ベランダから大雪の山々が美しい
残り少ない秋
近くで眺めたい写したい気持ちを抑えられず
タクシーで就実の丘まで行ってみた
刈入れの畑の向こうは まだ緑
逆光の十勝連峰は優しい
スキー選手のトレーニングだろうか
ベランダから大雪の山々が美しい
残り少ない秋
近くで眺めたい写したい気持ちを抑えられず
タクシーで就実の丘まで行ってみた
刈入れの畑の向こうは まだ緑
逆光の十勝連峰は優しい
スキー選手のトレーニングだろうか
朝は冷えたが 優しい陽射しが心地よい
一昨日の冬から又秋へ
公民館のパソコン授業も明るく楽しい
午後は夫を誘って写真連盟展を観に行く予定
久しぶりにJTrimを使う
千花さんのフレームを参考にする
ここ数日 体の痛みがひどく 夜の眠りが浅い
鍼もお灸も少しより効かない
季節の変わり目
我慢し 好きなことをして気を紛らわす
我家から眺められる大雪山連峰は美しい
主峰の旭岳は 標高2229m北海道で一番高い山である
一昨日
本州の観光客夫婦 外国人男女計4名が
悪天候で道に迷い遭難した
普段は優しい姿の山も
寒気で真冬の吹雪状態 視界はゼロ
一日中案じていたが 昨日夜6時近くに発見された
命に別状ないそうで 山中のテントで一夜を過ごし
今朝7時頃ヘリコプターで収容 病院に搬送された
良かった 良かった 安心したが
北海道の山や気象を良く知らない観光客が
安易に登山し 遭難するケースが最近特に多い
平地でも氷点下近くなり 山は真冬 本州の山とは違う
安易な登山は命を落とすことになりかねない事を
知ってほしい
捜索された皆さんのご苦労に感謝したい
我家のベランダから
就実の丘
2015年11月4日撮影
今はロープウェーで標高1600mまで簡単に行けるが
私が登った頃(二十歳頃)
ロープウェイなどはない
天人峡から 壁を登り 旭岳温泉に一泊
翌朝旭岳温泉(1100m)から登り 黒岳まで縦走して下り
旭川へ帰ってきたことがある
恐いもの知らずだったが
しばらく足がガクガク 筋肉痛だった
今は
マンションの階段4階までがやっとである
昭和20年(1945年)の10月の 雪虫が舞う頃
木古内町から道北の士別町の引揚者寮へ引っ越した
敗戦で樺太から 伯父の住む木古内町に引揚げたが
いつまでも厄介になるわけにいかず
旧国鉄の計らいでの入居である
料理屋だった引揚寮は
婦女子ばかりが10数軒 数十人がひしめき合い暮す
私達家族は 二階の大広間の片隅が住まいとして充てられた
先住者が三家族12人 我家を入れると18人が
18畳間に住むことになる
いただいたカボチャの塩煮
忘れられない美味しい味
荷物は何もない 布団が片隅に置いてあるだけ
我家も布団をいただいた
重い何かがゴロゴロ片寄って入っている
綿の代わりは乾燥した海藻だった
それを敷き足で踏んで平らにして横になる
掛布団も同じ 海藻が片寄り薄い布団皮だけになる
夜中に寒くて何度も目覚めた
翌朝起きると
雪が30センチ位も積もっており そのまま根雪になった
厳寒は-30℃以下になり 雪も多く 道路は玄関より高くなる
母は次の日から セルの単衣に角巻代わりの軍隊毛布をかぶり
数キロ離れた農家へ買い出し カボチャ ジャガイモを分けて貰い
生きるため必死の生活が続いた
それでも住まいを与えてもらい 農村に住めたから良い方であるが
難民と同じ
戦争に負けて日本中に難民があふれた
昨夜初雪が降ったらしいが 暖房の効いた部屋でゆったり
平和な時代も
だんだんおかしな方へ政治が進んでいる
戦争を知らない世代が多くなったが
あのような時代には決してなってほしくない
夫ディケアの日
10時に出かけて12時には帰宅
つかの間の独りだがホッとすする時間である
掃除 洗濯をしてパソコンに向ったらもう11時
1時間だけだが気兼ねない自分ひとりの時間 描いて遊ぶ
今日の最高気温は10℃を下回る予想
ベランダからの木々は色褪せてみえる 初雪も近いだろう
Wordのクリップアートから背景を拝借し
ナナカマドの紅葉を描いた手抜きです
風は冷たいが青空がのぞく
ひと月ぶりの“花とき”例会へ
駅裏開発で又空き地が減っている
柵で覆われ駐車場は狭くなり
ガガイモなどが見られた草地が整地され跡形もない
クレーン車にに乗った作業員が白樺の大木の枝を切っている
しら樺も倒されるのか気になる
“花とき”会場のCoCoDe(市民活動交流センター)は
旧国鉄時代の機関車などの修理工場を改築したもので
古いレンガ造りで趣がある
広々とした旧国鉄用地が市に譲渡され再開発しているのだが
整備され人工的になって行くのが寂しい
裏玄関前のイチョウは例年より早く落ち葉が多い
やまぼうしの実
今日はネットが繋がらず パソコンは開いただけ
紅葉を写したり おしゃべりの一日だった
楽しい語らいで
昨日の疲れは吹き飛んでいた
詩吟の秋季審査温習会だった
朝8時に出かけ帰宅は夕方6時過ぎ
他の皆さんはまだ宴会真っ盛り
若い仲間が努力賞を貰い 私も ボロを出さずに終わる
疲れてヘトヘト 体中の痛みが強い
終わって達成感はないが 安堵感が大きい
今年の発表は後1回で終わる
名残りの秋
珍しく太陽さんが顔をだし
部屋の中はぽかぽかあたたかい
ぼんやりしていられないのに スローな動き
明日は詩吟の“秋季審査温習会”
仲間が審査を受けるのが気がかりだし
いつものことながら 練習の一夜漬け
夫の昼夕食の準備や手配
山姥のカットもしなければ
洗濯 片付け 掃除も・・・・
もう放免してほしいのだが
不似合いな受付の役 朝8時には出かけなければならない
重い腰をゆっくりあげ これからはじめるつもり
先日の旅行の際 気がかりな
独り暮らしで身寄りのない友に会う
5年ぶりの友は
一人では歩けず やせ細ってミイラのよう
お世話してくれる近所のKさんご夫婦が一緒であり
ご夫婦も介助は限界に見受けられた
今まで何度も介護認定を勧めていたが 受けつけない
夫の例を示し介護を勧めると 言葉では申請すると言うので
気になりながら別れた
Kさんの奥さんから
電話で詳しい最近の事情を聞くことができた
入浴も一人では無理なので一緒に行く
その他もろもろ・・・・
他にも彼女を心配している人が存在し その人の手配で
包括センターの係が4日と昨日 彼女宅を訪問することなど
2回とも
鍵を開けないので 直接は会えなかったが、Kさんを間に
彼女の希望に沿うよう これからのことを話し決めた
今朝包括センターから結果を知らせる電話がくる
今まで通り介護申請はしない
最低限Kさんの世話になることになり
Kさんも了解している
見守りは 地域や 宅配 包括センターで 度々行う との内容であった
頑固で依怙地 わがまま 独りで生きられると 頑な態度を貫く彼女に
呆れながらも 少し安心した
孤独老人ではない 沢山の人に見守られている彼女は
幸せ者かもしれない
包括センターのEさん Kさんご夫婦
地域の皆さんのご苦労に感謝する
今年の夫のリハビリ目標
“国内旅行が出来るように目指す”であった
昨年の目標は
“家庭で日常生活が送れるように”である
脊椎狭窄症と腰椎分離症による痛みがひどく
一昨年12月から約5ヶ月間入院
3か月位は寝たきりだった
土・日・祭日も休まず訓練が続けられ
素晴らしい訓練士さんたちや病院スタッフのおかけで
痛みも和らぎ歩けるようになる 退院後は
10kg減った体重が徐々に増え少しづつ体力が回復して行った
デイケアに通うようになり
幸いなことに 入院時お世話になった
理学療法士さんが配置換えで 又 夫の担当になる
お蔭で
念願の国内旅行が二度も出来 目標を達成できた
夢を目標にし 根気よく導て下さった理学療法士のSさん他
皆さんに感謝 感謝でいっぱいである
来年のリハビリ目標が楽しみである
88歳の 黄昏どきは まだ夢がある
お蔭で
私も好きなこと したいことに我が道を行く
午後は詩吟の稽古
ショッピングセンター前の大イチョウ
すっかり黄色に変身し
石北峠は雪の予報