昨日11月5日、日本におけるRowing(漕艇)の重鎮であり、前桑野造船社長の古川宗寿氏が亡くなった。
いつお会いするときも屈託のない笑顔でロウイングについて語り、時にはガハハハハと豪快に笑い飛ばし、時には怒りを露わにして…
ボートを日本一愛し、いつも全力でアツい人でした。
そんな古川さん、数年前に私が瀬田川で開催されるロングレース 「Head of the 瀬田」に出場したとき
瀬田漕艇倶楽部のクラブハウスからシングルスカルを蹴りだす前のひと時をご一緒させていただいた際、こんなことを言っておられました。
「ワシのように60を過ぎて70近くなったお爺さんはな、ボチボチ、どういうふうに死んでいくかを考えんといかんのよ」と。
その時は心の中で「死なんやろ、このオヤジは100歳になってもボート漕いどるわ、きっと」と思った。
私にとって、昨年12月に琵琶湖漕艇場での公認指導員講習会で受けた講義が古川さんとお会いした最後となってしまった。
その講義のはじめの自己紹介の時も、ガン闘病中だとおっしゃってましたが
「私はね、ガンなんかに負けませんよ」と力強く語っておられたし、実際、最近までボート漕いでらっしゃったみたいだし。
「ボート漕ぎながら死ねたら本望や」とおっしゃっていた言葉通りになってしまった…
まだまだ教わりたい事は山のようにあっただけに残念でならない。
しかし、最も悔しいのは志半ばで逝ってしまった本人かもしれない。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます
合掌
いつお会いするときも屈託のない笑顔でロウイングについて語り、時にはガハハハハと豪快に笑い飛ばし、時には怒りを露わにして…
ボートを日本一愛し、いつも全力でアツい人でした。
そんな古川さん、数年前に私が瀬田川で開催されるロングレース 「Head of the 瀬田」に出場したとき
瀬田漕艇倶楽部のクラブハウスからシングルスカルを蹴りだす前のひと時をご一緒させていただいた際、こんなことを言っておられました。
「ワシのように60を過ぎて70近くなったお爺さんはな、ボチボチ、どういうふうに死んでいくかを考えんといかんのよ」と。
その時は心の中で「死なんやろ、このオヤジは100歳になってもボート漕いどるわ、きっと」と思った。
私にとって、昨年12月に琵琶湖漕艇場での公認指導員講習会で受けた講義が古川さんとお会いした最後となってしまった。
その講義のはじめの自己紹介の時も、ガン闘病中だとおっしゃってましたが
「私はね、ガンなんかに負けませんよ」と力強く語っておられたし、実際、最近までボート漕いでらっしゃったみたいだし。
「ボート漕ぎながら死ねたら本望や」とおっしゃっていた言葉通りになってしまった…
まだまだ教わりたい事は山のようにあっただけに残念でならない。
しかし、最も悔しいのは志半ばで逝ってしまった本人かもしれない。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます
合掌