日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

男と女

2011年01月15日 | Weblog
男と女

男はいいよる時だけが春で、夫婦になってしまうともう冬だ。
女は娘でいるうちは五月の花の時のようだが、亭主もちになると、たちまち空模様が変わる。   シェークスピア

何世紀かに一人という文豪だから、人生の本当の姿がよくわかるのであろう。
考えてみると、確かに彼が言うように、亭主になると、家庭の大黒柱として、それなりの自覚と責任をもって言動しなければならなくなる。独身時代のように自分がしたいように自由に振る舞うことは許されない。

女性は結婚して、家庭を持つと、夢のような生き方はしない。それはいかにも現実的な生き方で、またそうなくては、自分の城が崩れるわけだから、亭主に対しても、娘時代のような振る舞いはできない。それが亭主とかかあの、じっさいの姿である。
時代がどんなに変わろうとも、基本的には、こういう流れで、男と女は結婚生活をおくることになろう。同感同感 実感実感!!!。

ダークダックス7-46

2011年01月14日 | Weblog
ダークダックス

あの美しいハーモニーを聞かせてくれた、男性コーラスグループが解散してから久しい。
メンバーのうちの一人が先日なくなった。いよいよ生の歌声は聞かれなくなった。本当に寂しくなった。これに変わる男性コーラスはまだ日本にはまだ出ていない。

ダークダックスについては、思い出がある。彼らは慶応ボーイだが、彼らを指導したのは小島正男といって早稲田の出身である。
僕が働いていた進駐軍のベースキャンプには、フルバンドが入っていた。小島正男とオールブルコーツというフルバンドだった。小島さんはそこでタクトを振っていた。バンドマスターは小原重則さんで、彼はベースマンだった。なぜか開始も終わりも、ムーンライトセレナーデだった。しばらくしてバンド名は小原重則とオールブルーコーツになって小島さんは見えなくなった。

余談になるが、当時はミサゴタダアキと東京キューバンボーイズや、原信夫とシャープアンドフラッツ、などが活躍していた。僕はそこが職場だったから、毎晩彼らの演奏を聴くことが出来た。常設はブルーコーツだったが、時々違うバンドが来て楽しかった。

ペギー葉山なんかが出演して英語で歌を歌っていた。当時それがどういう意味の歌詞か全然わからなかったが、ポールアンカのダイアナやテネシーワルツが盛んに演奏されていた。話が横道にそれたので、この辺にしておいて、小島さんの話に戻そう。

小島さんのお兄さんは朝日新聞のロンドンの特派員でインテリの間では名の知れた人だった。その小島さんが山田耕筰先生の病気見舞いに、ダークダックスのメンバーを連れて、大きな犬のぬいぐるみを先生の慰めにプレゼントしたらしい。
ところが先生は大の犬嫌いだと言うことを聞いて、冷や汗をかいたという話を耳にしたことがある。

音楽大学に出身者でない人達が、世界にも通用する、コーラスグループを作り上げた。まさに早慶出身者が作り上げたたまものである。
当時(昭和三〇年代の前期)小島さんは50代だとお見受けしたし、ダークダックスのメンバーも20代後半だったから、もうリタイアーしてから久しく、世を去った人も出てきている。

我が青春時代のあの美しい歌声を慶応ボーイの明るさで、世界の名曲を歌った歌はレコードやCDでしか聴けない。時代が遠のいたのか、時が移り変わったのか、後ろを振り返るとはるばるやってきたという感じはしないのだけど、時は確実に流れている。

近頃の歌

2011年01月14日 | Weblog

近頃の歌

若人向け ダンス付き歌。 歌の合間にアクロバット宙返り。あれが歌か???

歌の本質はダンスや振り付けや、奇抜な衣装や化粧ではない。歌にならないような歌でも
異体によって人目を引きつけることを計算して演出が行われる。

歌と言うよりは踊りのバック音楽がある。こういう種類の歌は決して心に残らない。
その場限りの若人の持つ、エネルギーの発散用具に過ぎない。それは心にしみこまないからだ。
そうなると、詩の美しさや、メロデイの美しさはどこかえ飛んでいってしまって、心には何の感情も痕跡も残さない。
アップテンポは20代の人間だからこなせるのであって、30代以上になると生理的に無理である。40,50代になるリズムやテンポにはついていけない。したがって若いときに歌い踊った青春時代の諸々の思いが詰まった感情が、どこかへ飛んでしまって、歌がなくなっている。こういう訳で、若き日にうたった曲とは完全に無縁となる。

 人生を知るというのか、若い日の反動とでも言えばよいのか、中高年になると歌える歌を求めるようになる。有り余ったエネルギーの発散は必要ない。肉体反応型の歌から心反応型の歌へ好みが変わっていく。つまり心に響く歌を求めるようになる。
今テレビで取り上げられる歌は、まさしくこういう事情をくみ上げて、中身は中高年向けの歌ばかりで、番組自身もめっきり数が減っている。
それを思うにつけ、歌事情を何とか改善しなくてはならないと思う。


テスト

2011年01月13日 | Weblog

テスト

テスト、テストの世の中である。 その結果によって、色付けしたり、輪切りにしたり、受ける側、する側もたいへんである。 そりや誰だって、自分がある日、能力測定され、評価されるのは、いや決まっている。
私も、個人的には、テストがない世というものは大歓迎だ。
必要悪だと分かっていても、人の能力を測定しなくてはならないのが人の生存は、究極において、生存競争の上に、成り立っているという現実の必要性から出ている、ようだ。
競争がある限り、それには必ず評価が伴う。つまり、人間の生存、には必ず評価がつきまとう。
ところで、人間が下した評価によって人間の値打ちを、真実に測定し、断定することが果たして可能かどうかは、ともかくも、人類の進歩前進を導く、原動力が、必然的に競争を伴うものである。つまり、人類が続く限り競争とその評価はつきまとう。節目のない生物が、この世に存在できるだろうかというと、おそらくそれはいないだろう。
だからテストが必要悪であっても、不可欠だと言いたかった。


こんな次元ではなくて、孫が受験する時期を迎えた。合格するためには親も子必死である。能力の足りない部分は、金によって学力をつけるので有る。それがまた半端なものじゃなくて、子供に毎日塾に行くように仕向け、夜の弁当作りが始まる。夜半過ぎまで勉強して帰ってくる子供を迎えに行くために、痴漢が出るという噂のある通りを、自転車でぶっ飛ばす。 これが幾年にもわたって続く。その様子をつぶさに見ているだけに、孫が志望校に合格した通知を取ると、わがこと以上に喜んだ。こんな極端なことはないにしても、人生はこれからも、これがずっと続く生存競争があって、それに耐え抜いて生きているのが、自然の法則であるならば、これもしかたがない。テスト云々の問題ではない。適者生存と言う言葉の裏にはこんな現実が隠されている。


中学生の伊達直人君7-47

2011年01月12日 | Weblog
中学生の伊達直人君


中学生が、お正月にもらったお年玉を使って、施設の子供たちへのプレゼントとして包みを警備員に手渡した。包の中には文房具が入っており警備員が少年に名前を尋ねると、名前きかないでくださいと言って立ち去った。という。うれしい話じゃないか。
実にさわやかな行為である。この少年のことを思うと、心がほのぼのと温かくなる。
自分のお年玉を自分のために使わないで、恵まれない施設の子供たちにプレゼントしようという心がけは、見上げたものである。思っていても、なかなか実行に移すことができないこの種のことを、よくぞやってくれたと喝さいを贈りたい。
今日はこの種の運動が全国に広がったということである。
人の善意はどんな形であれ、共感を呼ぶと思う。
警察に届けた人もいるらしい。警察はこれを拾得物として取り扱わなければならない役所だから、どうしたものか困ったことであろう。しかしそこに届けた人の善意は何としても、素直に受け取ってほしいものだ。
新聞の見出しにはこの種のプレゼントを受け取るのに戸惑いがあると書いてあるが、確かに立場によってはそうだろう。しかしこの行為はあくまで温かい人間の善意なのだ。
素直に、喜ぼうじゃないか。それだけではない。これをした人も自分の心に温かいものを感じているのだ。送り主の名前は伊達直人というらしいが、このほかの名前を使っても、いろいろな場所で、いろいろなものをプレゼントしている人が、全国にいるということを知っただけでも、心うれしくなるものだ。
善人ぶってだとか、偽善者かというような見方をする人がいるが、そういうことを言う前に、自分の胸に手を当てて考えてみたまえ。批判をする前に、君自身がやってみたらどうだ。
みんな素直にこの善意を喜ぼう。そしてお互いの連帯感も強く感じよう。そこに人間的な温かみが感じられて、血が通うのだ。僕は単純にこの贈り物をした中学生や、姿を現した人や、現さなかった人達を心から祝福したい。おそらくこの善意は神にも届き、神はにっこりほほえまれることだろう。

タイガーマスク運動

2011年01月12日 | Weblog
タイガーマスク運動

先月クリスマスに、前橋でランドセル10個、 伊達直人が児童用施設にあらわれて、プレゼントをした。それが最初だったが、ひっそり、ともした暖かい灯火がいつの間にか「運動といえる」広がりを見せている。

殺人だの事故だの、毎日暗いニュースばかり報道されているご時勢。
このさやかで、ほのかな心温まる、善意のプレゼントが、どれほど人の心を暖めるか。
それはプレゼントをもらった子供たちだけでなく、ニュースで知る僕も、心の中に暖かい灯をともすだけでなく、人の善意の盛り上がりに、日本人はまだまだ捨てたものではないと、勇気つけられる。

プレゼントはランドセルばかりではない。現金、文房具、スポーツ観戦招待券、米や野菜なと、施設にとってはありがたいものだし、それに温かい励ましの手紙を添えてある。
この善意を受ける子供たちはきっと、この世にタイガーマスクがいると信じるのではなかろうか。
そういう人間的な連帯感が、今一番欠けていると言われているから、なおのこと、人々は暖かいものを感じるのだろう。そして個人も暖かい心をランドセルに乗せて、手紙をそえて届け、心をつないでいくのだろう。

プレゼントするのは余裕のあるお金持ちだけじゃなくて、年金生活者、もいるらしい。
善意の行動をするのに、何も遠慮することはない。時には堂々と名乗って行動するのもよい。そしてそういう姿を見つけたら、みんなで彼を祝福しようではないか。それが人の心を温め、人との絆を太くすることにつながる。

また高度成長のおかげで、心がものに集中して、忘れていた人間らしい心をとり戻すチャンスにでもなれば、もっけの幸いである。

自分の名前を隠してこのように善意の行動をするのは、まさに陰徳だ。
この世に神様がいるならば、おそらくこれらの善意を、素直に善意を善意としてほめられることだあろう。

願わくば、このような善意の運動が、施設だけでなく、もっと身近に根を張って、社会全体に連帯感が、よりいっそう広がって人間の心との砂漠化を
食い止めることが出来れば、このタイガーマスク運動は消え失せた、日本人魂をふたたびよみがえらせることになるだろう。この小さくても、点じられた善意の灯が、少子高齢化で斜陽に向かう日本に、国民的な連帯感を巻き起こし
その連帯感で難局を乗り切ることにつながれば、と願わずにはいられない。

年代によってお宝は変わる??7-48

2011年01月11日 | Weblog
年代によってお宝は変わる??

学生時代は、周波数特性に凝っていた。それに併せて音響機器は、アンプもスピーカーもヘッドホーンも、すべてそのときの最上品がほしかった。
当時1kヘルツあがると、1万円値上がりした。当時は1,5kサイクル出るスピーカーが最も優れていた。メーカーでいうと、タンノイ、グッドマンが有名だった。僕の好みにあった音は、グッドマンだった。当時これイギリスのBBC放送が使っていて、高音がきれいだった。タンノイは音が柔らかくて、物足りなかったが、シャリ感があったのはやはりグッドマンだった。
僕は学校を卒業しても、この執着は変わらなかった。そこで給料を貯めて、1年目にグッドマン社製のアキシオム80を買った。アンプは山水製を使った。まだ真空管だったと思う。
それである日深夜、ラジオから流れてくるツゴイネルワイゼンを聞いた。バイリンの名曲だ。弓と楽器の弦の触れる瞬間の音まで聞こえたのには涙が出るほど、感動した。
そのときばかりは、よめはん をもらわなくても、これがあれば大丈夫だと思ったくらいだ。

50年たって先日、このスピーカーを売ってしまった。狭い住まいには大きすぎて、それに隣近所に騒音で迷惑をかけてもいけないと思ったので、清水の舞台から飛び降りた。
いいものは昔も今も変わらない。いい値段で売れた。だから余計に心の精算が出来たのかもしれない。今はもうないが、未練も何も感じない。あれほど恋い焦がれたのに。

初恋の女性と同じだ。今は思い出だけが残って、それ以上の感情は何もない。
人間って年齢によって、持ち物やお宝は変わるのであろうか。何事にも執着心が弱くなっている昨今、このことだけは変わって貰っては困るのだが。それが現実だ。事実だ。

28歳の老婆

2011年01月10日 | Weblog
28歳の老婆


このタイトルには矛盾がありますね。28歳では老婆とは言わないものです。でも、アンシャン・レジームの頃、この言葉が現実にありました。

1787年から1789年にかけて、イギリス人の農学者であるアーサー・ヤングがフランス各地を旅行しては、農学者の目で革命前夜のアンシャン・レジームを鋭く観察しました。このエピソードのその最も有名なものです。

さて、時はバスティーユ襲撃が起こる2日前の1789年7月12日。ヤングが馬を休ませるために長い坂道を歩いて登っていたとき、貧しい女性と一緒になり、さまざまな話をしました。

「私の夫は小さな土地と、牝牛と小さなやせた馬を一頭ずつしか持っていないのに、ひとりの領主様には42リーヴルの小麦と三羽のひなを払わなければなりません。もうひとりの領主様には、90リーヴルの燕麦と1羽のひなと1スーの貨幣を払わなければならないんです。もちろん、この他にも人頭税や他の税金があります。子供は七人いますから牝牛のお乳はスープを作る足しになってくれます」

「それならなぜ馬を売って牝牛をもう一頭買わないのかね」

「とんでもございません。そんなことをしたら、夫は作物を運ぶことができなくなります。偉い人たちが私達貧乏人のために何かをしてくださるらしいけれど、誰が何をしてくれるのかさっぱりわかりません。でも、神様がもっと良くしてくださるにちがいありません」

この女性は、労働のために腰が曲がり、顔は皺で硬くなっていました。近くで見ても60歳か70歳に見えました。でも、本人は28歳であると言うのです。実年齢よりも30歳以上老けて見えることは異常なことです。

当時の農婦達は男性よりも厳しい労働をしていたそうです。その過酷な労働は、体の均整や女性らしさを完全に破壊していました。この農婦一人が特別に老けていたわけでもないのでしょう。イギリスの農婦も大変な仕事をしていたはずですが、フランスの農婦の過酷さはすさまじいものがあったようです。ヤングはこの両国の差異を「政治による」と言い切りました。本質をずばりと突いた鋭い指摘です。

と書いてある。それでフランス革命が起こる。当たり前の話だ。一部のものが贅沢すために、大多数がその犠牲になるというのは、キリスト教の教えは許したのであろうか。もしそうなら、神は死んだと言う他は無かろう。
時代が何時であろうとも、この地上の富は出来るだけ公平に分配されるべきもので、特権階級が独り占めすることは許されるものではない。もし宗教が全ての人間に出来るだけ平等に、富を分配するように教えなければ、宗教の社会的役割というものは、無きにに等しい。個人の救済が主たる役割だというなら、布教なんて必要がない。個人は自分の好きな方法で救済を求めるだろうから、布教というのは大きなお世話だ。

この豊かな日本の社会で、昨日60才台の姉妹が飢え死にしたと言う報道がテレビで流れた。お金に困って、行き着くところまで行ったという話だ。社会体制によって追い詰められて、フランスの老婆のようになったのではない。僕から見ればもっと積極的に生きる知恵が働かなかったものかなと思う。何せ暗い話だ。
ついでに言えば、フランス革命は起こるべくして起こったのだ。歴史的必然と言ってもよい。 聖職達よ。もっとしっかりして人間の命を見つめよ。

流れゆく月日

2011年01月09日 | Weblog
流れゆく月日


としあらたまり、月日はよおみがえる逝くものはかくの如きかな 昼夜を問わず
と川の畔で古人はなげいた。

まことに時の流れは、とどめようなく、人生のはなかいこと、行方もしれず流れに浮かんだうたかたのごとしである。冷厳な人生の理をこのような詠嘆的側面から見るのもたまには良いだろう。
ところで、現代はそんな感傷的詠嘆に浸っているような暇はない。ものすごいスピードで世界が廻っている。

マスコミの発達のおかげで、世界は均一化の方向に向かって走っている。パリフアッションは1時間後には銀座フアッションに影響を及ぼす。そのテンポの早さたるや、今後地球世界がグローバル化するにつれて、ますます加速しそうな勢いである。

ところが立ち止まって見てみると、この地上のことは全て有限である。その有限を追求して、有限の資源も食い尽くしていけば、いずれの時にかは、すべて無くなってしまうだろう。

ここまで考えたとき、こんな事を考えること自体が、ばからしくなった。
こう考えたから、どうだというのだ。考えなくても、考えても間違えなく、おさらばの時が来る。といいながら、また言い訳をした。

確かに考えてみたところで、どうにでもなることではないが、考えないのと、考えることとは人生の味わいが違うだろう。
もうこの辺でやめた。

パワースポット

2011年01月08日 | Weblog
パワースポット

パワースポット。時々マスコミに登場してお目にかかる言葉である。そこに行けば身も心も癒されて、リラックスすると同時に、力をもらう場所とされている。
それでは一体どこがその場所なのだろうか。?
よく言われるところは、お寺や神社など、聖地や霊地であり、また大木や山や岩や
水辺など神聖なスポットや、神聖なものに生気・精気を感じて、そこをパワースポットとしている場合が多い。
僕は かなり昔になるが 、あるお寺で体験したことがある。
そのお寺は、最近建てられたもので、かなり大きい寺だった。本堂にまつられている慈母観音像に両手をかざすと、虫が這いずるように手のひらがむずむずする。
観音像から手を遠ざけると、むずむずは感じなくなる。本当にエネルギーが発射されているのか、試そうと思って、手をかざすと、またむずむずしたり、じーんと何か刺激を感じるので、かつぐ訳じゃないけれど、何か不思議なエネルギーが放射されているのではないか、とまじめに考えたことがある。
その寺は本堂の前が、広場になっていて、向かって左端の方は、たくさんの石の地蔵さんが真っ赤なよだれかけをかけて安置されている。
その地蔵菩薩はインドから招来されたものと聞いた。デカン高原の硬い石で彫像されたものであり、姿形は異国情緒を漂わせていたが、ちょっと見には、何の変哲もない、どこにでもあるような地蔵さんである。
地蔵菩薩の首にはすべて真っ赤なよだれかけがかけられていた。それとその脇には、おもちゃのような赤と黄色の羽を持った、かざ車が建てられ、風にちっちゃな音を立てて、回っていた。
数は数えたことはないが、何百体かあったように思う。菩薩は30cmほどの台座に小さな体を乗せていた。
よく見ると、よだれ掛けには、金粉がぴかぴか光っている。これは不思議なことであった。
もとをただせば、この寺にお参りにきた訳じゃない。
風の噂に、この寺にくれば、金粉が見えるということに、好奇心が踊ったから、大阪から4,500kmの道のりをものともせず、車ですっ飛ばしてきたのである。
来てみると、確かに噂通りに金粉を見ることが出来た。
これに味を占めて、たしか三回ほど地蔵菩薩を見に行った記憶があり、そのうちの一回は涎掛けの金粉をかき集めて、ひとつまみほど手のひらにのせ、塵紙に包んで家に持ち帰り
枕の下に敷いて寝たことがある。別に罰があたったという記憶はないが、それにしても不思議なスポットである。
本当に不思議なこともあるものだ、という思いをそのままにして、今日にいたっているが、今から思えば、パワースポットではなかったか。そんな気がする。
おそらく今でも、あの涎掛けには金粉が出て、ぴかぴか光っていることだろう。ひょっとしたら、デカン高原の石の中に、金粉が含まれていて、それが風化によって、表面に現れ風に乗って、涎掛けにたまったとも考えられなくもないが、それだったら、あの観音像に、手かざしした時のむずむずは、なんだったんだろう。
僕の頭では、説明がつかない。ここは聖地霊地でパワースポットだと解釈するのが一番無難な解釈だろうと思う。そしてこの結論は謎が解けないままの今は、正しいとも思う。
今年の夏あたりもう一度、今なお金粉が出ているのか、確かめに富山まで車で走りたい。
パワースポット。それは週刊誌に乗せられて、若い女の子が騒ぐだけあって、なかなか面白いスポットだ。そしてそれは確かに、この地上に存在すると、僕は信じている。

死後の世界が問題だ

2011年01月07日 | Weblog
死後の世界が問題だ

バカみたいな話だが、何か気になるので書いてみる。
この肉体肉体の存在する現世、それは仮の宿、通りすぎる宿である。という考え方は、洋の東西を問わず、実に根強い思想となっている。

ギリシアの哲学者ソクラテスは、「死は言うまでもなく、肉体よりの開放に、ほかならず、」という。また、
ガンジーは、「生は死から生ずる。芽吹く為には、種子が死なねばならない。」とも言う。
元来はインドのバラモン教の思想であるが、仏教もその考えを受け継いでいる。
ギリシャのピタゴラスの学団も、同じような思想を持っていた。

この考え方の根底には、人間には、肉体と魂がある。と言うことだろうと思うが、
通常で用いる死という概念は、肉体の死を意味して、魂のことには触れていない。
思うに、肉体は死んでも魂は生き続けるという考えではなかろうか。だとすれば、肉体の死後に生き続ける魂のあり方である。
生きている魂は一体どこのそれと世界に住むのであろうか。これには輪廻転生の考え方を導入して何とか道筋をつけたいものだ。

どんな人が、どんなことを言おうとも、誰一人として、死を免れる人はいない。

そこで問題になるのは、死後の世界がどうなるかということである。
死後の世界において、輪廻転生するが、しないのか、誰も実証できないことだけに、その分自分の考えを加味して、言うならば、それが信じるか、信じないが、その一点で、答えを出す以外にはないだろう。それで、お前は?と聞かれると、「信じている。」ではなくて、「信じたい」と答えたい。

信心が足りないと、言われたって、日替わりメニューで、輪廻転生を信じたり、信じなかったりしている現状からすれば、確信をもって信じきれるわけでもないから、「信じたい。」と言って、輪廻転生を前向きに考える方が、何かにつけて好都合である。そして信じる事と言うのは有る種のロマンではないだろうか。
今仮に輪廻転生を信じるとすれば、
死んであの世(‘簡単に’あの世と言うけれど、どこを指すのか実態は判らない)に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることだという、輪廻転生はヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代のエジプトやギリシャ(オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。

輪廻は動物などの形で転生する場合も含み(六道など)、転生の一語のみの用法は人間の形に限った輪廻転生(チベット仏教の化身ラマなど)を指すニュアンスで使われることが多いといえる。僕の感覚では6道のある転生が輪廻転生だと思うが。
キリスト教などにおける「復活」の概念は「一度限りの転生」と見なすことも出来よう。ただし、復活の場合はより狭く、生前と同じ人格を保ったままの転生である。

元来はインドのバラモン教の思想であるが、仏教もその考えを受け継いでいる。
ギリシャのピタゴラスの学団も、同じような思想を持っていた。
輪廻転生は、日本では、人間(あるいは、すべての生命は)、死んだ後、また、別の人間(あるいは別の生き物)に生まれ変わる、という思想であるが、
お経に「人身受け難し、今すでに受く、、、」と言うところを見ると、日本では6道に生まれ変わると考えられているようだ。

先ほど、魂の存在ということを問題にしたが、それは実証できないのであるから。あくまで仮定の話だろう。
我々が肉体をもって人間界に生まれ出たのは、魂を磨くためだと推測される。輪廻転生を繰り返して、魂を磨くことによって、それは浄化がされ、純化され光り輝くように、神々しくなる。そうなると解脱して、つまり輪廻転生の輪から外れて常住極楽の世界に到達する。
こうなればしめたもので、もう輪廻対象の間には戻ることがない。そこに到達してこそ人は永遠の眠りにつくことができる。そうなればしめたものだが、その方法たるや全く判らない。今後そのハウツウを探そう。




















初詣

2011年01月05日 | Weblog
初詣

例年のように、近所の氏神様に初詣した。3が日と言うことで、今年は2日に神社に行った。歩いて20分ほどの所に、金岡神社がある。
本殿も由緒ありげな格式を感じるが、それだけではなく、さらに樹齢5,600年は経とうか思われる立派な、楠木が2本目に止まった。

この木の根元周りの太さを見たら、お釈迦さまが悟りを開かれた、ブッタガヤ の菩提樹を思い出した。現地の人の話によると、これで4代目の菩提樹らしい。またこの木はスリランカのさる女性が寄付されたとか。
お釈迦様の悟りをひらかれたこの地の、大木は青々と茂り、大きな陰をなしていて
そこにある金剛法座に日本から持って行った写経を供えて、お経をあげたことを、思い出した。
そこでちょっと悪いことをした。盗人である。おそらく何万枚かの葉っぱをつけているので、一枚くらい取って日本に持って帰ったところで、この木の態勢には悪い影響はなにも与えないはずだと、独り合点をして、きれいな青色の葉っぱを一枚失敬した。
この葉っぱを押し花にして、自宅に持って帰り、仏壇に入れてある、過去帳の表紙に貼り付けた。時々だしてみるけど、茶色に変色はしているが、崩れてはいない。

そこまで思い出をたっどていた時、天から声が降ってきた。
「40年ほど詣っておるが、お前の心がけで並だ。人間の社会では、物をもらったらお礼を言う?だろう。お世話になったら、お返しをする?だろう 。神と人間の関係も同じだ。初詣にくるから、氏神としてこのエリアの人間を守って居るわけだ。いくら守っても自分から道を外れて落ちていく者やら、神に逆らってばかりいる人間がいくらでもおる。お前は神という名のもとに、お力が不足しているのじゃないかと疑問に思って居るようじゃが、それは違う。
わかりやすくたとえてみると、自爆と言うやつだ。これだけはいかんとも仕方がない。神と人間の間にも一定のルールというものがある。それを自ら破っておいて、御守護をお願いしますと言われたって、よし聞き取らせてやろうと、神が思うか?
そん甘いものではない。人間としてまともな言動をする者には、それなりに対応するが、すべてよい行いも悪い行いも自業は自得じゃ。そこの所をよく心得て、初詣にくるがよい。そう考えるならば、年末にここにお礼参りにくるのが、物事の筋というもんだ。
ところが現実を見てみろよ。年末に氏子で境内があふれかえったと言うことは、かってなかった。今後もないだろう。せめてエチケットぐらいは守れよと言いたい。どうじゃな??」

この声を聴いたとき、成る程とうなずくと同時に、神様もストレスがだいぶたまっているようだと直感した。で、今年こそは夏祭りぐらいは盛大にやって、ストレスを吐いてもらわないとと思った。

今日は正月で2日である。例年1日の初詣を欠かしたことのない人間が、1日送らせたために、神様がぼやきはったとぴーんときた。
来年は元旦にお詣りするぞ、それが初詣の感想だ。

トイレの神様7-49

2011年01月03日 | Weblog
トイレの神様

誰が発掘したのか知らないが、今年ギターをつま弾いて歌う清楚な若いシンガー・ソング・ライターが突然現れて、アットいう間に紅白に出場となった。
曲は9分あまり、従来では考えられない長さで、レコード時代には想像もつかない長い曲である。
なぜこの曲が大衆に受けいれられたのか、次のようなことが考えられる
1,メロデイは単純だが、美しい叙情性を含んでいる。
2,現在の歌状況は、二極に分化している。一つはダンス付きの若人向けの歌。
もう一つは昭和時代にさんざん聞き、歌った昭和の演歌や歌謡曲で、これは中高年向けである。そんな歌状況の中で
3,素朴な詩でありながら3世代に亘りかかわりをもつ内容である。すなわち祖母と孫の私の会話を中心にして、私の思いを単純に繰り返される言葉とフレーズで出来ている。
非常に親しみの持てる歌詞だし、それにふさわしいメロデイがついている。
流れるリズムは、バンジョーを使ったカントリー風のリズムに、僕には響く(実際は、そんなものは鳴っていないにもかかわらず、頭の中で響き、)心地がよい。

祖母と私という、どこにでもある、家庭の風景である。そこが世代を超えて、受け入れられるところだろう。

おばあちゃんが言った、「トイレの神様」の話は俗信であるが、僕が耳
にした話は、あまりにも真実でありすぎる。

あるところで、僕はトイレの掃除を奪い合うようにして、自ら志願する行列をみたことがある。それらの人達の中には、日本で有名な大会社の社長夫人や、大都市の市長の奥さんがいた。
それをみた僕は、奇異な感じを持った。そしてある日パワースポットといわれるところにある、トイレの掃除の様子をじっと見つめていたことがあった。
トイレ掃除なんて、汚いところの掃除で、一般論で言えば、ごめん被りたい作業である。
にもかかわらず、奪うようにして、パワースポットにある便所を自ら進んで掃除するのはなぜか。答えは単純明快。御利益があるからだ。しからばどんな御利益だ?
それは家内安全、身体壮健に始まって、家庭の面でも、仕事の面でも、御利益だと感じるところがあると、僕はにらんでいる。

どこのパワースポットでもよい。寺でも、神社でも。トイレを借りて注意深く、よく見ると、掃除は行き届いている。
しかし僕は掃除をする気は毛頭ない。

でも僕はかつぐ。
トイレには神様がいて、ここへ掃除にやってくる人達には、それなりの福をやろうと、言うことなんだろう。

「トイレの神様」に歌われた、おばあちゃんはこのことをちゃんと知っていて、孫に伝えた。それがメロデイーに乗せられ、歌の題名や内容になって、この世に出た。
トイレの神様。  バンザーイ、だ。




言葉だけのセーフテイネット

2011年01月03日 | Weblog

言葉だけのセーフテイネット

ハチ
「去年年末の金融危機から急速に実体経済が悪くなって首切りが始まり
2009/01月現在では255万人から急速に失業者が増えて277万人に急増している。簡単に失業者と言うけれど、寝るところもなくお金もなく、従って食べるものもない。こういう人々を一体どうすりゃいいんだ?何か思わないか。クマさん」

「確かにそうだ。今の状態を作った政府や政治が悪い。」

「クマさん。そんなこと言ってる場合じゃないぜ。明日に食べるものがない人が沢山生まれていると言うのに。」

「ハチ公。考えても見ろよ。規制緩和、規制緩和の合唱で、今日の状態が生まれたわけだ。小泉改革の悪い面が実際に出てきたんだ。規制緩和は必要だ。だか何でもかんでも、規制緩和すれば良いというものではない。
人間がが暮らしていくと言う目的を、確保できないような規制緩和は、するべきではなかった。」
「と言うことを具体的に言うと、一般労働の規制緩和はしない方が良かったと言うことか?」
「わかりやすく言えば、派遣労働制度はごく限られた特殊技術者や専門家に限るという枠をはめるべきだった。その枠を取り払って、資本と労働すなわち企業と労働者と言う関係にしておくと、当然会社と労働者の力関係において、労働者は力弱い存在と成ってしまう。企業の論理よりも、人間優先の立場を確保して守ることが政治の役割だったはずだのに。
それが自らの手で破ってしまったから、今日のように、どこまでも歯止めが無く、容易に雇用契約解除や派遣切り、果ては正社員まで、この時流に乗って、企業は人減らしをしているのが現状だ。」
「偉い人が沢山よって考えたことなのに、今日のことが想定出来なかったのだろうか。」
「いや、あのときもセーフテイネットという言葉でそれは説明されていたはずだ。ところが事態がこんな状態になって、つまりふたを開けてみると、失業者があふれ出ると言う形になってしまっている。これは理屈じゃなくて現実だ。その言い訳に100年に一度の危機だなんて言い訳しているよ。安全網は言葉の上だけのことだったわけだ。」

「夏ならまだしも、この寒いときに職をうしない、住まいを失った人はホントに気の毒だと思うよ。で、一体どうすりゃ、いいんだよ。」

企業の人減らしがますます激しくなってきた。働く意欲と能力があるにもかかわらず、働く場所がない
その時人はどういう行動をするか。
1,人をけおとして、職場にしがみつく
2,で落とされた人は、自暴自棄になる 
これで社会がよくなるはずがない、暮らしていくという目的が達成されるわけがない。
暮らしていくための必要なものは、全員に平等に得られる 結果の平等
働いて稼ぐための社会的条件を等しくすればよい 機会の平等
この二つのバランスをどうとるべきか。

人間は生きていくことそれ自体が目的であり、手段ではない。

人間が生きていく  食べることが不可欠。

食べるためには、労働が必要。多くの人は労働を売る。

労働には働く意思と能力がある。 

業績原理  、どれだけ生産できるか=人間の価値を決める 。

これは生きていくための手段で、生産できない人は、人間の価値はゼロであろうか、そんなことは絶対ない。

稼げる人と稼げない人。職につける人と付けない人 によって、人の価値が決まるか。

稼げない人でも 、生きていかなくてはならない。それが人生の目的。

働きによって 働きでの個々の能力によって 人が受け取るものに大きな差ができてしまう。

できる人が特待生で、そうでない人はしょうがないという能力主義が業績原理は我々の社会が認めていることであるが、これが基本的に間違いである

できる人も、できない人も生きていくという目的のために、社会や政治はある。

企業は社会の一部である。企業の目的は人を養うことで、利潤をあげることだけではない。
決算が赤字になるからといって、人をむやみに解雇してよいものかどうか。
人をクビにして、つじつまを合わせているような企業は、社会的責任を果たしていない。
企業決算がどうあろうと、人間は生きていかなければならないという原則は、何にも増して優先されるべき事柄であろう。その調整のために政府がある。これが結論さ。判ったかい???









無責任にならないと生きていけない?

2011年01月02日 | Weblog

無責任にならないと生きていけない?

新聞の報ずる所によると、今後は100万人生まれてくるが、死んでいく人が150万人から200万人になるという。

江戸時代飢饉が発生して人口減少して2000万人台になったことはあるが、それから徐々に人口は増えて、今日では1億2000万人にもなった。しかし
2010年辺りがピークで徐々に減り始め、8000万くらいまで減少するのではないかと言われている。

その辺りを見越してか、どうかは知らないが、少子高齢化が毎日、どこかの紙面に踊っている。少子化担当大臣も生まれ、不評な子供手当まで、実施されるようになった。子供を産んで、育てて欲しいというメッセージである。ところが実情はこんな苦しみの多い世の中で、結婚さえまともに出来ず、ましてや子供なんてと考えている人が増えている。

思うに日本の国、開闢以来の経済発展を遂げた、昭和時代の高度成長の果実はどこへ行ったのか。何に使われて無くなったのか。
ふたを開けてみると、1400兆円の借金があるという。戦後賠償だの、国際協力だの、発展途上国への経済援助だの、自由世界第2位の実績を誇っていたが、ふたを開けてみると、1400兆円の借金だけが残っている。 一体これはどういう事だ?

国民の富は60才以上の高齢者が握っているという。これは事実かも知れないが、じゃ後30年経って、今の高齢者が全部あの世に行ったら、借金残高は減るのかというと、そういう答えは出そうもない。1945年太平洋戦争が終わったとき、丸裸に近い状態から60年ほどかけて世界第2位の経済大国になったと言われたが、
その実情は借金大国だったのか。

税収が40兆円で歳出が90兆円の予算が決定されそうだ。これだから財務省にはまかしておけないのである。やはり、国家予算は経営者例えば松下幸之助のような人(プロ経営者)にやって貰わないと、経営実態の判らない役人が、政治家と組んでどのように智慧を絞ろうが、経営感覚欠如は免れまい。そして後に残るのは、借金だけである。これは国民負担となってつけが回ってきて、庶民は重税にあえぐことになる。

政治家なんて、丸で信用できない。国家経営の知識も経験もなく、その技量もなく、有るのは口先と名誉欲ばかりである。民主党も野党も政治家と名のつく人で敬意を払うような人物は見あたらない。
風向きによって右往左往する未熟人間ばかりが目立ってしようがない。

あーあ。ため息が出る。今から1300年あまり昔に山上憶良によって読まれた 「貧窮問答歌」でも読んで、今夜は寝るとするか。