コンサルタントバンク コンサルタント(プロ・希望者)+ 士業の異業種交流会

コンサルタントバンクは、コンサルタントや士業の先生方の異業種交流会で、無料で登録できる組織です。関連情報をお届けします。

■【きょうの人】 0321 弘法大師 空海 どの様な人か知っているようで知らない 

2020-03-21 05:45:00 | 【話材】 きょうの人

■【きょうの人】 0321 弘法大師 空海 どの様な人か知っているようで知らない 

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

 弘法大師 空海

 こうぼうだいし くうかい
 宝亀5年(774年)-- 承和2年3月21日(835年4月22日)高野山にて入寂

 空海は、平安時代初期の僧侶で、弘法大師の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られ、真言宗の開祖です。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられています。

 讃岐国に生まれ、はじめは経書を学び、20歳で出家しました。延曆22年に東大寺戒壇院で具足戒(出家した修行者 が遵守すべき戒)、翌年唐に渡り、新語温州の協議を受けました。大同元年に帰朝し、真言宗を広め始めました。


 空海は、最澄としばしば比較され、最澄が空海に教えを請うたときに、冷たい態度を取ったということが語られます。

 真偽の程はわかりませんが、ちょっとした言動が、後々までマイナスのイメージに繋がることがありますので、気をつけなければいけませんね。

  

  修善寺独鈷の湯 空海ゆかりの地

  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/shizuoka/shizuoka-izu-shuzenjionsen.htm

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【きょうの人】 0320 上杉景勝 謙信ほど有名ではないが豊臣政権の五大老の一人

2020-03-20 05:03:00 | 【話材】 きょうの人

■【きょうの人】 0320 上杉景勝 謙信ほど有名ではないが豊臣政権の五大老の一人

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

 上杉景勝

 うえすぎ かげかつ
 1556年1月8日 - 1623年3月20日

 戦国時代から江戸時代前期にかけての大名で、豊臣政権の五大老の一人です。米沢藩の初代藩主となり、上杉宗家(山内上杉家)17代目で、同家16代目上杉謙信を家祖とする米沢上杉家2代目となります。

 初名は長尾顕景で、同じ長尾家出身の叔父・上杉謙信の養子となり、名を上杉景勝と改めました。

 実子のいない謙信の死後、上杉家の家督相続を争った御館の乱で勝利し、謙信の後継者として上杉家の当主となりました。

 会津藩120万石を領し、秀吉の死後、徳川家康が景勝討伐に向かい関ヶ原の戦いが幕開け、景勝は、石田三成ら西軍に付き敗北しました。

 戦後、徳川家康から上杉氏の存続は許されたが米沢藩30万石へ減封となりました。(【Wikipedia】を基に作成)

 

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【きょうの人】 0316 ■ 鎮西上人 ■ 渋沢 栄一

2020-03-18 07:24:38 | 【話材】 きょうの人

■【きょうの人】 0316 ■ 鎮西上人 ■ 渋沢 栄一

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

■ 鎮西上人

 ちんぜいしょうにん
 別名 弁長聖光(べんちょうせいこう)
 応保2年5月6日(1162年6月20日) - 嘉禎4年2月29日(1238年3月16日)

 平安時代後期から鎌倉時代にかけての浄土宗の僧。鎮西義の祖。父は古川則茂。字は弁阿(べんな)。房号は聖光房(【Wikipedia】)

 14歳で出家し、比叡山に登り、短大集を学び、秘奥を究めたと言われています。

 後に、故郷の筑前に帰り、油山の学頭職に補せられますが、弟の死に遭遇し、無常を感じて建久8年に上洛しました。

 そこで法然に謁(まみ)え、浄土念仏の要道を聴き、専心法然に支持して浄土門に期すことになりました。

 元久元年、浄土宗の正統を伝道し、鎮西に帰り、善導寺を建立しました。


 人の「死」というのは、人間の生き方を変える契機となるほどのことなのですね。

 私事ですが、中学二年の時に祖母を亡くしました。祖母からは、「偉くなっても稲穂を忘れてはいけないよ」という言葉を始め、いろいろと教えられました。

 祖母の死に遭遇したときに、いろいろな教えをもとに生きていくということを墓前で誓ったことを鮮明に記憶しています。

■ 渋沢 栄一 生誕

 しぶさわ えいいち
 天保11年2月13日(1840年3月16日)-昭和6年(1931年)11月11日)

 日本を代表する実業家のひとりで、慈善家として知られています。位階勲等爵位は、正二位勲一等子爵で、雅号は「青淵(せいえん)」です。

 江戸時代末期に、名主身分の農民でしたが武士(幕臣)に取り立てられました。

 明治政府では、大蔵少輔事務取扱となり、大蔵大輔、井上馨の下で財政政策を行いました。

 退官後は、実業家に転じ、第一国立銀行や理化学研究所、東京証券取引所といった多種多様な会社の設立や経営に、500社以上に関わりました。

 二松学舎(現二松学舎大学)第3代舎長を務めたり、商法講習所(現一橋大学)、大倉商業学校(現東京経済大学)の設立にも尽力しています。

 これらの功績が高く評価され「日本資本主義の父」と称されています。

 論語を通じた経営哲学でも広く知られています。(日本経営士協会理事長藤原久子先生がブログで紹介:https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/44c1677ddc6d92a589c21d421e4150ad">https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/44c1677ddc6d92a589c21d421e4150ad

 令和6年(2024年)より、新紙幣一万円札の顔となります。また、令和3年(2021年)に、渋沢栄一を主人公としたNHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送。 (【Wikipedia】を基に作成)

 東京都飛鳥公園内に、渋沢栄一資料館があります。
  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tokyo/kitaku-asukayama.htm">http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tokyo/kitaku-asukayama.htm

 

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■■【お節介焼き情報 健康】 健康ウォーキングで今日も元気!! 2-2 ウォーキングの方法 1 歩き始め

2020-03-16 05:36:00 | 【話材】 健康・環境

■■【お節介焼き情報 健康】 健康ウォーキングで今日も元気!! 2-2 ウォーキングの方法 1 歩き始め

 若いうちは、特別に健康に配慮しなくても、健康を維持し続けられてきたように思えます。しかし、近年、若くても成人病に悩んでいる人の比率が高くなってきているともお聞きしています。

  齢を重ね、体力も落ち、運動量も減ってくると寝たきり老人に一歩近づいてしまいます。

 一方で、経営コンサルタントを目指す若い人や、企業経営者・管理職からは、いろいろな問合せや相談が後を絶ちません。経営コンサルタント歴40年余の経験を求める人がいらっしゃる以上、床に伏しているわけにはいかず、お節介訳精神が湧き上がり、一念発起して、私の健康法の現状を皆様にお伝えし、一人でも多くの方の参考になればと、本シリーズを書き始めました。

 ご笑読くださると幸いです。

 早朝ウォーキングといいましても、ただ漫然と歩いているのではもったいないです。効果的な歩き方で、結果として”一層”健康に結び付けることができると考えます。

 それをマーケティング・ミックスになぞらえて「ウォーキング・ミックス」という言葉を作りました。

 すなわち、いろいろな歩き方を組み合わせると効果が高まるという考え方です。

 ここでは、ウォーキングの種類といいますか、いろいろな歩き方を紹介します。

 それらを適切に組み合わせることにより、ウォーキングの効果を高めていただきたいです。

 

■ ウォーキングの方法 1 歩き始め

 

 歩き始めは、普通に歩く速度で、歩幅はやや広め、できるだけ足裏全体で後ろに蹴るようにして歩きます。この時に、足の指を意識して蹴るようにします。結果的に、指が曲がって、靴の中ですが、土を掴むような状態になっているようです。

 

 腕は、後方に振り上げます。やや肘を追った状態で後方に上げますと、肩の筋肉が良く動いていることを実感します。PC操作による肩こりをほぐしてくれているように思えます。

 

 その腕は、重力を利用して振り下ろします。あまり前方に上げるのだという意識はしません。

 

 私はあまり意識していませんが、前方に腕を上げるときには、反動を付けるように振り上げるのではなく、腕を前方に上げるのだと、自分で意識しながら上げますと、二の腕の筋肉を鍛えることに繋がるということを聞いたことがあります。

 

 < 次回に続く >

(ドアノブ)

■■健康・環境 真剣に取り組もう

 いろいろな記事を投稿しています。併せてご覧下さると幸いです。



【経営コンサルタントの育成と資格付与】

 
since 1951 特定非営利活動法人・日本経営士協会
 
 
 
 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。
 
 詳しくは、サイトでご覧下さい。 
 
 
 
    ↓ ↓  クリック
 
 
 
 日本最古の経営コンサルタント団体・日本経営士協会とは
 
 資格取得についてや入会の手続等
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【きょうの人】 0315 ■ 智証大師 円珍 天台寺門宗(寺門派)の宗祖

2020-03-15 05:35:00 | 【話材】 きょうの人

■【きょうの人】 0315 ■ 智証大師 円珍 天台寺門宗(寺門派)の宗祖

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

■ 智証大師 円珍

 ちしょうだいし/えんちん
 弘仁5年3月15日(814年4月8日- 寛平3年10月29日(891年12月4日)

 平安時代の天台宗の僧で、天台寺門宗(寺門派)の宗祖でもあります。

 法号は「南無大師智慧金剛(なむだいしちえこんごう)」で、諡号は智証大師(智證大師、ちしょうだいし)と称し、入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人ですので、最澄・空海らと肩を並ぶお人なのです。

 讃岐国(香川県)金倉郷に誕生しました。その地の豪族・佐伯一門のひとりで、俗姓は「」和気」といいます。空海(弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたるといわれています。

 15歳で比叡山に登り、義真に師事、12年間の籠山行を終えました。

 役行者を慕い、大峯山・葛城山・熊野三山を巡礼しました。吉野での修験道の発展に寄与することになり、承和13年(846年)には、延暦寺の学頭となりました。

 仁寿3年(853年)に、新羅商人の船で唐に向かう途中で暴風に遭って台湾に漂着したいりしました。

 天安2年(858年)帰国後、比叡山の山王院に住したの地、第5代座主となり、園城寺(三井寺)を賜りました。三井寺には、円珍が感得したとされる「黄不動」「新羅明神像」等の美術品の他、円珍の手による文書が他数残されており、日本美術史上におきましても注目されることです。

 

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■■【成功企業・元気な会社】009 ドイツ式検眼で目の特性をチェックし、視機能高めるメガネ店

2020-03-14 05:06:00 | 【経営】 経営情報一般

■■【成功企業・元気な会社】009 ドイツ式検眼で目の特性をチェックし、視機能高めるメガネ店

 

■ ドイツ式検眼で目の特性をチェックし、視機能高めるメガネ店

◆目は指紋のように人それぞれで違っている―この気付きを得て“開眼”したのがメガネ店、パーソナル・グラス・アイックス(福岡県飯塚市)の小松知史社長だ。小松社長に気付きを与えたのはドイツの専門家で、小松社長はドイツ式検眼の研鑽を積み、ドイツ製の精密検眼機器を導入し、顧客それぞれに最適なフィッティングを施せるようにした。そのフィッティングが評判を呼び、福岡・飯塚の地に九州・沖縄各地はもちろん、北は北海道からも顧客が訪れて、『人生が変わるメガネ屋』とまで言われている。

◆同社は小松社長の父親が1940年(昭和15年)に時計店として開業。その後、メガネと時計の兼業店からメガネ専門店に移行し今日に至る。「しばらく立てなくなり衝撃的だった」。小松社長が、こう述懐するのは、40年ほど前の、目やメガネに関する勉強会での出来事。ポラテストと呼ばれる、偏光フィルターを用いた視力測定を受け、斜位が多くあった小松社長に適するプリズムグラスが施され、それを外した時に起こった現象だ。2.0の視力ながら、斜位や斜視を抱えていたため、プリズムの効果が絶大だったわけである。

◆ポラテストを考案したのはドイツ人のハーゼ教授で、小松社長はハーゼ理論を学び、「目と眼筋までのアメリカ式」とはひと味違った「脳までアプローチ可能なドイツ式検眼」を身につける。程度の差はあっても大半の人には斜位があり、脳が両目のズレの補正を司ったりしている。「脳までアプローチ…」の所以(ゆえん)で、視線のズレは指紋のように個々人で異なるため、単に視力だけでなく視機能全般を検査し、それぞれの目の特性に合ったメガネ選び、メガネづくりを提唱、実践する。同社の基本姿勢として長年、貫かれているものだ。

◆同社店舗では、目の個別特性を調べるアイプロファイラーをはじめ、ドイツ製の検査装置をフルラインで導入。ハードの一方で、視能訓練士、ビジョントレーナーといった目の専門家を揃えるなど、ソフト面の充実も図った。これらの取り組みが顧客の輪を広げ、口コミで全国津々浦々から来店。来店者分析などに基づき、今年2月には銀座店を開店。小松社長は「検眼技術者の育成には相当の年数を要するので簡単ではないが、先々、福岡、大阪の両市に出店して九州圏と関西圏をカバーし、関東圏は銀座店で対応する」と将来を見据えている。

◆両眼視がうまくできないと、ものが二つに見えないように外眼筋が緊張し、肩こり、偏頭痛、腰痛の一因となる。はっきり見えなかったり、不安定な見え方だったりすると、発達障害につながる恐れがある-。小松社長によると、ここへきてこれらの知見が明らかになり、小松社長は、地元・飯塚市の発達障害支援研究事業の委員としても活動している。「ビジョントレーニングやメガネによる視機能改善を進め、目による悩みをなくしていく」(小松社長)と、強い使命感のもと、メガネ事業のさらなる発展を目指す同社である。

 

【コメント】
 
 成功している企業・元気な会社というのは、何か他社と違ったことをやっています。ちょっとしたアイディアです。経営コンサルタントとして、講演を頼まれるときに「事例を紹介してください」という要望をしばしば受けます。事例を紹介すると、「うちの業界では、ちょっと適用できませんね」というようなコメントが時々返ってきます。
 
 もし、その経営者と同じ事例を紹介したとしても、それは二番煎じに過ぎません。むしろ、他業界での成功事例や失敗事例を基に、自社に即した形に焼き直してこそ、独自性が出て来ると思います。


出典: e-中小企業ネットマガジンの掲載ルールに基づき、【コメント】以外は、そのまま転載しています。

 コンサルタントへの依頼、講師捜しに関する情報

 弊著、経営者・管理職のための「発展し続ける企業の“秘密”の道」(グロマコン出版、A5サイズ約60ページ)は1,000円(税/送料込み)でおわけしています。  ご購入案内 ←クリック


◇ ブログによる閲覧 ←クリック
◇ バックナンバー  ←クリック

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■■【成功企業・元気な会社】008 「保証金半額」で不動産賃貸に革新を起こす

2020-03-13 05:06:00 | 【経営】 成功企業・元気な会社・頑張る社長

■■【成功企業・元気な会社】008 「保証金半額」で不動産賃貸に革新を起こす

~「保証金半額」で不動産賃貸に革新を起こす~

 「世界の常識が日本の非常識。そこにチャンスがあるとみた」。日本商業不動産保証(東京都港区)の豊岡順也社長は、創業の動機をそう説明する。同社は平成23年9月に発足した社歴3年余のベンチャー企業。古色蒼然たる社名が示す通り、不動産物件の保証に関する事業を主力業務としている。ただ、その中身は斬新かつユニークで、社名が醸し出すイメージとは対極の「イノベーション」を不動産賃貸の世界に巻き起こしている。

 「保証金半額くん」サービスと名付けた同社の主力事業は、その名の通り、事務所や店舗を借りる際の保証金や敷金を、相場の半分にすることで、ビルオーナー、テナント、同社の“三方良し”を実現するもの。通常、月額賃料の10~12カ月分とされる保証金、敷金を5、6カ月分として、差額は同社が保証し、テナントから月額賃料の0.25カ月相当の年間保証委託料を得るのが基本スキームとなる。

 豊岡社長は「テナント企業の財務分析などの審査能力が重要なポイント」と説明する。ビルオーナーは審査能力に乏しく、テナントはできることなら保証金を積みたくない。両者の間に立って橋渡しをすることで、テナント側には、初期コストが低減し資金の有効活用が図れる、オーナー側には、テナントが集めやすくなりテナント選別に関わる労力が不要になる、とのメリットを供与。そのうえで、自らも利益を得る三方一両得の新たなビジネスモデルを確立した。

 豊岡社長は以前、コンサル業務に携わっていた時、巨額の保証金を積んでいる米国資本の大手チェーン店から保証金の件で相談を受ける。その際、日本の保証金制度は、借地借家法のため、オーナーがテナントに即時退去を迫れないのを補う制度で、世界の常識とかけ離れていると見極めたのが創業の原点となる。国内の保証金・敷金の合計が30兆円規模に達し、マーケットは小さくないと見通せたのも起業に踏み切る大きな要因となった。現在、半額くんサービスを利用するテナントとしては、ITベンチャーなどが強い関心を示し、実際、「ベンチャー系企業の利用実績が順調に伸びている」(豊岡社長)という。

 事業エリアとしては、これまでの首都圏中心から、地方都市への進出に意欲をみせている。グローバル創業・雇用創出特区となった福岡市での取り組みがその代表例。同市の不動産会社やインキュベーター・起業支援会社と提携し、半額くんサービスやベンチャー支援事業を矢継ぎ早に打ち出している。長年の商慣行に一大変革をもたらす同社事業は、イノベーションそのもので、昭和の香りが色濃い社名が妙に新鮮なものとも思えてくる。

【コメント】
 
 成功している企業・元気な会社というのは、何か他社と違ったことをやっています。ちょっとしたアイディアです。経営コンサルタントとして、講演を頼まれるときに「事例を紹介してください」という要望をしばしば受けます。事例を紹介すると、「うちの業界では、ちょっと適用できませんね」というようなコメントが時々返ってきます。
 
 もし、その経営者と同じ事例を紹介したとしても、それは二番煎じに過ぎません。むしろ、他業界での成功事例や失敗事例を基に、自社に即した形に焼き直してこそ、独自性が出て来ると思います。


出典: e-中小企業ネットマガジンの掲載ルールに基づき、【コメント】以外は、そのまま転載しています。

 

 

 何万人ものコンサルタントの中から最適な先生を探すのは至難の業です。その様な経営者・管理職の悩みに少しでもお役に立てればと言う気持ちでまとめてみました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■■【成功企業・元気な会社・頑張る社長企業】007 使用済み食用油で新エネルギー再生事業

2020-03-12 07:48:00 | 【経営】 成功企業・元気な会社・頑張る社長

■■【成功企業・元気な会社・頑張る社長企業】007 使用済み食用油で新エネルギー再生事業

 「東京が世界有数の油田」―といっても、その油とは使用済みのてんぷら油。それが実は貴重な資源だということは案外知られていない。家庭で使われるてんぷら油は未利用のままそのまま廃棄されることが多い。しかし、適切な処理をすればバイオディーゼル燃料や家畜の肥料、畑の肥料に「変身」する。


 こんな大きなECO資源に注目し社業としているのが(株)ユーズ(東京都墨田区、染谷ゆみ社長)。平成9年、染谷社長27歳の時の設立。(株)ユーズは、同社の目指すエネルギー循環を、一つの社会システムにしようと設立したもの。約50年、墨田区で油業を営む染谷商店が同社長の生家だ。


 (株)ユーズ設立までに以下のような経緯がある。18歳の時、旅先のチベットで環境破壊に起因する土砂崩れに遭い、帰国後同商店に入社する。同社長はそこで、使用済みの食用油をリサイクルすることが循環型社会のモデルになることに気づく。

 


 そして同商会勤務時の平成5年、「VDF」と呼ぶバイオディーゼル燃料を独自開発。その後VDFを燃料とする車が油を回収するという独自のエネルギー循環を作り上げた。日本の約40万トンといわれる廃食油すべてをVDFに精製すれば、約40万台のディーゼル車を走らせることができる計算だという。もちろん同社のトラックなど社用車の燃料はVDFだ。
 

 (株)ユーズはスケールの大きなプロジェクトを掲げる。代表的なのが平成19年に始動した「TOKYO油田2017プロジェクト」。2017年(平成29年)までに東京を中心に首都圏から使用済み食用油を大部分回収する回収ステーションを団地、薬局、美容室などに設置するという内容。ほかにもNPO主導のイベント「アースデイ東京」に平成18年から参加し、同イベントの発電にVDFを使うなど数々の社会的取り組みを行う。


 その基本にあるのは「油の捨て方を変えるだけで循環型の環境社会を実現できる」との強い信念。新時代の企業経営のキーワードの一つ「共感」を呼び起こすに値する考え方と行動といえる。

  資料出典: J-NET21
 

 何万人ものコンサルタントの中から最適な先生を探すのは至難の業です。その様な経営者・管理職の悩みに少しでもお役に立てればと言う気持ちでまとめてみました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■■【成功企業・元気な会社・頑張る社長企業】006 卵の殻から子供たちの未来を  12

2020-03-11 05:35:00 | 【経営】 成功企業・元気な会社・頑張る社長

■■【成功企業・元気な会社・頑張る社長企業】006 卵の殻から子供たちの未来を  12

 
 秋を迎えると思い出される運動会。トラックの眩しい白線に、胸の高鳴りを覚えたことも懐かしい。ところでこの白線、材料に消石灰が使われており、人体への悪影響や水との発熱反応の危険性が指摘されている。白線材は様々な場所で使われており、特に、子供の安全を気遣う教育現場では悩ましい問題だった。

 

 この問題に光明を投じたのが、(株)グリーンテクノ21(佐賀県鍋島市、下浩史社長)の下社長。ある時、廃棄用に積み上げられた卵殻を偶然目にした同氏は、「なんとかリサイクルできないか」と、平成15年から卵の殻を原料にした製品の開発に取り組む。

 

 食品メーカーに液卵を供給する割卵業者は全国に約120社。年間20万トンともいわれる卵の殻が廃棄される。一部、農業用土壌改良材として使われるものの、多くは焼却・埋め立て処分されている。

 

 開発の手始めは卵殻の粉砕。さて、この粉体、一体何に似ているのか。思い当たったのが、白線材や野球投手が使う滑り止め。形状から得た発想は、シンプルかつ明瞭だ。開発されたグランド用白線材「ガイアフィールドライン」などの製品に共通するのは「安全性」。卵殻を原料にすることで、安全性の問題を解決したのだった。

 

 佐賀県のトライアル発注事業に参加したのをきっかけに、現在、同社の商品を採用する学校は全国に拡大している。リサイクル製品、環境に優しい製品、安全な商品は製造に手間が掛かる。その分、価格も高くなるが、下社長はそれを良しとしない。コストダウンにより価格を下げたことで販売にも一層弾みがついた。

 

 「一歩進んだモノを開発したい」と開発意欲の旺盛な下社長は、目下、グラウンド用塗料や研磨剤などの製品化に取り組んでいる。子どもの未来、スポーツの安全を卵の殻から考える下社長の挑戦は続く。

 

  資料出典: J-NET21

■■ ブログ「経営コンサルタントへの道」 ←クリック

 これから経営コンサルタント資格取得を目指す人、すでに経営コンサルタントとして活躍している人に特化したブログ紹介と読み方

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【きょうの人】 0310 ■ 性空 天台宗の僧

2020-03-10 08:35:00 | 【話材】 きょうの人

■【きょうの人】 0310 ■ 性空 天台宗の僧

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

■ 性空

 しょうくう
 延喜10年(910年)-- 寛弘4年3月10日(1007年3月31日)

 性空は、平安時代中期、京都に生まれた天台宗の僧で、俗名は「橘善行」といいます。

 36歳の折、比叡山で慈恵大師(元三大師)良源に師事して出家しました。霧島山や筑前国脊振山で修行し、966年(康保3年)播磨国書写山に入山し、西国三十三所霊場の一つであります圓教寺を創建しました。

 そのことから「書写上人」とも呼ばれます。圓教寺には、肖像彫刻・性空像(重要文化財)があります。

 山岳仏教を背景とする聖(ひじり)の系統に属する法華経持経者としても知られています。1007年(寛弘4年)、播磨国弥勒寺で98歳で亡くなりました。一説により増すと80歳ともいわれています。


 

 

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする