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■【きょうの人】 0715 黒田 清輝 日本を代表する明治・大正の洋画家 ■ 国木田 独歩 小説家・詩人 「武蔵野」

2021-07-15 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0715 黒田 清輝 日本を代表する明治・大正の洋画家 ■ 国木田 独歩 小説家・詩人 「武蔵野」

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 黒田 清輝 日本を代表する明治・大正の洋画家

 くろだ せいき
 1866年8月9日(慶応2年6月29日)- 1924年(大正13年)7月15日

 日本を代表する洋画家で、晩年は貴族院議員として活躍した政治家でもあります。従三位、勲二等を授与されている子爵です。

 通称は、新太郎(しんたろう)で、名の清輝は、本名は「きよてる」ですが、画名は「せいき」と読みます。

 東京美術学校教授や帝国美術院院長も務めています。

 日本に、洋画を普及させた功績は大きく、『湖畔』(1897年)は、黒田の代表作中の代表作品です。『裸体婦人像』(1901年)では、「腰巻事件」を起こす契機となった作品です。その延長線上の作品として『智・感・情(1899年)』という連作があります。これは東京国立博物館黒田記念館の所蔵で、重要文化財として認定されています。

 日本画主流の世界に、洋画を紹介するということは、流れとは異なる状況に、さおを差すことになります。その反動は大きかったのではないでしょうか。

 先駆者として、ビジネスの世界で何かことを始めることはむつかしいことです。それができる人が、いてこそ、生活が便利になったり、大きな会社に成長したりという変化も得られるのですね。


■ 国木田 独歩 小説家・詩人 「武蔵野」

 くにきだ どっぽ
 1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)

 日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者で、千葉県銚子に生まれ、広島県や山口県で幼少期を過ごしました。

 幼名を亀吉、後に哲夫と改名し、筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがあります。

 田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟」を発表しました。詩や小説を書いている中で、次第に小説に専心するようになります。

「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」といった浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる作家です。

 現在も発刊されています雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されています。

 夏目漱石は、その短編「巡査」を絶賛した他、芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していました。

 私は、東京の郊外で育ちましたが、独歩の代表作「武蔵野」には、そのころの風景が、この小説の中で描かれているのを実感します。

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

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■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】103 クラウドファンディングで業績回復 1203

2021-07-15 05:46:00 | 【経営】 成功企業・元気な会社・頑張る社長

■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】103 クラウドファンディングで業績回復 1203

 経営コンサルタントを40年余やってきた経験から、すこしでも皆様のご参考になればとお届けしています。

 成功企業・元気な会社・頑張っている社長】は、皆様から寄せられたり、私が支援したり、見聞したりした企業の事例を紹介していますが、お陰様で、毎回拍手をいただいています。

 また、あなたのクライアント・顧問先やお知り合いの会社で、ここで紹介したい企業・団体等がありましたら、是非ご連絡ください。

■ クラウドファンディングで業績回復 1203


 ECOMAP(沖縄県那覇市)は、沖縄の山野に群生する「月桃」と呼ばれるショウガ科の植物のエキスを活用した保湿ジェル、ローション、石鹸などの化粧品や生活雑貨を製造・販売している。2007年7月の設立以来、全国の生活協同組合などへの卸売りを主力に展開してきた。近年は、北大東島で採掘される鉱物「ドロマイト」などを活用した農業資材として、除菌剤などの開発にも注力している。


 同社は、一昨年の春から中国企業との取引を念頭に事業の大幅な転換を検討していた。経費が増大していた生協を対象とする事業を縮小する代わりに、新たに開発していた農業資材を一昨年末から中国に輸出する予定だったが、コロナの影響ですべてストップした。国内の卸先からの取引中止も相次いで売り上げが激減した。卸売から一般販売への転換を準備していた時期だっただけに、大打撃を被った。昨年1月から3月までの売上高は前年比で60%も減少し、倒産の危機に瀕していた。


 同社は、アルコール許可事業者として経済産業省の名簿にも記載されている。11年3月に許可を得て以来、アルコールを活用した除菌剤の開発で実績を積み上げてきた。県内でアルコール消毒液の入手が困難になり、県民生活に支障を来たし始めていた当時でもアルコールは入手できた。


 三輪恵美社長は「県民の感染防止に貢献すべき」との考えから、経済産業省の「令和2年度マスク・アルコール消毒液等生産設備導入支援補助事業」を活用して、月桃エキスを配合した高濃度エタノール消毒液を生産。昨年3月下旬に販売を開始した。介護施設、幼稚園、小学校などに安定供給できていることなどから、業績は順調に回復してきているという。


 卸主体で展開してきた月桃関連商品については、予定通り、販路を一般客に変更したが、広告費が十分に賄えない中、一般客の新規獲得は困難を極める。この窮状を打開するため、昨年2月に中小機構沖縄事務所のクラウドファンディング促進セミナーを受講したことで知った購入型クラウドファンディングを活用。売り上げの一部を首里城復興に寄付する条件で2回実施し、ともに目標金額の3倍超を集めて成功した。顧客が5~6倍に増加し、リピート率も上がるなど大きな収穫を得た。


 同社は今後、商品のバリエーションを拡大する方針。マスクかぶれ対応型クリームなどコロナ時代の新しい生活様式にマッチする商品を複数開発している。新たな商品は、クラウドファンディングを積極的に活用して一般客に訴求し、売り上げを安定的に確保する。


 「中国には必ず進出したい」と三輪社長。「中国企業が当社の除菌剤の増産を要請してきた。中国は、無農薬や有機栽培に強い関心を持っていると聞いている。成分の効果に期待した商談だと受け止めている」と期待を込める。中国進出を機に、アジア全域でシェアを拡大していく構想だ。

  出典: e-中小企業ネットマガジン掲載承認規定に基づき作成

 

 
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■【きょうの人】 0714 祐天上人(明蓮社顕誉) 浄土宗大本山増上寺法主で、江戸時代を代表する呪術師

2021-07-14 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0714 祐天上人(明蓮社顕誉) 浄土宗大本山増上寺法主で、江戸時代を代表する呪術師

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 祐天上人(明蓮社顕誉) 浄土宗大本山増上寺法主で、江戸時代を代表する呪術師

 ゆうてん
 寛永14年4月8日(1637年5月31日)- 享保3年7月15日(1718年8月11日)

 浄土宗大本山増上寺36世法主で、江戸時代を代表する呪術師、字は愚心、号は明蓮社顕誉です。

 徳川五代将軍綱吉の命により正実大厳寺に住み、飯沼広経寺や、東京小石川の伝通院を経て、増上寺に住し、三六世の法席を継ぎます。

 密教僧でなかったにもかかわらず、強力な怨霊に襲われていた者達を救済、その怨霊までも念仏の力で成仏させたという伝説があるほどです。

 祐天の除霊伝説は存命中に書かれた『死霊解脱物語聞集』など、大衆向けに書かれた出版物によって広まりました。

 その後、当時盛んだった説教節や、18世紀半ばになって書かれた『祐天大僧正御伝記』などの伝記の中で祐天の除霊譚は地蔵菩薩の化身として語られ、後々まで庶民の間で信じられてきました。

 八十二才で歿しています。

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■【きょうの人】 0713 ■ カエサル(シーザー) ■ 修円 最澄から灌頂を受けました

2021-07-13 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0713 ■ カエサル(シーザー) ■ 修円 最澄から灌頂を受けました

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 修円 最澄から灌頂を受けました

 しゅえん
 宝亀2年(771年)-承和2年6月13日(835年7月16日)

 平安時代前期の法相宗の僧で、俗姓は小谷氏、大和国北谷の出身です。

生禅師(ていしょうぜんじ)とも称されます。

 義真から天台教学を学び、義真の没後は義真に代わって、大和国室生寺に住し、いわゆる「室生天台」を現出させた「円修」と混同されることが多いのですが、別人です。

 大和国興福寺の賢憬に法相を学び、794年(延暦13年)比叡山根本中堂の落慶供養の際その堂達をつとめました。805年(延暦24年)には最澄から灌頂(かんじょう:菩薩が仏になる儀式)を受けています。

 810年(弘仁元年)に律師、812年(弘仁3年)に興福寺別当となり、興福寺に伝法院を設けて深密会を始めました。827年(天長4年)には、少僧都(しょうそうず:僧正の下にあって、大僧都を助けて僧尼を統率する僧官)となりました。

 空海とも親しく、天台宗・真言宗という当時としては新しい仏教に理解を示していたようです。


■ カエサル,ガイウス・ユリウス

 Gaius Iulius Caesar
 紀元前100年7月13日? - 紀元前44年3月15日

 シーザーとも呼ばれることは周知の通りです。

 父は同名のガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Julius Caesar) 、母はルキウス・アウレリウス・コッタの娘アウレリア・コッタで、祖先に幾人もの執政官を輩出した名家の出身でした。

 紀元前83年、カエサルは神祇官を務めますが、この職務はパトリキという特定の人達にのみに開放されていて、婚約者がいたにもかかわらず、パトリキのキンナの娘コルネリアと結婚しました。若い頃から、野心家だったのですね。

 属州の軍に籍を置き、そこでの業績で、属州の「市民冠」を授与されました。弁舌力を活かして、属州総督を次々と告発しました。ここのころから表舞台に出始め、カエサルは弁舌で一躍有名となりました。

 あるとき、アレクサンドロス大王の像を目にして「アレクサンドロスの年齢に達したのにも拘らず何もなしえていない」と自らの心境を吐露し、偉業達成への意気込みを見せたそうです。

 紀元前60年になりますと、コンスルをめざしているカエサルは、オリエントを平定して凱旋した自分に対する元老院の対応に不満を持ったポンペイウスと手を結び執政官に当選します。

 執政官になりますと、グラックス兄弟以来元老院体制におけるタブーであった農地法を成立させます。

 ガリア戦争では武功を上げ、それをもとにカエサルはガリア戦争の一連の経緯を『ガリア戦記』として著しました。そのプレゼンスにより、ますますカエサルは、名を上げます。

 三頭政治を始めますが、その一人の死により三頭政治が崩壊しました。

 紀元前49年、カエサルは自派の護民官がローマを追われたことを名目に、軍を率いてルビコン川を越えたことで、ポンペイウス及び元老院派との内戦に突入します。この時に、ルビコン川を渡る際、あの有名な「賽は投げられた」と檄を飛ばしたといわれています。その結果、カエサルはイタリア半島の実質的な支配権を手にしたのです。

 エジプトでは、クレオパトラが弟プトレマイオス13世と争っており、両者の仲介を模索しましたが弟から攻撃を受けましたので、クレオパトラの側に立って政争に介入しました。

 エジプトが平定されますと、カエサルは親密になったクレオパトラとエジプトで過ごしましたが、その時に、政敵ポンペイウスの勢力下だった軍を破ります。この時に、ローマに送った戦勝報告に「来た、見た、勝った (Veni, vidi, vici.)」という名言が残されています。

 紀元前46年夏、ローマへ帰還したカエサルは、市民の熱狂的な歓呼に迎えられ、壮麗な凱旋式の挙行にあたって、クレオパトラを息子カエサリオンとともに招きました。

 元老院派を武力で制圧して、ローマでの支配権を確固たるものとしたカエサルは共和政の改革に着手します。

 終身独裁官としての絶対的な権力に対し、マルクス・ユニウス・ブルトゥスやガイウス・カッシウス・ロンギヌスら共和主義者は共和政崩壊の危機感を抱き、新たな生成ができました。

 元老院の開会前に起こったとされ、ポンペイウス劇場に隣接する列柱廊で、マルクス・ブルトゥス等により暗殺され、その時の言葉が「ブルータス、お前もか」という言葉を発したと言われています。

 奢るもの、久しからず

 

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■【きょうの人】 0712 重源 柿本人麻呂とも血縁のある紀氏一族

2021-07-12 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0712 重源 柿本人麻呂とも血縁のある紀氏一族

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 重源 柿本人麻呂とも血縁のある紀氏一族

 ちょうげん
 保安2年(1121年)- 建永元年6月5日(1206年7月12日)


 俊乗房重源は、1121年(保安二年)に京都に生まれました。父は、柿本人麻呂とも血縁のある紀氏一族の紀季重です。

 13歳で醍醐寺に入って密教を学び、1167年(仁安2年)入宋(にっそう:中国宋を訪問)し、翌年帰国しました。

 1180年(治承4年)平重衡によって大仏殿が焼かれるなど、東大寺の多くの伽藍が焼失したが、翌年60歳を過ぎた彼が造東大寺の大勧進職に任ぜられ、10数年の歳月をかけて東大寺の再興を成し遂げました。再建に当って、大仏様(だいぶつよう)と呼ぶ宋風建築様式を取り入れ、再建の功により大和尚の号を受け、1206年(健永元年)86歳で入滅した。

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■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】102 爪楊枝屋のノウハウ活かし、非接触棒を開発 1127

2021-07-12 05:46:00 | 【経営】 成功企業・元気な会社・頑張る社長

■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】102 爪楊枝屋のノウハウ活かし、非接触棒を開発 1127

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■ 爪楊枝屋のノウハウ活かし、非接触棒を開発 1127

 

 菊水産業(大阪府河内長野市)は1960年の創業で代々、爪楊枝の製造販売を営んでいる。こだわりは、伐採、製造、包装を一貫して国内の自社工場で行うこと。爪楊枝のほかに竹串や国産材の箸などの加工販売を手掛けており、飲食向け問屋や百貨店受託販売や、和菓子屋の名入れOEMなどが主な顧客だ。今年2月末頃からコロナの影響が出始め、緊急事態宣言が出て百貨店が軒並み休業の頃などの売り上げは前年同期比5割減に落ち込んだ。


 爪楊枝屋として何かできる事はないか、と考えていたときTwitterの映像で中国・武漢の人達がエレベーターに設置してある爪楊枝でボタンを押しているのを見た。国産爪楊枝製造を本業とする同社は負けていられないと思った。設置タイプがあるなら持ち運べて自分専用の物があればいいなと考え、製造過程で機械に通らなくなった北海道産の白樺材を使って「非接触棒」を作った。


 先を尖らす必要はないし、木材なので使用後は燃えるゴミに出すことができる。エチケットを守って捨てられるよう使用済み入れもセットして、値段は1箱120本入り568円(税別)。笑いの街・大阪の町工場らしく語呂合わせにこだわり、567円(コロナ)に勝つという意味で1円多い568円だ。パッケージには「さぁ、思う存分つつくがよい。」というコピーも添えた。


 エレベーターやインターホンのボタン、クレジットカードの暗証番号入力、バスの降車ボタンなど、指で直接押したくないときに役立てばと20年4月末に発売したところ、メディアから取材依頼が来て大きな反響となった。「詰め替え用がほしい」という声に応えて、非接触棒の中身のみを簡易パッケージに入れた「おかわり」(200本×2袋)も発売した。「さぁ、もっともっとつつくがよい」のコピー付きだ。


 販売数は累計約5000個。5人の従業員はみな「今まで作った事がない商品なので楽しい」と作業してくれた。テレビや新聞を見た人から励ましや応援の電話も頂いた。河内長野市の地場産業が爪楊枝であると広く知ってもらうきっかけにもなった。


 小さな町工場だ。非接触棒が売れたからと言って危機的状況が劇的に変わることはないが、悲観的にならず前向きに考える事が状況を変えた。これまでは爪楊枝にこだわっていたが、爪楊枝にこだわる必要はないという新たな発見もできた。構想中の商品がまだまだあるので、順次開発していく方針だ。

  出典: e-中小企業ネットマガジン掲載承認規定に基づき作成

 

 
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■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】102 爪楊枝屋のノウハウ活かし、非接触棒を開発 1127

2021-07-12 05:46:00 | コンサルタントバンク

■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】102 爪楊枝屋のノウハウ活かし、非接触棒を開発 1127

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■ 爪楊枝屋のノウハウ活かし、非接触棒を開発 1127

 

 菊水産業(大阪府河内長野市)は1960年の創業で代々、爪楊枝の製造販売を営んでいる。こだわりは、伐採、製造、包装を一貫して国内の自社工場で行うこと。爪楊枝のほかに竹串や国産材の箸などの加工販売を手掛けており、飲食向け問屋や百貨店受託販売や、和菓子屋の名入れOEMなどが主な顧客だ。今年2月末頃からコロナの影響が出始め、緊急事態宣言が出て百貨店が軒並み休業の頃などの売り上げは前年同期比5割減に落ち込んだ。


 爪楊枝屋として何かできる事はないか、と考えていたときTwitterの映像で中国・武漢の人達がエレベーターに設置してある爪楊枝でボタンを押しているのを見た。国産爪楊枝製造を本業とする同社は負けていられないと思った。設置タイプがあるなら持ち運べて自分専用の物があればいいなと考え、製造過程で機械に通らなくなった北海道産の白樺材を使って「非接触棒」を作った。


 先を尖らす必要はないし、木材なので使用後は燃えるゴミに出すことができる。エチケットを守って捨てられるよう使用済み入れもセットして、値段は1箱120本入り568円(税別)。笑いの街・大阪の町工場らしく語呂合わせにこだわり、567円(コロナ)に勝つという意味で1円多い568円だ。パッケージには「さぁ、思う存分つつくがよい。」というコピーも添えた。


 エレベーターやインターホンのボタン、クレジットカードの暗証番号入力、バスの降車ボタンなど、指で直接押したくないときに役立てばと20年4月末に発売したところ、メディアから取材依頼が来て大きな反響となった。「詰め替え用がほしい」という声に応えて、非接触棒の中身のみを簡易パッケージに入れた「おかわり」(200本×2袋)も発売した。「さぁ、もっともっとつつくがよい」のコピー付きだ。


 販売数は累計約5000個。5人の従業員はみな「今まで作った事がない商品なので楽しい」と作業してくれた。テレビや新聞を見た人から励ましや応援の電話も頂いた。河内長野市の地場産業が爪楊枝であると広く知ってもらうきっかけにもなった。


 小さな町工場だ。非接触棒が売れたからと言って危機的状況が劇的に変わることはないが、悲観的にならず前向きに考える事が状況を変えた。これまでは爪楊枝にこだわっていたが、爪楊枝にこだわる必要はないという新たな発見もできた。構想中の商品がまだまだあるので、順次開発していく方針だ。

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2021-07-12 05:46:00 | コンサルタントバンク

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 経営コンサルタントを40年余やってきた経験から、すこしでも皆様のご参考になればとお届けしています。

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■ 爪楊枝屋のノウハウ活かし、非接触棒を開発 1127

 

 菊水産業(大阪府河内長野市)は1960年の創業で代々、爪楊枝の製造販売を営んでいる。こだわりは、伐採、製造、包装を一貫して国内の自社工場で行うこと。爪楊枝のほかに竹串や国産材の箸などの加工販売を手掛けており、飲食向け問屋や百貨店受託販売や、和菓子屋の名入れOEMなどが主な顧客だ。今年2月末頃からコロナの影響が出始め、緊急事態宣言が出て百貨店が軒並み休業の頃などの売り上げは前年同期比5割減に落ち込んだ。


 爪楊枝屋として何かできる事はないか、と考えていたときTwitterの映像で中国・武漢の人達がエレベーターに設置してある爪楊枝でボタンを押しているのを見た。国産爪楊枝製造を本業とする同社は負けていられないと思った。設置タイプがあるなら持ち運べて自分専用の物があればいいなと考え、製造過程で機械に通らなくなった北海道産の白樺材を使って「非接触棒」を作った。


 先を尖らす必要はないし、木材なので使用後は燃えるゴミに出すことができる。エチケットを守って捨てられるよう使用済み入れもセットして、値段は1箱120本入り568円(税別)。笑いの街・大阪の町工場らしく語呂合わせにこだわり、567円(コロナ)に勝つという意味で1円多い568円だ。パッケージには「さぁ、思う存分つつくがよい。」というコピーも添えた。


 エレベーターやインターホンのボタン、クレジットカードの暗証番号入力、バスの降車ボタンなど、指で直接押したくないときに役立てばと20年4月末に発売したところ、メディアから取材依頼が来て大きな反響となった。「詰め替え用がほしい」という声に応えて、非接触棒の中身のみを簡易パッケージに入れた「おかわり」(200本×2袋)も発売した。「さぁ、もっともっとつつくがよい」のコピー付きだ。


 販売数は累計約5000個。5人の従業員はみな「今まで作った事がない商品なので楽しい」と作業してくれた。テレビや新聞を見た人から励ましや応援の電話も頂いた。河内長野市の地場産業が爪楊枝であると広く知ってもらうきっかけにもなった。


 小さな町工場だ。非接触棒が売れたからと言って危機的状況が劇的に変わることはないが、悲観的にならず前向きに考える事が状況を変えた。これまでは爪楊枝にこだわっていたが、爪楊枝にこだわる必要はないという新たな発見もできた。構想中の商品がまだまだあるので、順次開発していく方針だ。

  出典: e-中小企業ネットマガジン掲載承認規定に基づき作成

 

 
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■【きょうの人】 0711 ■ 日野 業子 義満の寵愛を受け日野家の権力を強化 ■ 聖聡 増上寺開山

2021-07-11 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0711 ■ 日野 業子 義満の寵愛を受け日野家の権力を強化 ■ 聖聡 増上寺開山

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 聖聡 増上寺開山

 しょうそう
 正平21年/貞治5年7月10日(1366年8月16日)- 永享12年7月18日(1440年8月15日)

 南北朝時代から室町時代中期にかけての浄土宗の僧で、増上寺の基礎を築き、開山しました。父は、下総国守護千葉氏胤、浄土宗第8祖。母は新田義貞の妻と伝えられています。

 はじめ千葉妙見寺(真言宗寺院で明治初年の廃仏毀釈により千葉神社となる)で、真言密教を学びました。

 元中2年/至徳2年(1385年)浄土宗の聖冏(しょうげい)に帰依し、その門下となりました。

 聖冏が体系化した五重相伝の布教に努め、多くの弟子を養成しました。

 明徳4年(1393年)武蔵国豊嶋郡貝塚(現在の東京都千代田区)にあった光明寺と称する真言宗寺院を浄土宗に改宗して増上寺と改称し、関東における浄土宗の道場としました。

 千葉氏・佐竹氏の帰依を得、寺領の寄進もあり増上寺の基礎を築きました。永享11年(1419年)、甥の酉仰(ゆうごう)に増上寺を譲りました。

 弟子に、弘経寺開山の嘆誉良肇(りょうちょう)、松平氏宗家第四代松平親忠開基の大恩寺開山了暁(りょうぎょう)慶善、松平氏宗家第三代松平信光開基の信光明寺開山釋誉存冏(そんげい)などがいます。

 著書も多く、七十五才にて歿しました。


■ 日野 業子 義満の寵愛を受け日野家の権力を強化

 ひの なりこ
 正平6年/観応2年(1351年)- 応永12年7月11日(1405年8月5日)

 室町幕府3代将軍足利義満の御台所で、父は日野時光、兄弟に日野資康ほかがいます。位階は従一位、准后です。

 宮中に影響力を持っていた叔母の日野宣子(岡松一品)が仲介し、1375年に足利義満と結婚しました。

 義満が京都に花の御所を造営し、そこに移ります。

 業子は和歌に秀でていたことから、義満の寵愛を受けたといわれ、義満の計らいで従一位・准后となりました。

 2人の間に成長した子はなく、1405年に55歳で死去し、法名は定心院でした。

 業子と義満の婚礼により、持明院統の公家だった日野家は朝幕政界に影響力を強めることになります。

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

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■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】101 ネット注文やオンライン通販、早めの準備が窮地救う 1120

2021-07-11 05:46:00 | 【経営】 成功企業・元気な会社・頑張る社長

■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】101 ネット注文やオンライン通販、早めの準備が窮地救う 1120 

 経営コンサルタントを40年余やってきた経験から、すこしでも皆様のご参考になればとお届けしています。

 成功企業・元気な会社・頑張っている社長】は、皆様から寄せられたり、私が支援したり、見聞したりした企業の事例を紹介していますが、お陰様で、毎回拍手をいただいています。

 また、あなたのクライアント・顧問先やお知り合いの会社で、ここで紹介したい企業・団体等がありましたら、是非ご連絡ください。

■ ネット注文やオンライン通販、早めの準備が窮地救う 1120


 KOFS(カフス)は徳島市八万町で3店舗を展開しているカフェだ。社長は澳津美菜さん37歳。大学生のころ、いつか自分の店を持ちたいと決意し、21歳から準備を始め、就職はせず故郷の徳島に戻り2007年4月、24歳のとき開業した。


 当初は20代の女性がターゲットだったが、自身の出産を機に子育て中の30代主婦向けに食事メニューのほかカフェやスイーツを提供。徐々に店舗を増やし、2017年8月に株式会社化した。新型コロナウイルス感染症の流行前は店内での飲食とテイクアウトの両方で売り上げを伸ばし、スタッフもパートやアルバイトを含め約40人を抱えるまでになった。


 だが、コロナ感染が広がり、2020年4月の外出自粛要請で店を開けていても客足が遠のき、1日の来店客数は急減。売上も4月は前年同月比60%に減り、5月は休業し同36%まで落ち込んだ。危機打開のため資金繰りに走り回った。2店舗が持ち店舗で家賃負担は少なかったが、スタッフの休業保証を行った際の雇用調整助成金がなかなか下りず、従業員への賃金確保に苦慮した。


 窮地を救ったのはテイクアウトのネット注文だった。コロナ前、テイクアウト注文は電話でリアル対応していたが、それだと店の定休日や営業時間外のオーダーを取ることができない。またスタッフが1回の注文に対応するのに約5分を要するので、注文を受けるにはそれなりの人数も必要だった。そこで2月に中小機構四国本部が主催したIT勉強会に参加。テイクアウトのネット注文のノウハウを習得し、勉強会の成果を活かしてSNS投稿を強化して周知を図るなど準備を進めていた。


 満を持して3月からネット注文を始めたら、おりしもコロナが顕在化して需要が急増。今年5月のテイクアウト売り上げは年同月比で10倍も売上を伸ばした。事前準備はオンライン通販でも奏功。インスタグラムで自社オリジナルのアイスケーキをPRしたら、リンク先のECサイトから徐々に注文が伸びた。店舗受け取りの各種ケーキの予約も、手数料無料のGoogleフォームを使って予約ができるようにしたところ、ホールケーキの注文数がコロナ前の10倍になった。


 店舗内のイートインで売上が難しくなった分をテイクアウトと通販で補い、結果的に事業領域の幅を増やすことができた。テイクアウト部門の好調で本店の売り上げは前年同期比110%に伸びている。


 これから3年で事業内容を通販、テイクアウト、イートインの3本柱にしていくつもりだ。通販はアイスクリームを中心に、中元・歳暮やバレンタイン、クリスマス、母の日など各種イベントを彩る商品を開発し、販路拡大をねらう。テイクアウトはもちろん、イートインでは温かさや冷たさを大切にした料理やスイーツを提供し、店舗に足を運ぶワクワク感を大切にしたいという。

  出典: e-中小企業ネットマガジン掲載承認規定に基づき作成

 

 
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