旅
久しく旅に出かけない。今年の夏は特別に暑かった。とはいえこれは日本のことであって、タイバンコクは4月には、もっと気温が高い日が続く。それでも10kgの荷物を背負ってバックパッカーをしていた。バックパッカーだから35度以上の気温があっても、宿にはクーラーはなく天上からつるした大きな扇風機が音をたてて廻っているだけである。暑さしのぎと言えば、水シャワーを浴びるくらいのことだ。
そんな悪条件にもめげず、自分との戦いだと独り言を言いながら、旅を重ねた。しかし最近は外に出ることなく、旅には出ない。旅にでなくなると旅の良さが見えてきた。
旅は目に触れるもの、耳に聞こえるもの、総じて五感にふれるものが脳をある種の興奮状態を呼び起こす。目先の景色が変わるのと同様に、アイデアが次々に生まれる。明らかに脳は活性化している。
何かを作ろう、見いだそうとしている僕には、旅こそが創作の源泉である。
ある本で読んだが、芭蕉は東海道を何回も往復したものでないと、俳諧は出来ぬとまで言い切っている。
旅と言っても僕の場合は何かを創作したいという気持ちが根底にあるので、人間味のある、あるいは感じられる旅が前提になる。
例えば近代的なホテルは避けて、出来るだけ庶民の匂いのする木賃宿に泊まる。そして何でも見てやろう、なんでも聞いてやろう、と貪欲なまでに神経をそばだてる。自分の専門とは違う人と出会うことによって、なにがしかの収穫を得ようと勤める。
マーケットに行くと、そこにはその土地の人々の味嗅覚の中に、独特なものをみいだすように、神経をそばだてる。
このようにして僕は二冊本を書いた。売れるように製本したけれど、誰も買ってくれない。当たり前の話だ。本書いたことを知っているのは僕だけだから。宣伝や広告をしないから、世の中に僕の本の存在を知る人はいない。
売れない本を作っても仕方が無いじゃないかと、突っ込まれるとぐの音もでないが、それでも僕は旅を続けて創作活動をしようと思う。
国内旅でも外国旅でもどちらでも良い。生涯旅には憧れをもって生きたいものだ。
久しく旅に出かけない。今年の夏は特別に暑かった。とはいえこれは日本のことであって、タイバンコクは4月には、もっと気温が高い日が続く。それでも10kgの荷物を背負ってバックパッカーをしていた。バックパッカーだから35度以上の気温があっても、宿にはクーラーはなく天上からつるした大きな扇風機が音をたてて廻っているだけである。暑さしのぎと言えば、水シャワーを浴びるくらいのことだ。
そんな悪条件にもめげず、自分との戦いだと独り言を言いながら、旅を重ねた。しかし最近は外に出ることなく、旅には出ない。旅にでなくなると旅の良さが見えてきた。
旅は目に触れるもの、耳に聞こえるもの、総じて五感にふれるものが脳をある種の興奮状態を呼び起こす。目先の景色が変わるのと同様に、アイデアが次々に生まれる。明らかに脳は活性化している。
何かを作ろう、見いだそうとしている僕には、旅こそが創作の源泉である。
ある本で読んだが、芭蕉は東海道を何回も往復したものでないと、俳諧は出来ぬとまで言い切っている。
旅と言っても僕の場合は何かを創作したいという気持ちが根底にあるので、人間味のある、あるいは感じられる旅が前提になる。
例えば近代的なホテルは避けて、出来るだけ庶民の匂いのする木賃宿に泊まる。そして何でも見てやろう、なんでも聞いてやろう、と貪欲なまでに神経をそばだてる。自分の専門とは違う人と出会うことによって、なにがしかの収穫を得ようと勤める。
マーケットに行くと、そこにはその土地の人々の味嗅覚の中に、独特なものをみいだすように、神経をそばだてる。
このようにして僕は二冊本を書いた。売れるように製本したけれど、誰も買ってくれない。当たり前の話だ。本書いたことを知っているのは僕だけだから。宣伝や広告をしないから、世の中に僕の本の存在を知る人はいない。
売れない本を作っても仕方が無いじゃないかと、突っ込まれるとぐの音もでないが、それでも僕は旅を続けて創作活動をしようと思う。
国内旅でも外国旅でもどちらでも良い。生涯旅には憧れをもって生きたいものだ。