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日常の中に俺があり、俺の中に日常がある。それは矛盾の中にひそむ真実である。真実を記録する。それは事実になる。

形容詞ポンコツ

2019年02月28日 21時58分13秒 | Weblog
仕事仕事仕事。

いつもと同じ景色。いつもと同じ感覚。ほっといてほしい。
ほっといてほしいが俺は判断しなければいけないポジション。
常に判断を求められる。
左から右から誰かが話しかけてくる。判断してくれと。
俺は俺の責任の範囲内で指示する。こうしなさいと。
一週間で一日9時間拘束×5。
何か集中してやりたい事があっても作業はスムーズに進まずながら作業のスキルを要する。
家に帰れば5人の子供達が何人か同時に左から右から判断を求めてくる。
飯の支度すらスムーズに進まない。
俺はずっと誰かしらに判断を求められている。

さて、本日クソの果ての様な理由で遅刻欠勤を繰り返す奴が最終出勤日であった。

階段で腰を強打した為欠勤
熱中症の様な症状が出た為欠勤
一週間寝てない為欠勤
頭痛薬を飲みすぎて寝坊

クソの果ての果てまですっ飛ばされる様な理由をよく考えるもんである。

こやつは嘘ばかりつくのだが、さも本当だったかの様な顔でいつもいる。
何なら俺は一生懸命で人一倍思いやりがある的なツイートをしたりする。

筋金入りのフニャチン野郎である。

そのフニャチン野郎が今日、皆にメッセージを残した。

「最後までポンコツでしたが2年間お世話になりました」

ポンコツってのはフニャチンゆとり野郎とは全く別の意味合いであると俺は思っている。
「あいつはポンコツだ」と言う時、それはリスペクトである。
福岡の文化でリスペクトの表現方法で「けなす」ってのがある。
福岡の人間はリスペクトすればするほどその相手をけなす。
福岡の男たちは嫁さんの事をあまりよく言わないのだが、それは敬意の表れであり、最大のLOVEなのだ。
そんな最大のLOVE形容詞「ポンコツ」を自身をさして言い放ったのである。
フニャチンゆとり野郎ではない男の中の男、ギンギン野郎が
「最後までポンコツでしたが〜」ならば「そんな事言わないでくださいよ」的な反応がある。
謙遜って奴だ。それは成り立つ振る舞いである。
「いやあ確かにポンコツでしたね」的な洒落た福岡的レスポンスを返す事もできるのだが、
生粋のフニャチンゆとり腐れが自らをポンコツと形容した様はとても滑稽だった。
だーれも何の反応もしない。スルーである。

ただ一人ヨッチンだけが「お疲れ様」とコメントしたが、それを優しさだと思うのであれば
ヨッチンは髭を全て剃り上げるべきだと思う。
まあ彼はそんな浅い人間では無い魂の男なので何かしら皮肉を込めたのだろうが。

スッキリした。

これでぐっすり寝れる。王様の耳はロバの耳と絶叫した奴もその晩はぐっすり眠れただろう。

明日は休みだ。一人の時間である。
消えた靴の新たな手がかりも入手したので、探しに行くもよし。

ジュリが絵本を読んでいる。
字は読めないので勝手に自分で物語を語っている。

ジュリは幼児なので適当な事を言ってもカワイイのだが、大人の男が適当な事言っても
何も可愛く無い。

そんな奴と接しても何の学びも無く時間の無駄である。

もういい。お休みなさい。


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w//中島キオ/itoshigeo

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