黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

命の危険に遭った友

2021年08月05日 | 戦争

仲良しだったAさん一家が樺太(サハリン)から引揚げてきたのは

一番遅く(1949年)昭和24年になってからだった



コルサコフ(大泊)の港

 

昭和20年 お父さんは樺太の玄関口 大泊駅の駅長さんだった

母と子共8人は終戦後すぐ引揚げられたはずだが 事情があったのだろう

 

大泊神社の石段跡

 

 

引揚げてから お父さんは宗谷本線の小さな駅「蘭留」の駅長に

 

Aさんは交換手になったと聞いたので 早速職場へ会いに行った

 

再会を喜び合ったが私よりずい分大人で淋しげな表情だった

 

仕事が終わってから一緒に「蘭留」の官舎へ行ったが

小母さんは私の顔を見るなり「無事でよかったね」

 

とだけ言って涙をぽろぽろ流し 後は言葉にならなかった

 

 

敗戦後ソ連兵に連れて行かれそうになり

頭を丸坊主にして隠れて暮らしたと

うわさで聞いていたが 命の危険に遭い 大変な苦労だったらしい

 

Aさんも何も言わなかったが 一家の支えになっている様子だった

 

がらんとした家には家具も荷物もほとんどなかった

 

 

その後まもなくお父さんは国鉄を辞め

一家でどこかに引越して行ってしまった

 

それっきりAさんの消息はわからない

 

まだ生きていたら会いたいなあ

 

幸せな日々を過ごすことが出来たろうか

 

 

 

国民学校5年生の時お互いに札幌から転校して仲良しになった

8人姉弟の長女でしっかり者のAさん

 

 戦争に負けてからの4年間の苦労とつらさは想像を絶する

 

 

 


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