命の賛歌081120
最初に、ゴキブリの歌ができるかどうか相談されたときに僕は面食らった。
ゴキブリについていったい何を書いたらいいのか、皆目見当が付かなかった。この話があってから、かなり時間は、たったが、いろいろ想いをめぐらしているうちに、想いはゴキブリの生命力に行き着いた。
ゴキブリは、われわれ人類よりもはるかに、長い歴史をもって、この地球上に存在している。人間に比べるとはるかに小さな虫だけれども、その生命力たるや大河の流れである。
和歌山県湯浅町の海岸のすぐ横の公園には、魚介類供養塔が、ある。漁業者によって、命を奪われた魚や、貝類たちを供養しているのである。
ゴキブリの歌を作れるか検討しほしいという社長の申し入れは、ゴキブリ退治という、ビジネスをする会社にとっては、あたかも漁業者が魚介類をとって、生活していることによく似ている。
人間がその姿をいやがり、場合によっては害毒をもたらすこのゴキブリも、人間の側からすると、害虫であり、どうしても人間の身の回りから、姿を消してもらわなきゃならない存在である。
つまり、駆除しなければならない存在であるが、それはあくまで人間の側からの発想で、ゴキブリから見ると、人類は大敵である。そういうところの発想があるのかどうかは知らないがゴキブリを駆除する一方で、その魂を供養するという発想には共感を覚えた。
そこでさっそくゴキブリのために建てられた供養塔を見学し、現地の雰囲気を眺めながら、作詞した。
それは、駆除されたゴキブリの魂の鎮魂曲となった。が、なによりもその根底には、生命への畏敬の念があった。
この世の不気味で醜い現世での姿を捨てて、魂になり、この供養塔の前に集まって、供養を受けよ。と呼びかけた。
ゴキブリというと、人は、その姿や色や格好を、不気味がる。また、不衛生で、病原菌をばらまく。まさしく人間にとっては害虫である。人間の側からすると、確かにそうである。
その一方で、地球上の生命は共生であるというスローガンには、私は、共感する。
その一方で、ゴキブリを駆除することには賛成であるにもかかわらず、何か釈然としないものを感じていた。
その釈然としない部分を、供養塔を経て、供養するという、この会社の社長の考え方と、同調し解消しようと思ったのである。
なんの抵抗やためらいもなく、ゴキブリを駆除すると言う人も大勢いるだろうが、命という観点から、この害虫を眺めてみると、同じく命をもつものとして、駆除することだけが、人間に許された唯一の方法であるとは思えない。
やむをえず、駆除をしなければならない害虫であるが、その代わり、駆除された生命への畏敬の念ををどこかであらわし、鎮魂しなけらならないという気持ちが私にはある。
そういう気持ちを込めて、命の賛歌という歌を作って、ゴキブリ天像と名付けられたモニュメントの前で、この
「命の賛歌」と名付けた歌を捧げようと思う。
最初に、ゴキブリの歌ができるかどうか相談されたときに僕は面食らった。
ゴキブリについていったい何を書いたらいいのか、皆目見当が付かなかった。この話があってから、かなり時間は、たったが、いろいろ想いをめぐらしているうちに、想いはゴキブリの生命力に行き着いた。
ゴキブリは、われわれ人類よりもはるかに、長い歴史をもって、この地球上に存在している。人間に比べるとはるかに小さな虫だけれども、その生命力たるや大河の流れである。
和歌山県湯浅町の海岸のすぐ横の公園には、魚介類供養塔が、ある。漁業者によって、命を奪われた魚や、貝類たちを供養しているのである。
ゴキブリの歌を作れるか検討しほしいという社長の申し入れは、ゴキブリ退治という、ビジネスをする会社にとっては、あたかも漁業者が魚介類をとって、生活していることによく似ている。
人間がその姿をいやがり、場合によっては害毒をもたらすこのゴキブリも、人間の側からすると、害虫であり、どうしても人間の身の回りから、姿を消してもらわなきゃならない存在である。
つまり、駆除しなければならない存在であるが、それはあくまで人間の側からの発想で、ゴキブリから見ると、人類は大敵である。そういうところの発想があるのかどうかは知らないがゴキブリを駆除する一方で、その魂を供養するという発想には共感を覚えた。
そこでさっそくゴキブリのために建てられた供養塔を見学し、現地の雰囲気を眺めながら、作詞した。
それは、駆除されたゴキブリの魂の鎮魂曲となった。が、なによりもその根底には、生命への畏敬の念があった。
この世の不気味で醜い現世での姿を捨てて、魂になり、この供養塔の前に集まって、供養を受けよ。と呼びかけた。
ゴキブリというと、人は、その姿や色や格好を、不気味がる。また、不衛生で、病原菌をばらまく。まさしく人間にとっては害虫である。人間の側からすると、確かにそうである。
その一方で、地球上の生命は共生であるというスローガンには、私は、共感する。
その一方で、ゴキブリを駆除することには賛成であるにもかかわらず、何か釈然としないものを感じていた。
その釈然としない部分を、供養塔を経て、供養するという、この会社の社長の考え方と、同調し解消しようと思ったのである。
なんの抵抗やためらいもなく、ゴキブリを駆除すると言う人も大勢いるだろうが、命という観点から、この害虫を眺めてみると、同じく命をもつものとして、駆除することだけが、人間に許された唯一の方法であるとは思えない。
やむをえず、駆除をしなければならない害虫であるが、その代わり、駆除された生命への畏敬の念ををどこかであらわし、鎮魂しなけらならないという気持ちが私にはある。
そういう気持ちを込めて、命の賛歌という歌を作って、ゴキブリ天像と名付けられたモニュメントの前で、この
「命の賛歌」と名付けた歌を捧げようと思う。