日々雑感

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トイレの神様7-49

2011年01月03日 | Weblog
トイレの神様

誰が発掘したのか知らないが、今年ギターをつま弾いて歌う清楚な若いシンガー・ソング・ライターが突然現れて、アットいう間に紅白に出場となった。
曲は9分あまり、従来では考えられない長さで、レコード時代には想像もつかない長い曲である。
なぜこの曲が大衆に受けいれられたのか、次のようなことが考えられる
1,メロデイは単純だが、美しい叙情性を含んでいる。
2,現在の歌状況は、二極に分化している。一つはダンス付きの若人向けの歌。
もう一つは昭和時代にさんざん聞き、歌った昭和の演歌や歌謡曲で、これは中高年向けである。そんな歌状況の中で
3,素朴な詩でありながら3世代に亘りかかわりをもつ内容である。すなわち祖母と孫の私の会話を中心にして、私の思いを単純に繰り返される言葉とフレーズで出来ている。
非常に親しみの持てる歌詞だし、それにふさわしいメロデイがついている。
流れるリズムは、バンジョーを使ったカントリー風のリズムに、僕には響く(実際は、そんなものは鳴っていないにもかかわらず、頭の中で響き、)心地がよい。

祖母と私という、どこにでもある、家庭の風景である。そこが世代を超えて、受け入れられるところだろう。

おばあちゃんが言った、「トイレの神様」の話は俗信であるが、僕が耳
にした話は、あまりにも真実でありすぎる。

あるところで、僕はトイレの掃除を奪い合うようにして、自ら志願する行列をみたことがある。それらの人達の中には、日本で有名な大会社の社長夫人や、大都市の市長の奥さんがいた。
それをみた僕は、奇異な感じを持った。そしてある日パワースポットといわれるところにある、トイレの掃除の様子をじっと見つめていたことがあった。
トイレ掃除なんて、汚いところの掃除で、一般論で言えば、ごめん被りたい作業である。
にもかかわらず、奪うようにして、パワースポットにある便所を自ら進んで掃除するのはなぜか。答えは単純明快。御利益があるからだ。しからばどんな御利益だ?
それは家内安全、身体壮健に始まって、家庭の面でも、仕事の面でも、御利益だと感じるところがあると、僕はにらんでいる。

どこのパワースポットでもよい。寺でも、神社でも。トイレを借りて注意深く、よく見ると、掃除は行き届いている。
しかし僕は掃除をする気は毛頭ない。

でも僕はかつぐ。
トイレには神様がいて、ここへ掃除にやってくる人達には、それなりの福をやろうと、言うことなんだろう。

「トイレの神様」に歌われた、おばあちゃんはこのことをちゃんと知っていて、孫に伝えた。それがメロデイーに乗せられ、歌の題名や内容になって、この世に出た。
トイレの神様。  バンザーイ、だ。




言葉だけのセーフテイネット

2011年01月03日 | Weblog

言葉だけのセーフテイネット

ハチ
「去年年末の金融危機から急速に実体経済が悪くなって首切りが始まり
2009/01月現在では255万人から急速に失業者が増えて277万人に急増している。簡単に失業者と言うけれど、寝るところもなくお金もなく、従って食べるものもない。こういう人々を一体どうすりゃいいんだ?何か思わないか。クマさん」

「確かにそうだ。今の状態を作った政府や政治が悪い。」

「クマさん。そんなこと言ってる場合じゃないぜ。明日に食べるものがない人が沢山生まれていると言うのに。」

「ハチ公。考えても見ろよ。規制緩和、規制緩和の合唱で、今日の状態が生まれたわけだ。小泉改革の悪い面が実際に出てきたんだ。規制緩和は必要だ。だか何でもかんでも、規制緩和すれば良いというものではない。
人間がが暮らしていくと言う目的を、確保できないような規制緩和は、するべきではなかった。」
「と言うことを具体的に言うと、一般労働の規制緩和はしない方が良かったと言うことか?」
「わかりやすく言えば、派遣労働制度はごく限られた特殊技術者や専門家に限るという枠をはめるべきだった。その枠を取り払って、資本と労働すなわち企業と労働者と言う関係にしておくと、当然会社と労働者の力関係において、労働者は力弱い存在と成ってしまう。企業の論理よりも、人間優先の立場を確保して守ることが政治の役割だったはずだのに。
それが自らの手で破ってしまったから、今日のように、どこまでも歯止めが無く、容易に雇用契約解除や派遣切り、果ては正社員まで、この時流に乗って、企業は人減らしをしているのが現状だ。」
「偉い人が沢山よって考えたことなのに、今日のことが想定出来なかったのだろうか。」
「いや、あのときもセーフテイネットという言葉でそれは説明されていたはずだ。ところが事態がこんな状態になって、つまりふたを開けてみると、失業者があふれ出ると言う形になってしまっている。これは理屈じゃなくて現実だ。その言い訳に100年に一度の危機だなんて言い訳しているよ。安全網は言葉の上だけのことだったわけだ。」

「夏ならまだしも、この寒いときに職をうしない、住まいを失った人はホントに気の毒だと思うよ。で、一体どうすりゃ、いいんだよ。」

企業の人減らしがますます激しくなってきた。働く意欲と能力があるにもかかわらず、働く場所がない
その時人はどういう行動をするか。
1,人をけおとして、職場にしがみつく
2,で落とされた人は、自暴自棄になる 
これで社会がよくなるはずがない、暮らしていくという目的が達成されるわけがない。
暮らしていくための必要なものは、全員に平等に得られる 結果の平等
働いて稼ぐための社会的条件を等しくすればよい 機会の平等
この二つのバランスをどうとるべきか。

人間は生きていくことそれ自体が目的であり、手段ではない。

人間が生きていく  食べることが不可欠。

食べるためには、労働が必要。多くの人は労働を売る。

労働には働く意思と能力がある。 

業績原理  、どれだけ生産できるか=人間の価値を決める 。

これは生きていくための手段で、生産できない人は、人間の価値はゼロであろうか、そんなことは絶対ない。

稼げる人と稼げない人。職につける人と付けない人 によって、人の価値が決まるか。

稼げない人でも 、生きていかなくてはならない。それが人生の目的。

働きによって 働きでの個々の能力によって 人が受け取るものに大きな差ができてしまう。

できる人が特待生で、そうでない人はしょうがないという能力主義が業績原理は我々の社会が認めていることであるが、これが基本的に間違いである

できる人も、できない人も生きていくという目的のために、社会や政治はある。

企業は社会の一部である。企業の目的は人を養うことで、利潤をあげることだけではない。
決算が赤字になるからといって、人をむやみに解雇してよいものかどうか。
人をクビにして、つじつまを合わせているような企業は、社会的責任を果たしていない。
企業決算がどうあろうと、人間は生きていかなければならないという原則は、何にも増して優先されるべき事柄であろう。その調整のために政府がある。これが結論さ。判ったかい???