昭和20年8月15日の敗戦後
父を除いた一家7人は
木古内の伯父を頼って 樺太から引揚てきた
いつまでも頼ってはいられず
道北の士別市にある
国鉄が用意してくれた引揚寮に落ち着いたのは
10月24日だった
着の身着のままの 夏服姿だった
二階の大広間の片隅に身を寄せた
引揚寮は 国鉄が小料理屋を買収して
引揚の婦女子の住まいとして提供してくれたのである
18畳の大広間の四隅に 4家族17人が暮らすことになった
頂いたカボチャをストーブで茹でて食べたが
生まれて初めてくらい 美味しい味に感じた
寮の好意で布団をいただき
夜 敷くことになった
側は目の覚めるような豪華な絹だったが
中身は綿ではなく 海藻がゴロン ゴロンと隅にあるもの
布団を敷き 足で何度も踏んで平らにする
掛布団も同じようにして寝た
夜中に寒くて目が覚める
海藻の綿は隅に固まっており 薄い絹の布だけが掛かっている
敷布団も同様 畳に直接寝ているような感じである
同じことを何度も繰り返し 寝不足の朝を迎えた
窓の外には 雪が30センチ位も積もっていた
そのまま根雪になってしまった
10月25日 忘れることのできない 初雪の思い出である
今日は気温が低く風も強い 朝から小雨が降ったりやんだり
小雪もチラついている
暖房の効いた部屋で
寒さ知らずの幸せな生活を送っている
昨日
詩吟の帰り 教育大の校庭
まだ紅葉が残っている
望遠で