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元練馬区議会議員小川けいこの「ねりまなでしこ日記」

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お祝い~豊玉中学校開校60周年~

2007年10月07日 11時50分51秒 | 小川けいこのプライベート日記
昨日、10月6日は、我が母校練馬区立豊玉中学校の開校60周年の記念行事がありました。(昨日は先輩方や関係者の方と2次会、3次会と盛り上がってしまいまして、帰って来るなり寝てしまいまして、書けませんでした(^-^;)


 行事は、式典・希望像移設除幕式・祝賀会の3部構成で開催されました。


この中で、特に印象的だったのは、『希望像移設除幕式』です。
この像は、昭和35年、「まだ日本が貧しかった」と表現された時代に、「子どもたちに希望を持って欲しい。」という当時の校長の発案のもと全校生徒職員の総意で建立されたものです。生徒たちは、45円の寄付をしたそうで、その数字に時代背景を感じることが出来ます。
 当然私も在校中に希望像を見て登下校していたわけですが、上記のような希望像ストーリーがあることは、恥ずかしながら知りませんでした。
そして、この像は自分の意志とは関係なく、学校サイドの都合で居場所を転々するはめになり、この度の移設前は寂しい場所に佇み腐食も進んでいる状態だったそうです。

「このままではいけない!」この想いが学校関係者、卒業生、祝う会の人たちの心を動かし、みんなの力できれいに修復され、学校の正面に移設される運びとなりました。

 希望像のテーマ曲が吹奏楽部の生徒たちによって演奏される中、白い布を被っていた像は除幕され、彫刻家 二田原英二氏からの感動のスピーチがありました。
今では、イタリア外務大臣賞を受けるほどの著名な彫刻家である氏ですが、当時は駆け出しであったそうで、希望像を創作後に更なる勉強のためにイタリアに行かれたそうです。
「貧しい時代に貧しい道を選んだ。不安に生きる中で、あの像のようにありたいと念じていた自分自身だったかもしれない。
人には、人それぞれに希望があり夢がありそれを叶えるために努力をする。
自分のやりたい仕事をして、何かの役に立てれば本望であるし、その中で死んでいければ良い。」 というようなスピーチをされました。生徒たちも聞き入っていましたが、私も秋晴れの日差しの校庭で、自身の肝に銘じるように聞いていました。

豊玉中学校の卒業生に未来あれ!