日々雑感

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女の碑

2011年01月28日 | Weblog
女の碑: 11/01/28

京都・嵯峨野に、常寂光寺がある。境内には、石碑がある。市川房枝女史の揮毫で
「女ひとり生き、ここに平和を希う。」と彫られている。

大正時代から、昭和1ケタ生まれの女性は、結婚相手になる男性の多くが、戦争に引っぱり出されて戦死したので、絶対数が足りない。

当時は、女性は結婚するものという、固定的な常識に反して、結果的には、独身の生涯を強いられた。
この年代に生まれた男性も女性も、戦争という不都合を背負って、生まれてきて、そして生きた。

平成も20年、近くになると、婚活という言葉が生まれてきた。男女とも結婚するために、出会いを求めて活動するということらしい。

現代は女性の人格が、尊重され、社会進出が奨励される。現実には、女性力という社会的評価が定まって、女性の自立が社会的に可能になった時代である。

その一方で、結婚したがらない女性も多く、また、結婚しても、離婚する率が、右肩上がりに多くなっているという。
現代でも結婚難の時代なのだろうか。

結婚相手を失った世代の女性が結婚するのが難しいのは、ある程度納得できる。しかし、当時に比べて、比べ物にならないほど、物質的に豊かになり、個人の自由が謳歌できる時代に、結婚難で、離婚率が上昇するというのは一体どういうことだ。
人間とは、自立的にも他立的にも贅沢極まりない欲張りなのだろうか。

道学者めいた結論になるが、結婚という幸せを求めるならば、まず己自身が、努力と忍耐をしろ。と、言わねばならない。
人生は考えているほど、自由ではないのだ。不自由が人生だということを知れば、忍耐するだろう。努力もするだろう。

それが分からなければ、人生を味わうことなど、ほど遠い話では、無いだろうか。