■【きょうの人】 0607 ■ 役行者 飛鳥時代の呪術者 ■ 隆光 江戸時代中期の新義真言宗の僧
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そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。
■ 役行者
えんのぎょうじゃ
役行者、別名「役小角(えん の おづぬ /おづの /おつの)
舒明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)
飛鳥時代の呪術者で、役優婆塞(えんのうばそく)、役小角(えん の おづぬ / おづの / おつの)という呼び名でも広く知られています。
姓は君、修験道の開祖とされています。
実在の人物ですが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きく、真の姿が見えない部分があります。
天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など、多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承があります。
役行者神変大菩薩(奈良・金峯山寺)
日本の正史『続日本紀』によると役行者は634年(舒明天皇6年)、御所市茅原で誕生しました。名は小角といい、幼少の頃より葛城山で修行するなど山林修行や苦行の末、金峯山上にて金剛蔵王大権現を感得され、修験道の基礎を開かれたと伝えられています。
やがて修行の高まりと共に、強固な精神力と、煩悩を克服した境地に達し、呪術家としての名声は天下に鳴り響りました。
699年(文武天皇3年)、韓国連広足(からくにのむらじひろたり)の謗言によって伊豆大島に流罪になり、701年(大宝元年)無罪がわかり、許されて都に戻られました。
同年6月7日68歳で、箕面の天上ヶ岳にて入寂されたと伝えられていますが、異説も多く、「昇天した」「母を鉄鉢にのせて海を渡って入唐した」などと多くの伝説が残されています。
その尊像の多くは、折伏した2匹の鬼(前鬼・後鬼)を従えた仙人風の姿で祀られています。
1100年忌にあたる1799年(寛政11年)に光格天皇より、神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡号(しごう)が贈られました。
■ 隆光
りゅうこう
慶安2年2月8日(1649年3月20日)-享保9年6月7日(1724年7月26日)
江戸時代中期の新義真言宗の僧で、大和国の旧家河辺氏からの出身。初名は、河辺隆長、字(あざな)は栄春です。
1658年(万治元年)仏門に入り、長谷寺・唐招提寺で修学した後、奈良・醍醐で密教を修め、儒学・老荘をも学びました。
1686年(貞享3年)5代将軍徳川綱吉の命により、将軍家の祈祷寺である筑波山知足院の住職となり、その後、急速に綱吉の帰依を得ることになりました。10月3日に、江戸城黒書院で安鎮法を修しています。
1688年(元禄元年)には、知足院を神田橋外に移して護持院と改称してその開山となりました。
1695年(元禄8年)には新義真言宗の僧では初めて大僧正となり、宝永4年2月25日に隠居し、駿河台成満院へ転住しました。
しかし、綱吉の死去と共に失脚し、宝永6年(1709年)には江戸城への登城を禁じられるまでに至りました。
筑波山知足院への復帰願いも認められず、失意の内に大和に帰郷し没したといわれています。墓所は大阪府羽曳野市と奈良市の佐紀幼稚園裏の2カ所にあります。
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