。
ロバのあご骨
それでは終わらず、サムソンは門の扉を門柱と閂ごと引き抜いて、肩に担ぎ、山の頂まで運んでしまいます。こんな凄いサムソンの名前は「怪力」とくっつけられています。
しかし、それは「主の霊が激しく彼の上に下」った特別な時でした。いつもサムソンが怪力だったのではないのです。それなのに、自分の力を頼みとするようになると、人はもっともっと力がほしくなります。結局、力では、ペリシテ人との戦いは続く一方でした。いいえサムソンは自分自身をも見失って、心がどんどん空回りしてしまうのです。
町の門を引き抜くほどの力を発揮したサムソンは、デリラというひとりの女性に心を奪われます。ペリシテ人がこれを知ると、デリラに近寄って、こう持ちかけました。
16:5…「サムソンを口説いて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、縛り上げて苦しめることができるかを調べなさい。そうすれば、私たち一人ひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。」
こう言われて、デリラはサムソンからヒミツを聞き出そうとするのです。
6…どうか私に教えてください。あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょうか。
サムソンははぐらかして嘘を教えますが、ばれてまた誤魔化して、を繰り返します。
15彼女(デリラ)は…「あなたの心が私にはないのに、どうして『おまえを愛している』と言えるのでしょう。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのか教えてくださいませんでした。」
16こうして、毎日彼女が同じことばでしきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほど辛かった。
そして、遂にサムソンは自分が生まれた時から、髪を剃った事がないと教えてしまうのです。デリラは、サムソンが今度こそ本当のことを言ったと分かりました。
19彼女は膝の上でサムソンを眠らせ、人を呼んで彼の髪の毛七房を剃り落とさせた。彼女は彼を苦しめ始め、彼の力は彼を離れた。…21ペリシテ人は彼を捕らえ、その両目をえぐり出した。そして彼を…引き立てて行って、青銅の足かせを掛けてつないだ。こうしてサムソンは牢の中で臼をひいていた。
サムソンはすごい怪力で目覚ましい活躍をしました。だけど本当のサムソンは無力でした。デリラに愛されたくて自分の秘密を明かすほど、本当は弱かったのです。サムソンは、神が力を下さる事を忘れて、自分の髪の毛に力の秘密があるように勘違いして、デリラにその秘密を話しました。本当の問題は、髪の毛を剃られた事ではありません。サムソンが神様より自分の力を頼みとした時から、問題は始まっていたのです。
しかし、あのサムソンが捕らえられた先で、神は最後にサムソンの願いを叶えてくださいます。捕らえられたサムソンを見世物にしようと神殿に集まっていた三千人のペリシテ人とともに、サムソンは神殿の大きな柱を手にして祈りました。
28…「神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」…「ペリシテ人と一緒に死のう」と言って、力を込めてそれを押し広げた。すると神殿は、その中にいた領主たちとすべての民の上に落ちた。
力を頼みとしながら、デリラの言葉で死ぬほど辛くなって、裏切ったサムソンが、最後には神にもう一度祈り、自分の死でイスラエル人を救いました。力を誇ったサムソンが、最後には自分を献げて、本当に強い人、本当にイスラエルを救う働きをしました。神はサムソンに、怪力以上のもの、神に祈る心、神に立ち戻る人生を下さったのです。
力、能力、お金や権力、いろんな力。そのどれも、強いようで限界があります。ますます心が強さを求めます。そして、誘惑にも弱くなります。イエスはそのような怪力のヒーローではありませんでした。奇蹟の力がありながら、それで人を変えようとしませんでした。イエスの救いは、ご自身を十字架に献げる愛によって果たされました。私たちの罪の身代わりに、十字架に死に、復活され、主の霊が私たちの心に注がれて、私たちを強めてくださる。それが本当のさばきつかさ、キリストです。
キリストは、神の御姿であられるのに、
神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、
人間と同じようになられました。
人としての姿をもって現れ、
自分を低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
それゆえ神は、この方を高く上げて、
すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、
天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが
膝をかがめ、すべての舌が、
「イエス・キリストは主です」と告白して、
父なる神に栄光を帰するためです。
ピリピ2:6-11
私たちはサムソンや強い英雄(ヒーロー)に憧れます。イエスはその逆でした。そしてイエスはサムソンを変えたように、私たちも、このイエスの心で生きる者にしてくださるのです。
「主よ、サムソンの怪力は、人もサムソン自身も救いませんでした。私たちの救いは、力ではなく、あなたにあります。そしてあなたは私たちを強めもし、弱さや失敗も用いてもくださいます。どうぞ、成功に溺れたり、人の言葉に怯えたりする時、本当に力あるあなたに立ち帰らせてください。そして、私たちをあなたの道具としてください」