墓
墓と言えば思い出す事がある。
まだ学生の頃、夜中の2時過ぎに墓場へ行った。
酒でも飲んで酔っぱらっていたのだろう。友人5人ほど連れだって、染井墓地に行った。何の目的で?何のために夜中に薄気味悪い墓地等へ行くのか?。今から考えると当時のことは行った事があると言うくらいである。
僕にとっては偶然だったが、芥川龍之介の墓があった。知名度とは格段の差のある小さなというより、小さな石塔が1つあるくらいで、素朴な墓だった。
ひょっとして5人のうちの誰かが 芥川龍之介の墓を知っていて案内してくれたのかも知れないが、その辺は定かでない。
夜が明け始めて、あたりがぼんやり薄明かりになると、、酔いもさめてきたので、墓地の中にある空き地で走り幅飛びの競争をした。
それから学寮へ帰って寝た。目が覚めたときには夕食の食堂がオープンしていた。
墓について言えば我が家の恥をさらすことになる。昔は、今もそうかも知れないが、先祖の墓は長男が守るものと言うのが通り相場だった。我が家も父が長男だから当然守ることになっていた。そのためか遺産相続の半分は長男がもらうような決まりがあったとか。たいした財産ではなかったが、それでも夜遊びできるくらいの相続分はあっただろうに、墓を作る金は全部夜の遊びに使ったしまったのだろう。だからいざ墓を建てると言うだんになると、金がない。それで家族がもめだした。その感情的なもめ事のために、父の弟妹はてんでばらばらになり、いつも喧嘩をして生涯和解することはなかった。しかし祖父が死んで墓がないというのもおかしな話で、長男をのぞく他の弟妹達が猫足の墓を建てた。それにはご丁寧に、分家これを建てる と側面に彫ってある。長男がいながら、分家これを建つ、とは見る人が見ればおかしな事に気がつくだろう。僕は家の中の恥を表面にさらすようで、まこともって恥ずかしい思いがしている。
と言うわけで我々の世代では墓や相続の事でもめ事がないように、心がけたつもりだが、当世代でもやはりもめ事が起きている。先祖供養は決しておろそかにしているとは思わないが、墓にはお参りしていない。というのは墓を鎌倉霊園に求めたからである。折角墓を建てたのだから、墓参りをしたほうがよいと言うアドバイスが関東に住んでいる弟妹達から聞こえてくる。
常識では当然のことであるが、その気がないせいか、大阪からは墓参りが二日がかりになるので、そうそう頻繁に参るわけにも行かない。石塔は建立したものの、設置以来ご無沙汰である。
東南向きに建てたが、果たして周りはどうなっているのやら。なにしろ20年来維持管理費は納めているとはいうものの、墓参の方は全くご無沙汰である。まあその分毎日仏壇にはお経を上げているとはいうものの、こんな事でよいのだろうかと心配になってくる。
墓とは誰のためのものか。自分の為のものか?先祖供養の為のものか?
徒然草にも載っているが、100~、200年も経て訪れる人はなく 、月が通り過ぎるだけに成ることは目に見えており、今は都会の周辺地域に当たるがから、田畑には成らないだろうが、都会のど真ん中に成っているかも知れない。
先日大阪市内の中心地に有る有名寺院の墓地の値段を聞いてびっくりした。畳半畳の値段が500万円だという。これに石塔や周りの囲い石それに工事代を含めると800万円くらいらしい。この金額を前にしてつくづく考え込んだ。墓って一体誰のためのものだろうか?答えは見つからない。
墓と言えば思い出す事がある。
まだ学生の頃、夜中の2時過ぎに墓場へ行った。
酒でも飲んで酔っぱらっていたのだろう。友人5人ほど連れだって、染井墓地に行った。何の目的で?何のために夜中に薄気味悪い墓地等へ行くのか?。今から考えると当時のことは行った事があると言うくらいである。
僕にとっては偶然だったが、芥川龍之介の墓があった。知名度とは格段の差のある小さなというより、小さな石塔が1つあるくらいで、素朴な墓だった。
ひょっとして5人のうちの誰かが 芥川龍之介の墓を知っていて案内してくれたのかも知れないが、その辺は定かでない。
夜が明け始めて、あたりがぼんやり薄明かりになると、、酔いもさめてきたので、墓地の中にある空き地で走り幅飛びの競争をした。
それから学寮へ帰って寝た。目が覚めたときには夕食の食堂がオープンしていた。
墓について言えば我が家の恥をさらすことになる。昔は、今もそうかも知れないが、先祖の墓は長男が守るものと言うのが通り相場だった。我が家も父が長男だから当然守ることになっていた。そのためか遺産相続の半分は長男がもらうような決まりがあったとか。たいした財産ではなかったが、それでも夜遊びできるくらいの相続分はあっただろうに、墓を作る金は全部夜の遊びに使ったしまったのだろう。だからいざ墓を建てると言うだんになると、金がない。それで家族がもめだした。その感情的なもめ事のために、父の弟妹はてんでばらばらになり、いつも喧嘩をして生涯和解することはなかった。しかし祖父が死んで墓がないというのもおかしな話で、長男をのぞく他の弟妹達が猫足の墓を建てた。それにはご丁寧に、分家これを建てる と側面に彫ってある。長男がいながら、分家これを建つ、とは見る人が見ればおかしな事に気がつくだろう。僕は家の中の恥を表面にさらすようで、まこともって恥ずかしい思いがしている。
と言うわけで我々の世代では墓や相続の事でもめ事がないように、心がけたつもりだが、当世代でもやはりもめ事が起きている。先祖供養は決しておろそかにしているとは思わないが、墓にはお参りしていない。というのは墓を鎌倉霊園に求めたからである。折角墓を建てたのだから、墓参りをしたほうがよいと言うアドバイスが関東に住んでいる弟妹達から聞こえてくる。
常識では当然のことであるが、その気がないせいか、大阪からは墓参りが二日がかりになるので、そうそう頻繁に参るわけにも行かない。石塔は建立したものの、設置以来ご無沙汰である。
東南向きに建てたが、果たして周りはどうなっているのやら。なにしろ20年来維持管理費は納めているとはいうものの、墓参の方は全くご無沙汰である。まあその分毎日仏壇にはお経を上げているとはいうものの、こんな事でよいのだろうかと心配になってくる。
墓とは誰のためのものか。自分の為のものか?先祖供養の為のものか?
徒然草にも載っているが、100~、200年も経て訪れる人はなく 、月が通り過ぎるだけに成ることは目に見えており、今は都会の周辺地域に当たるがから、田畑には成らないだろうが、都会のど真ん中に成っているかも知れない。
先日大阪市内の中心地に有る有名寺院の墓地の値段を聞いてびっくりした。畳半畳の値段が500万円だという。これに石塔や周りの囲い石それに工事代を含めると800万円くらいらしい。この金額を前にしてつくづく考え込んだ。墓って一体誰のためのものだろうか?答えは見つからない。