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日常の中に俺があり、俺の中に日常がある。それは矛盾の中にひそむ真実である。真実を記録する。それは事実になる。

解る人には解る

2005年05月10日 21時24分08秒 | Weblog
昨日の夜、ポケーとテレビを見ていたら、大仁田厚(邪道)がにこやかに
しゃべっていた。そしておもむろに広げた「邪道革ジャンパー」がよく見ると
ショットだった。隣に座るタッキーが邪道にもらった邪道革ジャンパーもショットだった。
ショットは邪道ではなく、王道ではないか!と1ミリだけ思う。

俺は日常のなかで、人々がふと吐く言葉や、表情が好きだ。
やはり日常には生きる上での全てのヒントがある。
いつも通りにバイトに行き、いつも通りに終え、そしていつも通りに
俳優、友久君と帰る。
「舞台上で主役が台詞を発しているとき、脇役が手を抜いていてはだめだ。
人の舞台を見ているとき、ふと気付くときがある。解る人が見れば解る。台詞が無いときにこそ、
スポットライトが当たっていないときこそ、役者は演じなければいけない。」
と友久君が着ていたTシャツにプリントされたヨーダが言った。
ああなるほど。と思う。バンドも同じである。
明後日はライブである。
手を抜いてはいけない。
解る人には解ってしまうのだ。
解る人がダサイと感じる音楽はダサイ。
まあ、解る人にしか解らん音楽などという物はどうかとおもうが。
ヒットの裏側には必ずツーがうなる明確な理由が存在する。
毎日、ワールドビジネスサテライトのトレたまを見ていれば解る。
解る人には解る。