「いやぁ~、『少林十八銅人』は面白かったなぁ」
「まったくです、社長。わが社でもやりましょうよ」
「そうだな。…でもあの映画、女ッ気が全く無いな。よし、こうしよう!」
「?」
「あの金粉塗ったオッサンの代わりに金粉塗った女性が闘うってのはどうだ?」
「……」
「…………」
「そ、それは名案です、社長!これなら男性客大幅アップですよ!!」
「ガハハ。何年この業界で飯食ってると思ってるんだね、君ィ」
「はいっ!早速撮影にかかりますっ!!」
と、まぁ社長コントはさておいて、今回の紹介作品『少林十八銅女』(83)は案外こんなカンジで企画が通ったのではないかと思われる(違うか?)「見所はそれしかない」一発ネタ映画である。
話は清朝の将軍が少林寺から拳譜を盗み出してしまい、それを取り戻すべく大僧正はから密かに育成していた「銅女功」の会得者の女性を世に送り出す。それと同時に反清復明の闘士は将軍を倒すべく同士を集め、少林寺側と衝突しながらも最終的には将軍を打ち負かし、そして銅女は拳譜を取り戻し終わり…というもの。
はっきり言ってこの映画、清の将軍が大悪役というのは普通に分かったのだが、他の登場人物の善悪関係がいまいち分かりづらかった。普通クンフー映画では少林寺は反清のシンボルではなかったのか?なのにレジスタンスたちとは反目し合うし、切り札である銅女たちと戦わせたりともうメチャクチャ。…観てる分には楽しいんだけどね。
この映画の最大の売りは何といっても、タイトル通り「十八銅女」でしょう。というかそれしかない。いろんな人物が登場し戦っているのだが、金粉に身を包み金色の衣装を纏った彼女たちにはどんな事をしても敵わない。
劇中登場する「銅女功」というのは全身の皮膚を鋼のように強くし、どんな攻撃でも跳ね返す事の出来る武功で、それを白い髭を生やした大僧正の号令の元、金粉がまぶしい彼女たちが必死で訓練するサマが悲し楽しい(どっちやねん)。
おおっと、普通のクンフー映画ファンにもちゃんと見せ場は用意してますぜ。大悪役の将軍には『大酔侠』(66)でおなじみのユエ・ホア(岳華)、反清闘士の女剣士にはドリス・ロン(龍君兒)、そして少林寺の僧侶にはカム・コン(金剛)だ。どうだっ、まいったか!
…でもやっぱり画面のインパクトでは十八銅女には負けてるな。