日々雑感

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28歳の老婆

2011年01月10日 | Weblog
28歳の老婆


このタイトルには矛盾がありますね。28歳では老婆とは言わないものです。でも、アンシャン・レジームの頃、この言葉が現実にありました。

1787年から1789年にかけて、イギリス人の農学者であるアーサー・ヤングがフランス各地を旅行しては、農学者の目で革命前夜のアンシャン・レジームを鋭く観察しました。このエピソードのその最も有名なものです。

さて、時はバスティーユ襲撃が起こる2日前の1789年7月12日。ヤングが馬を休ませるために長い坂道を歩いて登っていたとき、貧しい女性と一緒になり、さまざまな話をしました。

「私の夫は小さな土地と、牝牛と小さなやせた馬を一頭ずつしか持っていないのに、ひとりの領主様には42リーヴルの小麦と三羽のひなを払わなければなりません。もうひとりの領主様には、90リーヴルの燕麦と1羽のひなと1スーの貨幣を払わなければならないんです。もちろん、この他にも人頭税や他の税金があります。子供は七人いますから牝牛のお乳はスープを作る足しになってくれます」

「それならなぜ馬を売って牝牛をもう一頭買わないのかね」

「とんでもございません。そんなことをしたら、夫は作物を運ぶことができなくなります。偉い人たちが私達貧乏人のために何かをしてくださるらしいけれど、誰が何をしてくれるのかさっぱりわかりません。でも、神様がもっと良くしてくださるにちがいありません」

この女性は、労働のために腰が曲がり、顔は皺で硬くなっていました。近くで見ても60歳か70歳に見えました。でも、本人は28歳であると言うのです。実年齢よりも30歳以上老けて見えることは異常なことです。

当時の農婦達は男性よりも厳しい労働をしていたそうです。その過酷な労働は、体の均整や女性らしさを完全に破壊していました。この農婦一人が特別に老けていたわけでもないのでしょう。イギリスの農婦も大変な仕事をしていたはずですが、フランスの農婦の過酷さはすさまじいものがあったようです。ヤングはこの両国の差異を「政治による」と言い切りました。本質をずばりと突いた鋭い指摘です。

と書いてある。それでフランス革命が起こる。当たり前の話だ。一部のものが贅沢すために、大多数がその犠牲になるというのは、キリスト教の教えは許したのであろうか。もしそうなら、神は死んだと言う他は無かろう。
時代が何時であろうとも、この地上の富は出来るだけ公平に分配されるべきもので、特権階級が独り占めすることは許されるものではない。もし宗教が全ての人間に出来るだけ平等に、富を分配するように教えなければ、宗教の社会的役割というものは、無きにに等しい。個人の救済が主たる役割だというなら、布教なんて必要がない。個人は自分の好きな方法で救済を求めるだろうから、布教というのは大きなお世話だ。

この豊かな日本の社会で、昨日60才台の姉妹が飢え死にしたと言う報道がテレビで流れた。お金に困って、行き着くところまで行ったという話だ。社会体制によって追い詰められて、フランスの老婆のようになったのではない。僕から見ればもっと積極的に生きる知恵が働かなかったものかなと思う。何せ暗い話だ。
ついでに言えば、フランス革命は起こるべくして起こったのだ。歴史的必然と言ってもよい。 聖職達よ。もっとしっかりして人間の命を見つめよ。