渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

土用丑の日

2024年07月24日 | open
 

お椀が左右逆なのはご愛敬。

土用丑の日なので家にて鰻
を食す。
平賀源内先生に倣う訳では
ないが、江戸者はこの手の
季節物が殊の外好きだ。
ちなみに土用は土いじり
や草むしり、家の庭いじ
り、建物いじりや建設は
避けただよな、昔の日本
人は。土公神という土の
神さんが活動する時期だ
から。
でも、これは風習だけで
なく、季節柄結構意味が
あったりもする。

そして、沢庵はふたきれが
江戸の常識。
それは一切れは「人斬れ」、
三切れは「身斬れ」に繋が
ので武士が嫌った。
「ふたきれ」のみは戦い
火蓋を切れ=鉄砲での射
準備で鉄砲の火蓋を開け
る事
から=に通じるので、
それは
武士らしき事と武士
沢庵は
ふたきれを定番
とした。
その武士の好みが反映されて、
江戸では沢庵はニ切れを出す
事が常識化した。
鰻は江戸では当然腹からは
開かない。腹切りに通じる
からだ。
武士の本場江戸では、武家
が嫌う事は庶民の食生活に
まで浸透していた。それは
もう隅々まで。
ただし、武士が食さなかった
「目刺し」は庶民は食した。
武士が食さなかったのは、
目刺しは目落ちで「落ち目」
に繋がるから。
常に瞬間的な生死を念頭に
置いて生きなければならな
かった武士たちは、語呂に
も非常に神経質だった。
さらに、庶民よりも異様に
武士たちはゲン担ぎをした。
特に数字等へのこだわりが
強い。
 一二三四五六七八九十
 ひふみよいむなやこと
 (日文よ忌むなや事)
などに特にこだわるのが
武士だった。
それゆえ、武士は言霊も大
切にした。
 臨兵闘者皆陣列在前
の九字を切るのは武士だが、
その九字は呪文でもなく、
また呪術でもない。一字
一句が複合的に合体した
思想性を体現しているのだ。
九字を訓読みではなく読み
下しすると「兵(つわもの)
として闘いに臨む者は皆
陣列の前に在れ」である。
それを訓読みで九字を切る
のだが、武士の中でも誰で
も九字を切ってよい訳では
ない。「言葉」を「言霊」
として深化できた武士のみ
が九字を切る事を暗黙の
うちに許されたのだった。

そうした思想性を持つ武士
という種族は、独特の文化
と精神世界を構築した。
人の名を実名で口頭で呼ぶ
事は武士には無い。
徳川家康を「家康様」とは
絶対に口が裂けても武士は
言わない。実名=諱(いみな)
は忌名でもあるからだ。
なので通称の「〇之介」等
の通り名を通常は呼んだ。
自分でも髙橋誠之進などと
通常では呼称する。
実名=諱を使うのは公式
文書においてのみであった。

そのあたりの武士の思想は、
武士を知らないと理解でき
ない。
武家文化を知らない者は尊
敬の念を込めたつもりで
「徳川家光公が」などと口
にするが、大変無礼な事だ。
武家文化に無知ゆえ、かよ
うな仕儀に至る。
だが、この実名=諱で人を
呼ぶ事が大変失礼
無礼であ
り忌避されたという武家の
文化は、現代でもその思想
性が残されている。「人を
名指しで呼ぶ」事が失礼に
あたるという不思議な日本
の現代でも存在する概念は、
この武士の諱を直には呼ば
ない、という江戸期の慣習
が継続しているものだ。
 
この鰻、店舗売りの出来合い
物だが、ふっくらとしていて
なかなかいけた。


米は三原の農家さんの米。
農家から直に販売しても
っている。
都度、適宜精米して炊く。
私個人は八分が好きなの
だが、家人たちの希望で
上精米にしている。
栄養価低くなるんだけど
なぁ(笑
米を炊くのは電子炊飯器
ではなく、土鍋。
これが殊の外うまい。


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