日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

ダークダックス7-46

2011年01月14日 | Weblog
ダークダックス

あの美しいハーモニーを聞かせてくれた、男性コーラスグループが解散してから久しい。
メンバーのうちの一人が先日なくなった。いよいよ生の歌声は聞かれなくなった。本当に寂しくなった。これに変わる男性コーラスはまだ日本にはまだ出ていない。

ダークダックスについては、思い出がある。彼らは慶応ボーイだが、彼らを指導したのは小島正男といって早稲田の出身である。
僕が働いていた進駐軍のベースキャンプには、フルバンドが入っていた。小島正男とオールブルコーツというフルバンドだった。小島さんはそこでタクトを振っていた。バンドマスターは小原重則さんで、彼はベースマンだった。なぜか開始も終わりも、ムーンライトセレナーデだった。しばらくしてバンド名は小原重則とオールブルーコーツになって小島さんは見えなくなった。

余談になるが、当時はミサゴタダアキと東京キューバンボーイズや、原信夫とシャープアンドフラッツ、などが活躍していた。僕はそこが職場だったから、毎晩彼らの演奏を聴くことが出来た。常設はブルーコーツだったが、時々違うバンドが来て楽しかった。

ペギー葉山なんかが出演して英語で歌を歌っていた。当時それがどういう意味の歌詞か全然わからなかったが、ポールアンカのダイアナやテネシーワルツが盛んに演奏されていた。話が横道にそれたので、この辺にしておいて、小島さんの話に戻そう。

小島さんのお兄さんは朝日新聞のロンドンの特派員でインテリの間では名の知れた人だった。その小島さんが山田耕筰先生の病気見舞いに、ダークダックスのメンバーを連れて、大きな犬のぬいぐるみを先生の慰めにプレゼントしたらしい。
ところが先生は大の犬嫌いだと言うことを聞いて、冷や汗をかいたという話を耳にしたことがある。

音楽大学に出身者でない人達が、世界にも通用する、コーラスグループを作り上げた。まさに早慶出身者が作り上げたたまものである。
当時(昭和三〇年代の前期)小島さんは50代だとお見受けしたし、ダークダックスのメンバーも20代後半だったから、もうリタイアーしてから久しく、世を去った人も出てきている。

我が青春時代のあの美しい歌声を慶応ボーイの明るさで、世界の名曲を歌った歌はレコードやCDでしか聴けない。時代が遠のいたのか、時が移り変わったのか、後ろを振り返るとはるばるやってきたという感じはしないのだけど、時は確実に流れている。

近頃の歌

2011年01月14日 | Weblog

近頃の歌

若人向け ダンス付き歌。 歌の合間にアクロバット宙返り。あれが歌か???

歌の本質はダンスや振り付けや、奇抜な衣装や化粧ではない。歌にならないような歌でも
異体によって人目を引きつけることを計算して演出が行われる。

歌と言うよりは踊りのバック音楽がある。こういう種類の歌は決して心に残らない。
その場限りの若人の持つ、エネルギーの発散用具に過ぎない。それは心にしみこまないからだ。
そうなると、詩の美しさや、メロデイの美しさはどこかえ飛んでいってしまって、心には何の感情も痕跡も残さない。
アップテンポは20代の人間だからこなせるのであって、30代以上になると生理的に無理である。40,50代になるリズムやテンポにはついていけない。したがって若いときに歌い踊った青春時代の諸々の思いが詰まった感情が、どこかへ飛んでしまって、歌がなくなっている。こういう訳で、若き日にうたった曲とは完全に無縁となる。

 人生を知るというのか、若い日の反動とでも言えばよいのか、中高年になると歌える歌を求めるようになる。有り余ったエネルギーの発散は必要ない。肉体反応型の歌から心反応型の歌へ好みが変わっていく。つまり心に響く歌を求めるようになる。
今テレビで取り上げられる歌は、まさしくこういう事情をくみ上げて、中身は中高年向けの歌ばかりで、番組自身もめっきり数が減っている。
それを思うにつけ、歌事情を何とか改善しなくてはならないと思う。