コンサルタントバンク コンサルタント(プロ・希望者)+ 士業の異業種交流会

コンサルタントバンクは、コンサルタントや士業の先生方の異業種交流会で、無料で登録できる組織です。関連情報をお届けします。

■【きょうの人】 0328 微妙大師授翁宗弼 建武の中興で後醍醐天皇を諫めた人

2021-03-28 08:46:00 | 【話材】 きょうの人03月

■【きょうの人】 0328 微妙大師授翁宗弼 建武の中興で後醍醐天皇を諫めた人

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 微妙大師授翁宗弼 建武の中興で後醍醐天皇を諫めた人


 びみょうだいし じゅおうそうひつ
 永仁4年(1296年)- 康暦2年/天授6年3月28日(1380年5月3日)

  鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧で、諱は、後醍醐天皇から授かった宗弼、39歳で出家し、字は授翁です。諡号は、円鑑国師、微妙大師です。父は南朝忠臣藤原宣房で、宗弼は、万里小路藤房と同一人物とする説もあります。

 建武の新政の際には、後醍醐天皇を諫めたが受け入れられず、ひそかに洛北岩倉で不二大徳に支持して得度しました。20年間隠遁した後、京都妙心寺の関山慧玄に参禅して、その法を継ぎ、妙心寺2世となりました。


 宗弼は、客観的なものの見方をすることができる人だったようで、後醍醐天皇による建武の新政における考え方に危機感を持ちました。天皇を諫めましたが、聴く耳を持たなかったようで、足利尊氏が離反するなど、人心掌握力にも欠けていたようです。

 ビジネスパーソンが、変革など、何か、ことを起こそうというときには、周到なる準備が必要です。また、周囲の人間をキチンと掌握していませんと、離反者が出てしまいます。一人離反者が出ますと、離反する人が続出してしまう懸念がありますので、離反者が出ないように、心する必要があります。

 起こそうとするコンサルタントデプトは何かを、明確にし、それを関係者に周知徹底する必要があります。

 

【妙心寺サイト】 http://www.myoshinji.or.jp/index.html


 正法山妙心寺は臨済宗妙心寺派の本山です。

 インドの達磨大師さまから中国の臨済禅師さまを経て、妙心寺開山無相大師さまへと受け嗣がれてきた一流の禅を宗旨・教義としています。

 1337年、95代の花園法皇さまの勅願によって創建された妙心寺の開山、無相大師さまの法流は四派に分かれ、全国3400ヶ寺に広がっています。

 お釈迦さまを大恩教主と尊崇し、その教えを心にいただく禅の安心を求めます。

 開山無相大師さまの最期の教え「請う、其の本を務めよ」と開基花園法皇さまの「報恩謝徳」の聖旨による仏法興隆を実践します。

 自身仏を信じて坐禅に励み、足下を照顧しながら生かされている自分を感謝して、社会を心の花園と念じ和やかな人生を目指します。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【きょうの人】 0327 ■ 千利休 もともとは商人でした ■ 大塩 平八郎 義憤に駆られて乱を起こす

2021-03-28 07:30:32 | 【話材】 きょうの人03月

■【きょうの人】 0327 ■ 千利休 もともとは商人でした ■ 大塩 平八郎 義憤に駆られて乱を起こす

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 千利休 もともとは商人でした


 せん の りきゅう、せん りきゅう
 大永2年(1522年)-天正19年2月28日(1591年4月21日)

 戦国時代から安土桃山時代にかけての商人で、むしろ茶人として広く知られています。

 わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、「茶聖」とも呼ばれています。また、今井宗久や津田宗及とともに、茶湯の天下三宗匠と称せられます。

「利休七哲」に代表される数多くの弟子を持ち、その子孫は、茶道の三千家として続いています。

 豊臣秀吉の側近でもあり、茶道を通じて多くの大名にも影響力をもったといわれていますが、秀吉との関係に不和が生じ、最後は切腹へと追い込まれたことはよく知られています。

 不和の真相については諸説があり、定説はないようです。


 茶道を嗜む人でなくても利休を知らない人はいないでしょう。お恥ずかしながら私は、コーヒーショップで「お茶」はしますが、茶道の「茶」はしません。でも、時々妻が茶を入れてくれますが、何かホッとします。やはり、日本人なのでしょうか。

 

■ 大塩 平八郎 義憤に駆られて乱を起こす


 おおしお へいはちろう
 寛政5年1月22日(1793年3月4日)-天保8年3月27日(1837年5月1日)

 江戸時代後期の儒学者、大坂町奉行組与力で、大塩平八郎の乱を起こしました。

 通称は、平八郎、諱は正高、のち後素(こうそ)、字は子起、号は中斎です。

 揚羽の家紋を持ちます大塩家は、今川氏の末流で、代々大坂東町奉行組与力を務めていました。平八郎は初代の大塩六兵衛成一から数えて8代目にあたります。

 大塩平八郎の欄を蜂起する前年の天保7年(1836年)秋、米価高などの影響で、甲斐国「天保騒動(郡内騒動)」や、三河国挙母藩の「加茂一揆」などの大騒動が各地で発生しました。

 各地で不穏な動きが出て、砲術を中心とする軍事訓練が開始されました。

 大潮は、蔵書を処分するなどして私財をなげうって、救済活動を行います。しかし、もはや武装蜂起によって奉行らを討ち、豪商を焼き討ちして灸をすえる以外に根本的解決は望めないと考えました。

 天保8年に門人、民衆と共に蜂起します。大塩平八郎の乱です。腐敗した役人にも目をつぶることができなかったのでしょう。

 しかし、同心の門人数人の密告によって事前に大坂町奉行所の知るところとなり、蜂起は不発に終わりました。

 その後、一旦は、逃げ延びましたが、告発により、再び窮地に追いやられ短刀と火薬を用いて自決することになりました。享年45でした。

 

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする