初詣
例年のように、近所の氏神様に初詣した。3が日と言うことで、今年は2日に神社に行った。歩いて20分ほどの所に、金岡神社がある。
本殿も由緒ありげな格式を感じるが、それだけではなく、さらに樹齢5,600年は経とうか思われる立派な、楠木が2本目に止まった。
この木の根元周りの太さを見たら、お釈迦さまが悟りを開かれた、ブッタガヤ の菩提樹を思い出した。現地の人の話によると、これで4代目の菩提樹らしい。またこの木はスリランカのさる女性が寄付されたとか。
お釈迦様の悟りをひらかれたこの地の、大木は青々と茂り、大きな陰をなしていて
そこにある金剛法座に日本から持って行った写経を供えて、お経をあげたことを、思い出した。
そこでちょっと悪いことをした。盗人である。おそらく何万枚かの葉っぱをつけているので、一枚くらい取って日本に持って帰ったところで、この木の態勢には悪い影響はなにも与えないはずだと、独り合点をして、きれいな青色の葉っぱを一枚失敬した。
この葉っぱを押し花にして、自宅に持って帰り、仏壇に入れてある、過去帳の表紙に貼り付けた。時々だしてみるけど、茶色に変色はしているが、崩れてはいない。
そこまで思い出をたっどていた時、天から声が降ってきた。
「40年ほど詣っておるが、お前の心がけで並だ。人間の社会では、物をもらったらお礼を言う?だろう。お世話になったら、お返しをする?だろう 。神と人間の関係も同じだ。初詣にくるから、氏神としてこのエリアの人間を守って居るわけだ。いくら守っても自分から道を外れて落ちていく者やら、神に逆らってばかりいる人間がいくらでもおる。お前は神という名のもとに、お力が不足しているのじゃないかと疑問に思って居るようじゃが、それは違う。
わかりやすくたとえてみると、自爆と言うやつだ。これだけはいかんとも仕方がない。神と人間の間にも一定のルールというものがある。それを自ら破っておいて、御守護をお願いしますと言われたって、よし聞き取らせてやろうと、神が思うか?
そん甘いものではない。人間としてまともな言動をする者には、それなりに対応するが、すべてよい行いも悪い行いも自業は自得じゃ。そこの所をよく心得て、初詣にくるがよい。そう考えるならば、年末にここにお礼参りにくるのが、物事の筋というもんだ。
ところが現実を見てみろよ。年末に氏子で境内があふれかえったと言うことは、かってなかった。今後もないだろう。せめてエチケットぐらいは守れよと言いたい。どうじゃな??」
この声を聴いたとき、成る程とうなずくと同時に、神様もストレスがだいぶたまっているようだと直感した。で、今年こそは夏祭りぐらいは盛大にやって、ストレスを吐いてもらわないとと思った。
今日は正月で2日である。例年1日の初詣を欠かしたことのない人間が、1日送らせたために、神様がぼやきはったとぴーんときた。
来年は元旦にお詣りするぞ、それが初詣の感想だ。
例年のように、近所の氏神様に初詣した。3が日と言うことで、今年は2日に神社に行った。歩いて20分ほどの所に、金岡神社がある。
本殿も由緒ありげな格式を感じるが、それだけではなく、さらに樹齢5,600年は経とうか思われる立派な、楠木が2本目に止まった。
この木の根元周りの太さを見たら、お釈迦さまが悟りを開かれた、ブッタガヤ の菩提樹を思い出した。現地の人の話によると、これで4代目の菩提樹らしい。またこの木はスリランカのさる女性が寄付されたとか。
お釈迦様の悟りをひらかれたこの地の、大木は青々と茂り、大きな陰をなしていて
そこにある金剛法座に日本から持って行った写経を供えて、お経をあげたことを、思い出した。
そこでちょっと悪いことをした。盗人である。おそらく何万枚かの葉っぱをつけているので、一枚くらい取って日本に持って帰ったところで、この木の態勢には悪い影響はなにも与えないはずだと、独り合点をして、きれいな青色の葉っぱを一枚失敬した。
この葉っぱを押し花にして、自宅に持って帰り、仏壇に入れてある、過去帳の表紙に貼り付けた。時々だしてみるけど、茶色に変色はしているが、崩れてはいない。
そこまで思い出をたっどていた時、天から声が降ってきた。
「40年ほど詣っておるが、お前の心がけで並だ。人間の社会では、物をもらったらお礼を言う?だろう。お世話になったら、お返しをする?だろう 。神と人間の関係も同じだ。初詣にくるから、氏神としてこのエリアの人間を守って居るわけだ。いくら守っても自分から道を外れて落ちていく者やら、神に逆らってばかりいる人間がいくらでもおる。お前は神という名のもとに、お力が不足しているのじゃないかと疑問に思って居るようじゃが、それは違う。
わかりやすくたとえてみると、自爆と言うやつだ。これだけはいかんとも仕方がない。神と人間の間にも一定のルールというものがある。それを自ら破っておいて、御守護をお願いしますと言われたって、よし聞き取らせてやろうと、神が思うか?
そん甘いものではない。人間としてまともな言動をする者には、それなりに対応するが、すべてよい行いも悪い行いも自業は自得じゃ。そこの所をよく心得て、初詣にくるがよい。そう考えるならば、年末にここにお礼参りにくるのが、物事の筋というもんだ。
ところが現実を見てみろよ。年末に氏子で境内があふれかえったと言うことは、かってなかった。今後もないだろう。せめてエチケットぐらいは守れよと言いたい。どうじゃな??」
この声を聴いたとき、成る程とうなずくと同時に、神様もストレスがだいぶたまっているようだと直感した。で、今年こそは夏祭りぐらいは盛大にやって、ストレスを吐いてもらわないとと思った。
今日は正月で2日である。例年1日の初詣を欠かしたことのない人間が、1日送らせたために、神様がぼやきはったとぴーんときた。
来年は元旦にお詣りするぞ、それが初詣の感想だ。