昭和20年8月9日にソビエトが参戦して
樺太に住む者の緊張感が高まった
12歳だった私も
空襲警報になると急いで防空壕に飛び込んだり
ソビエト兵が攻めて来るのではないか
不安な気持ちでいっぱいだった
15歳以上の男子を除く婦女子の疎開がはじまり
我が家は父を除いた母子7人が
18日に北海道の伯父宅へ疎開することが決まった
農作業ばかりの女学校は
子守でサボることが多くなっていたし
お米が少しの雑炊はすぐお腹が空き
非常食の炒った大豆を食べると
すぐ下痢をする
暑い夏だった
お盆の記憶はない
1937年に建てられた旧樺太庁博物館
2012年に訪れた時も当時の建物 展示物が残され
博物館になっていた
池は新しく造られ 狛犬は護国神社に合ったものが
玄関わきに鎮座していた
今朝
施設に入っている88歳の姉から電話がきた
弟とお寺にお参りに行ってくる
涼しくなったら会おうね
実家は処分し父母も永代供養したので
私はお寺には行かないで
心の中で祈るだけ
娘が来たが静かなお盆
昔話を沢山した