日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

年賀はがきを書く季節

2008年11月27日 | Weblog
わずか200枚にも満たない年賀状の中で、今年はなんと10通余りが 喪中に付き年始のご挨拶を差し控えます。という内容だった。ほんのささやかな市民生活を営んでいる。私にとっては、それは驚くべき枚数だ。

星霜は移り、人は、去っていく。ちょっぴり寂しくなった。

元日を迎え、なによりも楽しみなのは年賀状である。1日1回しか配達されない年賀状が、待ち遠しくて、何回となく、郵便受けを覗く

配達された年賀状を手にすると、年賀状を下さった方々の体温の温もりが伝わってくるみたいだ。

私はこの1年親しい関係にあった方々に、つとめて、年賀状を出すことにしている。年末のギリギリにおしつまった20日過ぎ、年末の慌ただしさに、落ち着きを失いながら、年始のあいさつし、ほかに近況など、一行書き添えるのだが、相手のことを思い返しながら使わ付け加えるこの一行には、心温まる思いがする。

開けて、1日元旦。私の年賀状は私に代わって、友人、知人に、先輩、上司、恩師に挨拶をしてくれる。さて、どうだろう。先さまはどんな思いで私の年賀状を見てくださっているのだろうか

元日に、手元に届くというのは、おそらく去年の20日前後に出して下さった年賀状に違いない。こちらが出すから、返礼に出したのとは、訳が違う。

先方様は去年のうちに、年賀状を私に、くださっているのである。つまり、こちらの都合に関係なく、挨拶をしてくださっているわけだから、年賀状をいただいたのに、こちらからは出していないわ、では相済まぬ気持ちがして、何となく気まずい思いがするのは思い過ごしというものであろうか。

年末に、年賀状に宛名をかかなかったということは、何だかんだ言っても、はっきり言えば、先方の意向に関係なく、今の私には、人間的には、疎遠な関係にある人たちである。常日頃から、心を通わして会話している人や、お世話になったと思ってる人には、自然に、筆が進むから、こちらから宛名を書かなかった人は、それだけのつながりしかなかった人というのが私の考えである。

だがしかし、この論法ですべてが割り切れるか。というとそうもいかない。例外的なものはいくらでもある。目下思いを寄せ合っている恋人同士ならば、はがきのスペースは、小さく感じて文字を小さくして沢山の文字が書いてあると、好評ということになりはしないだろうか。あるいは、秘密の恋を家族に知られたくないために年賀状を出すのをわざと差し控えるなどということはありはしないだろうか

ともあれ、去年まで続いた人間関係が今年の始まりに当る元日に、心の中で再び温められて、さらに新しい人間模様に染まっていくというのが、一般的な庶民の生活ではないだろうか。年賀はがきには賞品が当たるという前に、そんな楽しみがある。

1枚10円だったはがきの1枚50円になった。250枚出せば1万円が飛ぶ。年賀はがきともいえぬご時世だが、私は心を尽くして年賀のあいさつだけは続けたい、選挙目当てに政治屋から送られて来る年賀状とはわけが違うのだから。