辞書を調べてもニュアンスがまったく伝わってこない単語,文例というものが存在する。
これはNHKラジオ・ハングル講座に載っていた1文だ。
A 「今度,塾のアルバイトをすることになったのだけど,自信がないんだよな」
B 「걱정도 팔자야.」
걱정도 팔자야. (心配も八字だ)
八字? 何が八字なんだ?
私はとても困惑した。
この例文の日本語訳を見ると「余計な心配をするな」と書かれていたが,意味がまったくわからない。
もしかしたら「걱정という字をハングルで書くと,8画で書けるから大したことはない」という意味なのか?
…と考えたのだが,心配という漢字語をいくらハングルで書いてみても,8画で書けないのだ。
もしかしたら慣用句なのかと辞書を調べてみたところ,팔자という単語は「人に定められた運命」というニュアンスをもつのだと書かれていた。
しかしいくら考えても「余計な心配をするな」を「心配も人に定められた運命だ」と訳すことはできない。
こういう疑問はネイティブの先生に聞くのがいちばんである。
私は 걱정도 팔자야という部分だけを先生に見せたところ,これは「心配も休み休みしろ,余計な心配をするな」という意味ですよ,と即答された。
辞書を引いても,いくら考えてもわからないのに,なぜネイティブの韓国人は「余計な心配をするな」ととらえることがきるのだろうかと質問したところ,予想外の答えが帰ってきた。
「この言葉を外国人が完全に理解するのは非常に難しいです」
「걱정도 팔자야を,日本語で翻訳するとしたら『心配も休み休みしろ,余計な心配をするな』と訳すのがいちばん近いから言っただけですから。
ん~ん。今回ばかりはお手上げである。
その先生は 팔자について付け加えて説明してくれた。
韓国人は,たとえ悪いことが起きたとしても「팔자という,天に定められた人の運命なのだから仕方がないさ!」と,きれいさっぱりあきらめたり,開き直ったりするそうだ。
「大丈夫さ!」,「気にしないよ!」というのを,韓国語で 괜찮아요という。
こんなたとえ話を聞いたことがある。
日本,韓国の技術者が,山をくりぬいてトンネルを掘ることにした。
片方からでは時間が掛かるので,両側から掘っていったのだが,日本はたった数メートルの誤差で貫通することができた。
韓国は中央付近で会うことができず,それぞれが山をくりぬいてしまった。
すると韓国の技術者はこんなことを言ったという。
トンネルが2本できたと思えばいいじゃないか! 괜찮아요!
韓国人を説明しようとすると,この「何事も何とかなるさ」というところから「ケンチャナヨ精神の国」,「アジアのラテン民族」という言葉だ出てくるのだが,その根底には 팔자があるに違いない。
*古狸案先生の「役に立たないはずがない韓国語」から。(みなもとせいいち)
これはNHKラジオ・ハングル講座に載っていた1文だ。
A 「今度,塾のアルバイトをすることになったのだけど,自信がないんだよな」
B 「걱정도 팔자야.」
걱정도 팔자야. (心配も八字だ)
八字? 何が八字なんだ?
私はとても困惑した。
この例文の日本語訳を見ると「余計な心配をするな」と書かれていたが,意味がまったくわからない。
もしかしたら「걱정という字をハングルで書くと,8画で書けるから大したことはない」という意味なのか?
…と考えたのだが,心配という漢字語をいくらハングルで書いてみても,8画で書けないのだ。
もしかしたら慣用句なのかと辞書を調べてみたところ,팔자という単語は「人に定められた運命」というニュアンスをもつのだと書かれていた。
しかしいくら考えても「余計な心配をするな」を「心配も人に定められた運命だ」と訳すことはできない。
こういう疑問はネイティブの先生に聞くのがいちばんである。
私は 걱정도 팔자야という部分だけを先生に見せたところ,これは「心配も休み休みしろ,余計な心配をするな」という意味ですよ,と即答された。
辞書を引いても,いくら考えてもわからないのに,なぜネイティブの韓国人は「余計な心配をするな」ととらえることがきるのだろうかと質問したところ,予想外の答えが帰ってきた。
「この言葉を外国人が完全に理解するのは非常に難しいです」
「걱정도 팔자야を,日本語で翻訳するとしたら『心配も休み休みしろ,余計な心配をするな』と訳すのがいちばん近いから言っただけですから。
ん~ん。今回ばかりはお手上げである。
その先生は 팔자について付け加えて説明してくれた。
韓国人は,たとえ悪いことが起きたとしても「팔자という,天に定められた人の運命なのだから仕方がないさ!」と,きれいさっぱりあきらめたり,開き直ったりするそうだ。
「大丈夫さ!」,「気にしないよ!」というのを,韓国語で 괜찮아요という。
こんなたとえ話を聞いたことがある。
日本,韓国の技術者が,山をくりぬいてトンネルを掘ることにした。
片方からでは時間が掛かるので,両側から掘っていったのだが,日本はたった数メートルの誤差で貫通することができた。
韓国は中央付近で会うことができず,それぞれが山をくりぬいてしまった。
すると韓国の技術者はこんなことを言ったという。
トンネルが2本できたと思えばいいじゃないか! 괜찮아요!
韓国人を説明しようとすると,この「何事も何とかなるさ」というところから「ケンチャナヨ精神の国」,「アジアのラテン民族」という言葉だ出てくるのだが,その根底には 팔자があるに違いない。
*古狸案先生の「役に立たないはずがない韓国語」から。(みなもとせいいち)
https://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/c89e2cb076c062f96c82d35040622466