8日
受付を済ませて、食事時間の説明などを聞く。夕飯も朝も4時半から6時半までで、適当に来て並んで順番を待って食べるのだそうだ。部屋は別館のサンモリッツというところ。今日は布団一枚に最大3人になりますと言われる。名前だけは素敵だが、中に入ると廊下の両側に蚕棚風の仕切りがあり、布団が並べられている。既に2組到着していて、我々を入れて9人だ。その後3人追加となり、合計12名でしっかり幅70センチくらいの布団に3人となった。どうやって寝るのかと、先に着いていた方々と話をする。
トイレは、宿泊客だけでなく、テント泊の人たちも利用するので、すでに並ばないとならない。早めに並んだ。1回100円。トイレにはカートリッジ式の便槽をヘリコプターで運ぶためにいかにお金がかかるかの説明が書かれていた。トイレットペーパーはしっかり設置されている。ペーパーは専用の入れ物に入れるようになっていた。まあ、山では普通のことですね。
なんといっても宿泊費2食付で9000円。布団1枚に3人でも4人でも同じなのだ。今日は団体も何組も入っているようだ。反対側のブースはクラブツーリズムのグループの一行のようだった。
とりあえず、売り切れになる前にテラスでビールとおでんを食べたいというので、あまり防寒着も着ないで、テラスに向かう。残念ながら穂高の山には雲がかかって、日没を見ることはできなかった。もしかしたらダイヤモンド穂高が見られるかもと期待していたのだが。テラスはすっかり日陰で風もあり、寒い。
おでんやコーヒーを買うにも長蛇の列。寒い中ひたすら並ぶ。途中、防寒着を着るために交替し、またテーブル席を確保するために一人空きそうな席に座り確保。若者が1人、席を確保のために一緒にいてくださったが寒そうで申し訳なかった。ありがとうございました。
やっとのことで、おでんと生ビール、私は暖かい紅茶を頂く。しかし、ビールは燦々と日が照っている時には良いのだが、飲みだして皆後悔した。熱燗を頼めば良かったと。おでんも調理が間に合わなかったのか、あまりがんもはまだ芯まで温まっていなくて、アツアツではなかった。それにあっという間に冷めてしまう。
とりあえず皆で乾杯しておでんを頂いた。寒いけれどおいしい。しかし、寒いのでのんびりしていられず、食べ終わって早々に部屋に引き上げた。疲れていたので、その辺のお散歩に出る元気はなかった。
食事は団体が4時からで、近くの団体客が食堂の方へ出て行った。
その後疲れた人は仮眠。でも早めに食べてしまおうと、団体の人たちが帰ってきたころ、食堂に行く。と言っても食堂の入り口の受付横のスペースに並ぶのだ。2度目くらいにやっと、食堂への階段にたどり着き、先客が出て行った順に呼ばれて、席に着く。
中は広々とした食堂で、なかなかシック。混んでいなければ、ここでコーヒーを頂くのも気持ちよさそう。今日は食堂はアルコールご法度。食事時間が長引かないようにとのことらしい。普段はビールやワインもあるらしいが。
お皿には缶詰風のイワシ一尾と卵料理とミニハンバーグ2個に胆振ガッコと生野菜と野沢菜だったかな?。別皿に小松菜の煮びたし。それにみそ汁がつく。お茶がアツアツでおいしい。その時は私は自分のお腹の調子がおかしいとも気づかずに全部平らげてしまった。
部屋に戻って、くつろぐ。だんだんにテント泊の人達も水場を使用しにきたり、トイレにやってくるので、列が長くなる。6時過ぎには、食堂に入るにも屋外で並んでいる人たちもいたし、トイレの列もすごくて20~30分はかかるみたいだった。
私はその列に並んだ時に、月が山影から登ってくるのを見ることができた。山影の上の方が何か光ったのでなんだろうかとみていたら、月が出てきたのだ。13夜くらいの月だが、山にさえぎられているため、まるで満月のように見える。月はしばらく後で歯磨きをしにでたら、高い空に見えていたが深夜眠れないので外に出た時には山影の向こうに消えたらしく、見事な星空が浮かび上がっていた。
交替で寝られるうちに寝ようということで、横になったが、がたがた言う音で眠れない。皆はどうしているかしらとほかの部屋?の人たちの様子を見ていたら、若い人たちのグループでは、全員がウェットタオルで足を拭いていた。頭と足を交互に寝るのに必要なことだったが、全員がサークルになって壁に背を持たせて寝ようかと実験してみたりしていた。しかし、私もやってみたのだが、ちょうど部屋の境のテーブル状のところでは背中た当たって痛かった。
結局私たちは、後から来た2人の男性が、どうせ掛布団は暑くていらないだろうからと渡した掛布団にくるまって廊下で寝ることになり、9人が中の4つの布団に寝ることになり、私は3人の真ん中で2人の足の間に寝袋シーツにくるまって頭を持ってくるように休んだのだが、やはり落ち着いてほとんど寝ることもできないまま、我慢の時間を過ごした。
9時消灯の前、7時ごろには皆休んだ。
9日
誰かが2時半ごろ外に出たのを機会に私もヘッドライトをつけて防寒着を着て外に出た。どうせ寝られないし空いている間にトイレに行っておこうと思ったのだった。
外に出ると、夜空にオリオン座がすぐそばに迫り、北斗七星が南側の山のすぐ上に見えた。ただし6個だ。一番下は山の向こうのようだった。北斗七星の先にはカシオベアが見えるはずと、追っていくと確かにカシオベアが見えた。そのほかの星座は分からなかったが、とにかくたくさんの星星が光っていた。天の川には気づかなかった。
それからしばらくまた無理な体勢で寝ようと試みる。一瞬くらいは寝たかもしれない。
4時前には、誰かがごそごそし始め、団体客が食堂に立ち、ストーブが消された談話スペースに何人もの人たちが布団やシェラフにくるまって寝ていたが電気がつけられ、ストーブも焚かれ始めた。暑いくらい。それでもがんばってシェラフにくるまった若者がいたが。
談話室で聞いた話だが、後から宿泊希望の人たちで、どうしても布団に寝るスペースがないと苦情を言った人たちには、シェラフを貸してくれて食堂で寝たのだとか。あーあ!わかっていたら、私もそうしたかったなー!登山グッズを見に行ったときにシェラフを買わなかったことをすごく悔んだのだった。貸してもらえるなら借りたかった。硬い廊下でもその方が寝られたと思うのだ。
私たちのグループは結構どこでも寝られる方がお腹が空いたといって、談話スペースで食事を摂り出す。私もあまり空腹感はなかったが、どうせ寝られないので、弁当を食べだした。朝ご飯は混むことを考えて弁当に変えてもらったのだが、昨晩のうちに渡されていた。お茶は昨日もらった保温水筒のお茶がすっかり冷めていたが、冷たくはなかったのでそれで済ませた。
バーナーを持ってきていただいていたが、別館前の自炊スペースにはザックやらが置かれていて、バーナーを使える状態ではなかったので、みそ汁はあきらめた。
それからモルゲンロートを見るためにヘッドライトをつけて先にお手洗いに行っておこうとして驚いた。トイレの列がテント場からヒュッテに登ってくる道の途中までつながっていた。なんとトイレまで50分近くかかってしまったのだ。寒いから冷えて来る。登山靴下をはいたとは言え、小屋のサンダルで並んだので、足元から冷える。トイレに行くにもホカロン持ってきておいて良かったわ。
その間カメラがあったので、夜明け前の山の様子やらを写した。北穂高や奥穂高の途中、点々とヘッドライトの光が見える。北穂高の山頂近くには山小屋らしい光も見えた。写真は手振れで、光の筋になってしまったが。こういうときには三脚が必要ですね。
はたしてモルゲンロートの時間に間に合うかしら?とそばの人と話しながら、でもここまで来てあきらめて再び並ぶことはできないので、モルゲンロートをたとえ見られなくても仕方ないわと覚悟を決めた。仲間の誰かが写真撮ってくれるだろう。
幸いなことにモルゲンロートには少し余裕で間に合った。
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