みなさんは屋台ラーメンのチャルメラを知っていますか。
「明星チャルメラ」のパッケージのおじさんが吹いている楽器です。
もともとはスペインやポルトガルで日常的に吹き鳴らしていた木管楽器のことです。
日本には中国から伝えられましたが,最初のうちは「唐人笛」と呼ばれ,飴屋が客寄せに使っていたそうです。
それがいわゆる中華そば屋のメロディーとして市民権を得るようになったのは,大正になってからだそうです。
チャルメラのことは날라리といいますが,この날라리にはもう一つの意味があるんです。
仕事をしないで,いい加減な生き方をしている男,中でも「チンピラ」や「ひも」を見下した言い方です。
「ひも」というのは情夫のことですよ。기둥서방〈-書房〉といいます。
백수건달と言う言葉を聞いたことがありませんか。
これは漢字で書くと「白手乾達」で「ごろつき」「やくざ」「よたもの」「遊び人」のことです。
若者が백수 <白手>というと軽い意味でフリーターといったところですかね。
ごろごろして何もしていない人もこういいます。
この건달という言葉はサンスクリット語(산스크리트 어)から来たもので,gandharvaという語を音訳したのです。
このgandharvaはもともと霞を食べながら楽器を奏でていたといわれる高尚な音楽の神だったのですが,来る日も来る日も飯もろくに食べずに楽器の演奏ばかりしていたので,とうとうこのように不名誉な名前を得てしまったのです。
サンスクリット語 (Sanskrit) は,梵語(범어)ともいいますが,古代インドの言語で,現在のインドで日常的に使われている言葉ではありません。
でも身の回りにはこのサンスクリット語由来の言葉が結構あるんですよ。
仏教がインドで発祥し中国を渡り韓国に入ってきた過程で多くの古代サンスクリット語が韓国にもたくさん入り込んできました。
たとえば読書に熱中することを読書三昧(ざんまい)(독서 삼매)というでしょう?
この「三昧」もサンスクリット語のSamadhiの音写です。
Samādhiとは精神集中が深まりきった状態のことなんですね。
一瞬という意味の「刹那(せつな)」もサンスクリット語由来です。
これはksanaという語から来た言葉で찰나と読みます。
バスケットボールの中継をみているとアナウンサーが슛하는 찰나!(シュートする瞬間)などと叫んでいるのを聞いたことがあるでしょう。
そのほか阿修羅場(아수라장)という言葉がありますが,これもAsuraというサンスクリット語から来たものらしいですね。
화재 경보가 울리자 지하철 중앙로역은 순식간에 아수라장으로 변했다.(火災警報が鳴ると同時に,地下鉄中央路駅はあっという間に修羅場と化した)と言うように,よく事故現場などの形相の凄惨さを表す語として使われますね。
この「阿修羅」とはインドの鬼神の1つで,けんかのオニのことです。
怒りっぽくて,ちょっとしたことですぐ喧嘩をするので,「阿修羅」が住み常に戦いの絶えない世界を「修羅場」と言うようになったのです。
そびえ立つ高い建物という意味の塔(탑)も,サンスクリット語のstupaから来た言葉で,もともと仏舎利や遺物などを安置した「卒塔婆」と言ったものの略です。
塔といえばソウルの종로 2가〈鍾路2街〉には탑골공원があります。
仏教寺院だった원각사〈圓覺寺〉の跡に造られた小さな公園で,園内に大理石で造られた13層の石塔があります。
昔はパゴダ公園と言っていました。
1919年3月1日,この公園で独立宣言文が読み上げられ,全国的な独立運動へと発展していった삼일 독립운동〈三一獨立運動〉の発祥地で,公園の中央にはレリーフと筆頭署名者の像が建っています。
韓国語では「那落」とも書きますが同音の나락〈奈落〉は地獄という意味のnarakaの音訳で,これもサンスクリット語です。奈落の反対語は天国,仏教で言う涅槃です。あらゆる煩悩が消滅し苦しみを離れた安らぎの境地,究極の理想の境地を言います。韓国語では열반と読みますが,これはnirvanaという言葉から来た語です。
「明星チャルメラ」のパッケージのおじさんが吹いている楽器です。
もともとはスペインやポルトガルで日常的に吹き鳴らしていた木管楽器のことです。
日本には中国から伝えられましたが,最初のうちは「唐人笛」と呼ばれ,飴屋が客寄せに使っていたそうです。
それがいわゆる中華そば屋のメロディーとして市民権を得るようになったのは,大正になってからだそうです。
チャルメラのことは날라리といいますが,この날라리にはもう一つの意味があるんです。
仕事をしないで,いい加減な生き方をしている男,中でも「チンピラ」や「ひも」を見下した言い方です。
「ひも」というのは情夫のことですよ。기둥서방〈-書房〉といいます。
백수건달と言う言葉を聞いたことがありませんか。
これは漢字で書くと「白手乾達」で「ごろつき」「やくざ」「よたもの」「遊び人」のことです。
若者が백수 <白手>というと軽い意味でフリーターといったところですかね。
ごろごろして何もしていない人もこういいます。
この건달という言葉はサンスクリット語(산스크리트 어)から来たもので,gandharvaという語を音訳したのです。
このgandharvaはもともと霞を食べながら楽器を奏でていたといわれる高尚な音楽の神だったのですが,来る日も来る日も飯もろくに食べずに楽器の演奏ばかりしていたので,とうとうこのように不名誉な名前を得てしまったのです。
サンスクリット語 (Sanskrit) は,梵語(범어)ともいいますが,古代インドの言語で,現在のインドで日常的に使われている言葉ではありません。
でも身の回りにはこのサンスクリット語由来の言葉が結構あるんですよ。
仏教がインドで発祥し中国を渡り韓国に入ってきた過程で多くの古代サンスクリット語が韓国にもたくさん入り込んできました。
たとえば読書に熱中することを読書三昧(ざんまい)(독서 삼매)というでしょう?
この「三昧」もサンスクリット語のSamadhiの音写です。
Samādhiとは精神集中が深まりきった状態のことなんですね。
一瞬という意味の「刹那(せつな)」もサンスクリット語由来です。
これはksanaという語から来た言葉で찰나と読みます。
バスケットボールの中継をみているとアナウンサーが슛하는 찰나!(シュートする瞬間)などと叫んでいるのを聞いたことがあるでしょう。
そのほか阿修羅場(아수라장)という言葉がありますが,これもAsuraというサンスクリット語から来たものらしいですね。
화재 경보가 울리자 지하철 중앙로역은 순식간에 아수라장으로 변했다.(火災警報が鳴ると同時に,地下鉄中央路駅はあっという間に修羅場と化した)と言うように,よく事故現場などの形相の凄惨さを表す語として使われますね。
この「阿修羅」とはインドの鬼神の1つで,けんかのオニのことです。
怒りっぽくて,ちょっとしたことですぐ喧嘩をするので,「阿修羅」が住み常に戦いの絶えない世界を「修羅場」と言うようになったのです。
そびえ立つ高い建物という意味の塔(탑)も,サンスクリット語のstupaから来た言葉で,もともと仏舎利や遺物などを安置した「卒塔婆」と言ったものの略です。
塔といえばソウルの종로 2가〈鍾路2街〉には탑골공원があります。
仏教寺院だった원각사〈圓覺寺〉の跡に造られた小さな公園で,園内に大理石で造られた13層の石塔があります。
昔はパゴダ公園と言っていました。
1919年3月1日,この公園で独立宣言文が読み上げられ,全国的な独立運動へと発展していった삼일 독립운동〈三一獨立運動〉の発祥地で,公園の中央にはレリーフと筆頭署名者の像が建っています。
韓国語では「那落」とも書きますが同音の나락〈奈落〉は地獄という意味のnarakaの音訳で,これもサンスクリット語です。奈落の反対語は天国,仏教で言う涅槃です。あらゆる煩悩が消滅し苦しみを離れた安らぎの境地,究極の理想の境地を言います。韓国語では열반と読みますが,これはnirvanaという言葉から来た語です。
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